花にまつわる幾つもの話

子供時代の花にまつわる思い出や、他さまざまな興味のあることについて書いていきたいと思ってます。

第十六章 染井吉野と美央柳(そめいよしのとみおうやなぎ)

2010年05月06日 | 花エッセイ
 アパートの前の小さな駐車場横に古びた自転車置き場がある。

それこそふきっさらしの状態で、青いトタン屋根の下、大小の自転車が所狭しと並んでいた。

 その自転車置き場の隣りに大きな染井吉野が植わっていた。

あまりに大きな木だったため、その枝はアパートの二階部分にまで届き、

枝を伐り落とさなければならなかったほどだ。

 アパートの住人はその見事な染井吉野で花見を楽しんでいた。

かくいう私もその一人で、三階の廊下から見下ろすその花は、まるで薄紅色の雲のようで、

ついそのままふわりと飛び込みたいような衝動に駆られてしまう。

 花曇りという言葉があるが、まさにこの染井吉野はそんな風情の桜だった。

 桜というものは満開時の美しさもさることながら、一夜にして散るさまもまた美しい。

 辺り一面を淡いピンクの花吹雪がはき、さらには春風にあおられて風に舞う。

アパートに住む子供達は競って花びらをつかまえる遊びに熱中した。

 夜半になるとこっそり家を脱け出して、

桜の下、月明かりに滲む桜の園をうっとりと眺めたものだった。

 そんな贅沢な花見を堪能していた私には、混雑した花見の名所がどうにも苦手だった。

桜とは一人密かに楽しむのが良い。

 この桜の木の根元にはこんもりと茂る美央柳の株があった。

別名美女柳とも呼ばれるこの植物は、新緑の頃に黄色い花を咲かせる。

古代中国の美女の髪を飾った冠のように豪華な花姿は、まさに美女柳の名に相応しい。

 かつて夜香木を分けてくれた、生け花の師範の資格を持つ同僚だった女性は、

この花をことのほか愛し、五月になると必ず一枝切って職場の花瓶に飾っていた。

他にも彼女は茶碗蓮や薮椿、梅もどきにホトトギスといった実に古風な茶花を好んでいた。
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