院長のひとりごと

私、竹村院長が食べ物から健康まで基本的にノンジャンルでかきつづります。

「思考から自由ではない人々。」

2013年01月19日 13時20分39秒 | ノンジャンル
院長は「永きに渡る伝統」や「その世界での常識」といったものは

経験則に裏打ちされた理論体系である一面を持つ一方、

正常な思考、疑問をストップさせてしまう困った一面も持っていると思う。


伝統職人の世界で一つの技術を覚えるまで何年・・などの話をよく聞くけど

その中には師匠、先輩からの出し惜しみからくる伝承の遅延も少なからず

含まれているのでは?

そんな風に思うことが結構あります。


弟子にどんどん教えて、どんどんやらせたら、器用な弟子はその道うん十年という

師匠の技量を数年であっさり超えてしまう場面も時にはあるでしょう。


自分の大きなアイデンティティの一つである、漠然とした「技量」という

ものを無意識に出し惜しみ、その価値を上げにかかることがあっても

それは理解できないことではない。


人間ですから。


今後自分がその立場になったとき、

「あ、今、俺の中で自分の価値をあげようと、知識の出し惜しみをしようとしている」

と素早く気づき、「やれやれ」と苦笑いしながら自分をたしなめられる

そんな人になりたいです。


ただ、その「自分の価値を上げにかかっている」という瞬間は、

浅ましい自分の一面を見たくないためにすぐに認識の置き換えが起こります。

「いや、すぐに簡単に教わった知識は簡単に忘れるから、知識の伝承は

もったいぶる必要があるのだ。自分もそうしてきた。」とかね。


冷静に見つめると、自分の行動の根底にはどんな心理が働いているか

分かるものなんだけど、「そんな嫌な面、見たくない!」という反応は

ことのほか強力で多くの人の目に霞をかけます。


院長は自分の信じていた常識がひっくり返ることに快感を覚えますので

常識というものに執着が薄いと思います。

新しい常識を知った時でさえ、再びそれをひっくり返す考えを受け入れる準備も

常にしているというか、とにかく執着はないです。たぶん。


それは自分が無いとか芯がぶれてるとかではないんですよね。


自分が無いというのは、教わったことに疑問を持たないとか

受け入れにフィルターがないことを言うと思うんです。

「何々が良いらしい」と聞くととりあえず飛びつく。

これはフィルターが無いし、あまり感心出来ない。


ただ、その「すぐに何にでも飛びつく姿勢」と、「飛びつかな過ぎる姿勢」は

院長から見るとほとんど同じです。

自分の常識を覆すほどの新しい考えに聞く耳を持つことが出来ない。

耳にぱったりと蓋がしまったように、新しい考えや新常識を自分の頭で

「本当はどうなんだろう」と考察してみることを一切放棄してしまう。


これもやはり考察をストップしているという点で、何にでも飛びつく人と

同じです。


だから一つのこだわりの方法でやり抜くということは、それ自体が

エライわけではないです。

新しい考えや、理論を自分なりに客観的に検証した結果、やはり今までの方法を

守るというのならいいのです。



今、糖尿病治療の従来の常識がひっくり返ろうとしています。

それをひっくり返すまいと頑張る医者達、栄養士たちがいます。

情報化社会なので、不勉強な医者よりも知識を持ち、論理的な思考の出来る

糖尿病患者が世の中にたくさんいます。


糖質制限食とカロリー制限食。

どちらがより糖尿病患者にとってリスクが高いか、論理的に判断して欲しいです。

そして現在出ているデータを検証し、冷静な頭で判断して欲しいです。


ご飯をいっぱい食べさせて当然のように跳ね上がる血糖値を

インスリンで強引に下げる。

こんなこと、いつまでやるつもりですかね。