仏教ブームがジワジワきているように感じますが、それに関連して
ちょっと何か書こうかなと。
自分の経験上でお話をすると、日によって気力の充実度というものに
ムラがあるように思います。
一般的には月曜はだいたいやる気がなかったり、憂鬱だったりするようですね。
「あ”--また一週間仕事か~~↓↓」てな具合に。
そういう時はとにかく何をやるにも手をつけるまでやたら時間がかかるし
手をつけても一向にはかどらない。
ひどいときは手さえ付ける気にならない・・
とまぁ、院長もずいぶんそんな経験があります。はい。
仕事に限らず、プライベートのメールの返事を打つのもタルい、
人に何かを聞かれても説明もタルいし、だからといって
「いちいち説明しなきゃダメ?」と口に出すのさえタルい。
ひどいね(苦笑
でもそういうのは世間で言うバイオリズムってヤツだなと思ってたし
そうやって落ちてるときは仕方ない、とやりすごしてました。
いつか気分も上がるさと。
で、落ちてる気力を上げる方法などないかしら?とずっと思ってたんだけど
そもそもそれは概念が違うらしいということが分かってきた。
最近の研究でわかってきたらしい・・のではなく、ずーーっと昔に
お釈迦さまが言っていたことを自分でわかってきたということです。
気力は、それ自体があがったり下がったりはしません。
だから気力を上げる方法は本当は無いです。
何もやる気が起きないとかぼーーっとしてしまうのは
何も考えてないのではなく、あまりにごっちゃごちゃで雑多な思考が
頭に詰まりすぎてパンッパンの状態なんです。
たいていはそれに気づけないけどね。
思考、雑念、妄想にどっぷり浸かりすぎて目の前の現実をうまく
処理できていない状態が「気力がない」状態です。
心のエネルギーのどうしようもない無駄遣いです。
パソコンでいろんなプログラムを同時に立ち上げすぎて
メモリーの空きがとても少なくなってるようなイメージかな。
その、一杯立ち上がってしまってるプログラムは全部無駄でゴミみたいな
ものだと言っていいです。
大事でとても必要なものだと思っている自分の意見、思考、妄想、
それら全部が実は全くの無駄でむしろ毒。
「んなわけねーだろ、自分の意見は大事だし、何も考えないなんて
死人と一緒だよ。バカ言うな」と反論したくなりますね~
まぁ、それは置いておくとして、いろんなプログラムが立ち上がりすぎて
「今」に対する処理能力がガタ落ちになっているのが「気力が無い」状態
ですよ、というのだけ納得してみてください。
そんな状態でも社会人なので、その貧弱な空きしかないメモリーで
作業をしないといけない。
雑念、妄想でパンッパンの頭を整理してメモリーの空きを増やしてあげれば
全部解決するんだけど、そのやり方を学校で習ってないし、そもそも先生も
そんなこと知らないし、自己流でアメとムチで無理矢理にやる気を引っ張り出そうと
したりする。
あとで自分にたんまりご褒美あげよう!とかね。
ご褒美くらいで動ければまだいいけど、なーーーんにもやる気がしない時も
あるっちゃーある。
無くなったやる気を引き出そうという発想がそもそも間違いなので
邪魔なプログラムを一旦全部切ってしまう方法を試してみましょう。
「思考、雑念、妄想を止める!」
以上!なんだけど止めるぞ!っていっても止まらないのが雑念で、
止めようと思うと余計沸いてくるので厄介なんです。
雑念を止めるんだけど、止めよう!と思わずに「今」の一点に
丁寧に集中するのです。
食器洗いが山ほどたまっている場合も先延ばししたり、食洗機あったらなー
とか余計なこと考えずに、スポンジを丁寧に拾い上げることから手を付ける。
スポンジを丁寧に持って、洗剤を丁寧に染み込ませて、丁寧に蛇口をひねり
丁寧にスポンジに水をかけたら丁寧に泡立てる。丁寧に食器を取り上げて、
丁寧にこすったら丁寧に置く。
しつこいぐらい全部丁寧にやります。
極力、スローモーションで、なおかつ自分で実況中継するとよりベター。
「スポンジを左手で丁寧に拾い上げます。右手で洗剤を取り、スポンジに
ゆっくりとかけます。」てな具合に。
何でこんなことするかというと「とにかく信じて言うようにやりなさい!」
というと楽だけど、院長の場合はそういう説明では納得できないので
わからずやの自分に対してするように説明します。
日々、やっている動作っていうのは実はあんまり頭を使わずに
出来ちゃうんですよ。自転車乗ってるときに
「左足でペダルを漕ぐ際に大殿筋と大腿四頭筋の収縮を行うと同時に
素早く右の腸腰筋の収縮後・・・」とかしないでしょ?
