80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

春の朝に

2018年04月03日 09時52分57秒 | 考える
四月に入って、桜満開・・・というより、すでに散り始めている。
半分は散ってしまった桜も多い。
今週の半ばには、ほとんどの桜が葉桜化しているのではなかろうか?

「ちょっと季節の変化が異常なのではないか?」
ある新聞に、そんな事が書いてあった。

少しずつ、少しずつ、季節の移り変わりが早くなってきているとか。
そう言えばそうなのかも知れない。
古い話だが、私の小学校入学式は、ちょうど桜が満開だったような気がする。

それはさておき、今、桜が満開、暦は春になったというのに、私自身は、日々、
ますます寒さ、冷たさを感じている。


時折、頭の左半分がズシンと重たくなった気がする。
さらには、体の前面、胸から腹の部分が、突然液化してしまったような感覚に
襲われる。

ふと思う。
この頃、記憶力が日に日に衰えていく。

他人(話し相手)と、何らかの共通点が見つからないと、会話は成立しない。
その相手との、話の接ぎ穂がなかなか見つからないのだ。
仲間・・・若者とは無論の事、年相応の老人同士の仲間にすら入れない。

宿命だろうか・・・?  ・・・そんな、大袈裟なっ・・・!! ()

現在の私が、取りあえず打ち込んでいるものというなら、文字通り、「ブログ」
ブログであれば、一旦書いた文章も、書き直すことが可能だ。
今の私には、完全という言葉がない。
未来に残せるものなど、ひとつもない。

現在の私は、「脳障害」と「認知症」発症の恐怖を抱えて現在を生きている。
その可能性は年を追うごとに大きくなっていく。

・・・ある日、突然、何もかも、総てが記憶から失われる。 ()
そんな恐怖がいつ訪れるかも知れない。
もっとも、そうなった時は、私の預かり知らぬこととなっているわけだろうが。


出来ることなら、ずっとこのまま他人に頼ることなく生きていきたい。
男であれば当然の事だろう。


だが、それが不可能だとなった場合、どうするか?

ずっと生き続けるには、他人に頼るしか方法はないだろうが・・・。
しかし、今の私にはその備えがまるでない。
「逆の立場」であればどうするか?

どのような形でも良い、愛が欲しい。
愛のある生活に憧れる。

今さら・・・?  
いや、今だからこそ・・・。


何事を相談するにしても、相談すべき事が把握されている必要がある。
「何が、何で、何を・・・」


今、この時、自分だけの時を、充分に充実して生きていく。
今まで、何のために何を続けてきたのか?
現状・・・これで、このままで良いのか?

ただひたすらに求めるばかりで、結果、何一つ、やり遂げたものがないという
不安がつきまとって仕方がない。


が、よくよく考えてみれば、不安がつきまとうということは生きていればこそ。
小児麻痺に冒された私が、この歳まで生きて、こうしてブログを更新していられ
るのも、母や周囲の多くの人々の助けによるものだ。


今日も目覚め、空を見上げ、ふらふらと出歩ける幸せに感謝しよう。

さぁてっと、出掛けるか・・・!!