獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの言葉:SNSより(26)

2023-08-07 01:43:44 | 友岡雅弥

おそらくは、亡くなる1年ほどまえくらいから亡くなる直前までの友岡雅弥さんの言葉が次のサイトに残されていました。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ 友岡雅弥 (1) (April 3, 2019)

おそらくは友岡さんのSNS上の発言が集められているようです。
時系列で並べ直して再構成しました。
友岡さんの発言の前後に、誰がどのような発言をしていたのか分かりませんので、詳しい文脈は分かりませんが、創価学会執行部から疎外され圧力をかけられ、査問を受け、創価学会本部職員を退職するまでの友岡さんの心のうちが明かされた貴重な文章だと思われます。
一部、かいつまんで引用します。


●それは、対人支援で、もっともやってはならないことです。 自分のために、他人の不幸を利用していることになります。 そのかたのことをもっと考えてあげてください。 それから、そういうことは、広言しないことです。 題目上げるのはあたりまえです。 それからさきの行動が今問われているわけです。

ほんとに自己満足! その人のために題目上げるのは当たり前のことで、自慢すべきことじゃない。 それからどう支える行動をするかが、問われているのですけど。
「あなたの宿命」ではなく、 「私たちが解決すべき社会の問題」なんですよ。 呉秀三ドクターが100年前に、またWHOがICF(国際生活機能分類)で、2001年に、 そして日蓮大聖人が13世紀に語ったとおり。
私にも、もう30年家からでれない、統合失調症の親友や、大切な人を自死で失った友人とかがあります。 自分には何が出来るかを模索して、 もがきながら、毎日題目を上げています。  προσεύχομαι、祈ることは、とてもとても大切なことです。 しかし、それはひそやかなものであることが大切だと思います
そばにいるだけでいいと思います。 その「体温」が、いちばん大切だと思います。
大聖人の御書は、「法理」のエビデンス・アプローチではなく、「希望」のナラティブ・アプローチとして読んだらいいと思う。
2018年12月25日

 


解説
それは、対人支援で、もっともやってはならないことです。 自分のために、他人の不幸を利用していることになります。

どういう文脈でこう語られたのか分かりませんが、おそらく創価学会員のコメントで、何か困っている人のために自分はこんなに題目を送っているというような文章を読んだ友岡さんの怒りの言葉でしょう。

大聖人の御書は、「法理」のエビデンス・アプローチではなく、「希望」のナラティブ・アプローチとして読んだらいいと思う。

医療の現場でも、EBM(証拠に基づく医療)は、現実の臨床の現場では患者の役に立たないことも少なくない。
現在では、NBM(ナラティブ・ベイスド・メディスン)つまり目の前の患者の話をよく聞き、その物語の中で患者を納得させるような医療が、特に心理面で求められています。
それに通じる話かと思われます。
友岡さんには、ぜひそういう観点から、日蓮仏法の再構築をしてもらいたかった。


獅子風蓮