だからこそ、余計な妄想しながら自転車に乗れちゃうのですね。
自転車って考えたらすごいことですよ?
補助輪無いのに倒れないんだから。
脳ミソの仕組みがそんなに素晴らしいので、何かの作業をしながら
誰もが大好きな思考、妄想に耽ることが出来るのです。
優れてるようにも思うけど、現実の感覚に鈍くなるという欠点もある。
習慣として身に付いた思考、妄想はとどまることを知らず、
脳のメモリーをどんどん食らいます。
妄想でパンパンになった脳は妄想以外の機能は低下しているので
やる気というか、全ての感覚が鈍くなります。
そこで、そういう時は全ての動作をスローモーションにするのです。
スローモーションに丁寧に動作をするには頭を働かせないといけないのです。
自動でやってた動作を意識を使ってやるのです。
するとどうなるかというと、エネルギーを妄想に使えなくなるのです。
実況中継なんてしようものならなおさら。
ゆっくりと丁寧に動作をして、実況中継しながら妄想は出来ないですよ。
「出来ますよ」って?それはゆっくり丁寧に出来ていないんです。
意識が動作から離れてしまってる。
あまりに妄想が好き過ぎるんですね。
心配ないです。みんなそうです。
1分だけ意識を動作に向けて、スローモーションにして
実況中継してみてくださいよ。
もしできたら「あれ?そんなに嫌じゃないかも・・」と思うのではないかな。
でも雑念も妄想もやっぱり浮かぶ。
浮かぶけど、また動作に意識を戻す。
丁寧にスローモーションに実況中継して戻す。
この繰り返し。
日々、どんなことにもこの繰り返し。
まずはこれが仏道で言うところの「精進(しょうじん)」です。
「精進」はとても大事な修行で、院長が失敗やらなにやら繰り返しながら
去年から取り組んでいることです。
お釈迦様の言ってることって怪しいですかね?
院長はこれが修行だとすると、それは宗教じみてると思わないし、
とても親切なように思います。
「瞑想で宇宙エネルギーと一つになろう!」とかではなく
こういう本当に日常で使うトレーニングとしての仏道。
もっと仏教がブームになって、興味を持つ人が増えたらいいのになぁと
思いますよ。 ほんとに。
ちょっと何か書こうかなと。
自分の経験上でお話をすると、日によって気力の充実度というものに
ムラがあるように思います。
一般的には月曜はだいたいやる気がなかったり、憂鬱だったりするようですね。
「あ”--また一週間仕事か~~↓↓」てな具合に。
そういう時はとにかく何をやるにも手をつけるまでやたら時間がかかるし
手をつけても一向にはかどらない。
ひどいときは手さえ付ける気にならない・・
とまぁ、院長もずいぶんそんな経験があります。はい。
仕事に限らず、プライベートのメールの返事を打つのもタルい、
人に何かを聞かれても説明もタルいし、だからといって
「いちいち説明しなきゃダメ?」と口に出すのさえタルい。
ひどいね(苦笑
でもそういうのは世間で言うバイオリズムってヤツだなと思ってたし
そうやって落ちてるときは仕方ない、とやりすごしてました。
いつか気分も上がるさと。
で、落ちてる気力を上げる方法などないかしら?とずっと思ってたんだけど
そもそもそれは概念が違うらしいということが分かってきた。
最近の研究でわかってきたらしい・・のではなく、ずーーっと昔に
お釈迦さまが言っていたことを自分でわかってきたということです。
気力は、それ自体があがったり下がったりはしません。
だから気力を上げる方法は本当は無いです。
何もやる気が起きないとかぼーーっとしてしまうのは
何も考えてないのではなく、あまりにごっちゃごちゃで雑多な思考が
頭に詰まりすぎてパンッパンの状態なんです。
たいていはそれに気づけないけどね。
思考、雑念、妄想にどっぷり浸かりすぎて目の前の現実をうまく
処理できていない状態が「気力がない」状態です。
心のエネルギーのどうしようもない無駄遣いです。
パソコンでいろんなプログラムを同時に立ち上げすぎて
メモリーの空きがとても少なくなってるようなイメージかな。
その、一杯立ち上がってしまってるプログラムは全部無駄でゴミみたいな
ものだと言っていいです。
大事でとても必要なものだと思っている自分の意見、思考、妄想、
それら全部が実は全くの無駄でむしろ毒。
「んなわけねーだろ、自分の意見は大事だし、何も考えないなんて
死人と一緒だよ。バカ言うな」と反論したくなりますね~
