80歳に向けて・「新風来記」・・・今これから

風来居士、そのうち80歳、再出発です。

轍(わだち) (1)

2018年04月14日 16時44分51秒 | 考える
来た道を、まっすぐ曲がらず真南へ、裸足で歩くゆっくりと。
見上げる空は曇り空。


お互いに自由に生きよう、考えよう。
50年、60年の知り合いと言えども、元はといえば別人同士。

それが良いのか、悪いのか?
今、この時点では分からない。
分かりようがない。
おそらくは、今後も分かることはないだろう。

では、何故分かろうと、無駄な努力を続けるのか?
良かったと、あるいは失敗したと考えるのは一時のこと。
その一瞬先は、分厚い雲の内だ。


今ひとつ、他人の中に入り込んでいけず、離れてもいけない。

本心は、ずっとそれを求め続けてきたのにも関わらず・・・。

止まれ、私が望んだ「それ」とは、一体何なのか?
「入り込んでいく」事なのか?
それとも「離れていく」事なのか?

一体どっちなのか?

 ・・・考えてみるとよく分からなくなってくる。

この頃、ずっと記憶力不足は、難聴のせいだとごまかしている。
考えてみれば、もともと聴きづらく、はなから頭に入らないと
するなら、記憶力もへったくれもないのだが。

いずれにせよ、今、やりたいことをやるしかない。
しかしまた、私のやりたいこととは、一体何なのか?
私としての、本当の人生は、まだ始まっていないのではと思う。

「捨てることから始めよう。」
誰かが言っていた。

捨てるもの・・・?
何だろう?  私に何かあるのか?
思えば周囲、ごみだらけ。

大体、人は自分の過去を捨てることなぞ出来るのだろうか?

ふっと、寄り道をしたいなと思った。
しかし、一体どこに寄れば良いのだろうか?

それに「本道」とは、一体何なのか?

思えば、私の場合、そもそも過去の総てが寄り道だった。
そんな気がする。