獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの言葉:SNSより(6)

2023-07-18 01:05:49 | 友岡雅弥

おそらくは、亡くなる1年ほどまえくらいから亡くなる直前までの友岡雅弥さんの言葉が次のサイトに残されていました。
「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ 友岡雅弥 (1) (April 3, 2019)
おそらくは友岡さんのSNS上の発言が集められているようです。
時系列で並べ直して再構成しました。
友岡さんの発言の前後に、誰がどのような発言をしていたのか分かりませんので、詳しい文脈は分かりませんが、創価学会執行部から疎外され圧力をかけられ、査問を受け、創価学会本部職員を退職するまでの友岡さんの心のうちが明かされた貴重な文章だと思われます。
一部、かいつまんで引用します。


●僕は、明確に「日蓮本仏論者」だけど、「久遠元初の仏様」という仏教ではない、日蓮正宗的一神教ではなく、旃陀羅が子として生まれ、犯罪者として遇され、掘建て小屋で門下の手紙に涙し、最後は置いて行く馬のことを心配しながら亡くなる、1人の人間を、人生の模範としようと言う「日蓮本仏論者」
ここで気をつけなければいけないのは、「凡夫即仏」とやると、悪しき天台本覚論に陥る危険性があるということですね。 飢えで苦しむ人びとを見て「煩悩即菩提」「凡夫即仏」と言って、何もしなかった悪しき天台本覚論の連中。 あくまで「他者性」が必須だと思います
3:26 - 2018年8月20日

 


解説
私も、一人の人間としての日蓮を敬愛しています。
そういう意味では友岡さんの「日蓮本仏論者」を心情的には支持します。
しかし、一人の人間としての日蓮という視点は、「日蓮本仏論」に直結はしません。
そこのところの理論は、不完全なような気がします。
ちなみに、私は、一人の人間としての日蓮を敬愛するのとは別に、信徒として、別に日蓮大聖人を「ご本仏」として信仰するという立場です。

ここで気をつけなければいけないのは、「凡夫即仏」とやると、悪しき天台本覚論に陥る危険性があるということですね。 

この指摘は重要だと思います。

 

獅子風蓮