まぁ、それは置いておくとして、いろんなプログラムが立ち上がりすぎて
「今」に対する処理能力がガタ落ちになっているのが「気力が無い」状態
ですよ、というのだけ納得してみてください。
そんな状態でも社会人なので、その貧弱な空きしかないメモリーで
作業をしないといけない。
雑念、妄想でパンッパンの頭を整理してメモリーの空きを増やしてあげれば
全部解決するんだけど、そのやり方を学校で習ってないし、そもそも先生も
そんなこと知らないし、自己流でアメとムチで無理矢理にやる気を引っ張り出そうと
したりする。
あとで自分にたんまりご褒美あげよう!とかね。
ご褒美くらいで動ければまだいいけど、なーーーんにもやる気がしない時も
あるっちゃーある。
無くなったやる気を引き出そうという発想がそもそも間違いなので
邪魔なプログラムを一旦全部切ってしまう方法を試してみましょう。
「思考、雑念、妄想を止める!」
以上!なんだけど止めるぞ!っていっても止まらないのが雑念で、
止めようと思うと余計沸いてくるので厄介なんです。
雑念を止めるんだけど、止めよう!と思わずに「今」の一点に
丁寧に集中するのです。
食器洗いが山ほどたまっている場合も先延ばししたり、食洗機あったらなー
とか余計なこと考えずに、スポンジを丁寧に拾い上げることから手を付ける。
スポンジを丁寧に持って、洗剤を丁寧に染み込ませて、丁寧に蛇口をひねり
丁寧にスポンジに水をかけたら丁寧に泡立てる。丁寧に食器を取り上げて、
丁寧にこすったら丁寧に置く。
しつこいぐらい全部丁寧にやります。
極力、スローモーションで、なおかつ自分で実況中継するとよりベター。
「スポンジを左手で丁寧に拾い上げます。右手で洗剤を取り、スポンジに
ゆっくりとかけます。」てな具合に。
何でこんなことするかというと「とにかく信じて言うようにやりなさい!」
というと楽だけど、院長の場合はそういう説明では納得できないので
わからずやの自分に対してするように説明します。
日々、やっている動作っていうのは実はあんまり頭を使わずに
出来ちゃうんですよ。自転車乗ってるときに
「左足でペダルを漕ぐ際に大殿筋と大腿四頭筋の収縮を行うと同時に
素早く右の腸腰筋の収縮後・・・」とかしないでしょ?
だからこそ、余計な妄想しながら自転車に乗れちゃうのですね。
自転車って考えたらすごいことですよ?
補助輪無いのに倒れないんだから。
脳ミソの仕組みがそんなに素晴らしいので、何かの作業をしながら
誰もが大好きな思考、妄想に耽ることが出来るのです。
優れてるようにも思うけど、現実の感覚に鈍くなるという欠点もある。
習慣として身に付いた思考、妄想はとどまることを知らず、
脳のメモリーをどんどん食らいます。
妄想でパンパンになった脳は妄想以外の機能は低下しているので
やる気というか、全ての感覚が鈍くなります。
そこで、そういう時は全ての動作をスローモーションにするのです。
スローモーションに丁寧に動作をするには頭を働かせないといけないのです。
自動でやってた動作を意識を使ってやるのです。
するとどうなるかというと、エネルギーを妄想に使えなくなるのです。
実況中継なんてしようものならなおさら。
ゆっくりと丁寧に動作をして、実況中継しながら妄想は出来ないですよ。
「出来ますよ」って?それはゆっくり丁寧に出来ていないんです。
意識が動作から離れてしまってる。
あまりに妄想が好き過ぎるんですね。
心配ないです。みんなそうです。
1分だけ意識を動作に向けて、スローモーションにして
実況中継してみてくださいよ。
もしできたら「あれ?そんなに嫌じゃないかも・・」と思うのではないかな。
でも雑念も妄想もやっぱり浮かぶ。
浮かぶけど、また動作に意識を戻す。
丁寧にスローモーションに実況中継して戻す。
この繰り返し。
日々、どんなことにもこの繰り返し。
まずはこれが仏道で言うところの「精進(しょうじん)」です。
「精進」はとても大事な修行で、院長が失敗やらなにやら繰り返しながら
去年から取り組んでいることです。
お釈迦様の言ってることって怪しいですかね?
院長はこれが修行だとすると、それは宗教じみてると思わないし、
とても親切なように思います。
「瞑想で宇宙エネルギーと一つになろう!」とかではなく
こういう本当に日常で使うトレーニングとしての仏道。
もっと仏教がブームになって、興味を持つ人が増えたらいいのになぁと
思いますよ。 ほんとに。