獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんのセミナー

2023-08-29 01:26:00 | 友岡雅弥

これまで、karagura56さんのブログ「浅きを去って深きにつく」から、友岡さんの言葉を拾ってきました。
同じブログには、友岡さんのセミナーや講演の記録も残っています。

勝手に引用させていただきました。

karagura56さんありがとうございました。

「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ
友岡雅弥さんのセミナーです。1(April 7, 2006)

読みやすいように、まとめられるものは整理して再構成しました。
明らかな誤字脱字は訂正しました。

 


■友岡 雅弥氏(東洋哲学研究所・研究員)の講演内容(要約)
■日付/2001年11月9日(金)
■会合名/京都・東山錦州県「地区婦人部長会」

大学院の頃入信。
そのことで、国家主義的先輩のいじめに会い、大学にいることができなくなりました。
創価学会に入らなければ、子供の頃からの望みどうりになる予定の道を歩んでいましたが、学会に入るためそれを蹴ったことになります。
が、おかげさまで、現在、東洋哲学研究所員であり、聖教新聞の記者でもあります。
私は内の気持ちもわかるし、学会員でない人の気持ちもわかります。

よく、セミナーに出ますが、池田先生からは、
「セミナー終わって、個人折伏を手伝ってはいけない」と言われています。
それでは組織が賢くならない、と。

山口県でセミナーのあと、婦人部のおばちゃんが乱入してきました。
「この人、折伏してるんだけど、なかなかその気にならないから決めてください」
30歳前の男性を連れてきました。
その人は、ある事業をやっていて、まじめすぎて、儲けを考えない人。時代に取り残された人でした。
親子で事業をやっているが負債続きで店をたたもうか……とのこと。
「福運が切れたからやわ。信心したら大丈夫。お金入ってくるゆうてあげてください」
「信心したら、すべてうまくいくって言って!功徳があるって!」
おばちゃんは口々に言います。
私は言いました。
「入ったらダメです」
「入ってお金儲けするような宗教はダメです」
「信心していて借金雪だるま式になった人、いっぱい知っています。信心で乗り越えよう。がんばろ、がんばろ、がんばろで、潮時、辞め時がわからなくなる。仕事の成功を考えての信心ならやめなさい。でも、人間磨こうと思ったら有力な手です。この信仰で金儲けはダメです」
そうしたらその人、涙を流して……
「やらしていただきます」
入りたいと思っていても、おばちゃんの言葉で入れなかった。
「お金はいらない。功徳はいらない。人間として立派になりたかった」
いろんな大変な場を見て、彼は言った。
この信心で人間変われるかと思ったが、おばちゃんのおかげで入れなかった。

大事なのは相手をガンガンやるのではない。生き方を見直してもらいたいのです。生き方が変わらなかったら折伏ではない。信心して、
「ああ、大事なことはお金儲けじゃなかったんだなー」
ここからがほんとの折伏です。
ガンガンいくか、ゆっくりいくかは関係ない。しんどいから、後ろさがるんじゃない。後ろにさがることができるのかどうかです。

私は海外の来客があって、信心を語るときまず、京都に行きます。京都の寺めぐりをするのです。はじめに太秦の広隆寺。日本の菩薩の第一号のあるところです。来客は喜びます。
像の顔は朝鮮系でなんです。そもそも太秦=ペルシャの意です。
そこで、庭掃除のおっちゃんに聞いてくださいといいます。
「信者何人いるのか?」
答えは「ゼロ」です。信者ゼロの宗教です。観光客で食べている。それはもう、博物館であり、宗教施設じゃない。
次は南禅時。徳川幕府、立派な建物。
「説明書きを読んでください」(英字でも書いてあります)
「○○将軍寄進」「△△天皇建立」
金閣寺でも、銀閣寺でも、□□将軍、◎◎将軍……。
パリの大聖堂では、「パリ市民がつくった」と書いてる。権力者が喜ぶ必要なんてない。そんなものではない。
だんだんガッカリされている来客を、今度は創価会館に連れて行く。おばちゃんがいっぱい。信者だらけである。他は観光客だらけで、修行者の声は聞こえない。
美術、芸術はすごいが博物館以外の何ものでもない。創価学会はすごいですね。生きていますね。と入信。
邪宗に連れていくことが折伏になる場合もある。見識のキッチリある人であればです。
人によっては、他の寺のすばらしい門を誉め、折伏につながる場合もあるということです。

こちらが信仰に対する見識があればいい。大事なのは折伏の視点です。
よく、学会員がいうことですが、真言はダメダメ、長男が立たへん。ボクの家は真言宗だったのですが、ボクも親も、それを知らないでいたくらいです。
真言は長男が!といわれても、ボクも父親も元気だし、かえって不信を抱く。
その言葉は少なくとも相手の家庭を調べてから言って下さい。ピンとこないではいけない。
ピンとこない折伏。時代は変わっているのです。

体験発表で病気が治るというのは、外部の人間にはピンとこないものである。
病気が不幸なら、最後はみんな不幸になってしまう。誰にでも死はあるのだから。

むしろ、私が感動したのは、ガンの闘病中の人の話である。
「病気に絶対負けない」
「自分も病気の人の気持ちがわかるようになり、人を励ますことが出来るようになった」
克服しつつある人の体験の方が感動を生む。
「病気が治る」では他宗もやってる。
「手かざし」が一番治る。そのかわり「手かざし」は再発しやすい。ストレスなどで病気になる。「手かざし」で治り、でもそれは根本的な原因は治らないまま、「してもらった」という経験として、再び病気の中に戻っていく。そして、よりいっそう弱くなっていく。

病気が治るというランキングでは、学会は「中の上」くらいです。そのかわり再発しにくい。単に治るだけではダメなのです。
治った人は仏ではない。=(イコール)健康な人です。お金儲けが出来た人は=(イコール)ただの金持ちです。
いろいろあっても関係なく思う。「生きていこう」というのが、「学会らしさ」である。
奇跡でコロンはないのです。冥益です。薄紙を剥ぐように……

包み隠さず全部いったほうがいい。
「学会はやりすぎ」とか「いたらないこともある」など。
「学会は確かにやりすぎやなぁ。でもココが私としては好きなんだ」
相手の話に、
「そんなことはない!学会はそんなことない!」
「そんなこと言ったらアカン!」などではピンとこない。
プラスの面もマイナスの面も包み隠さず言ったうえで、
「何ものにも負けない自分に!」
これがこの時代にピンとくる。
全部いうスタンス。
100%すごいのよ!では、ヘンなカンジ。
「まだまだ勉強しないとダメやと思う。でも、こんだけ言うのは、あなたにこうなってほしいから」
誠実さ。これが押し。境涯の広さがものをいう。
「ここがおかしい」と言われたら、「そんなことはない!」とは絶対言わない。
「そんなこともあるわなぁ」、包み隠さず言う。
「でも、この部分はあなたに言いたい」と。
相手はいろいろ言うけれど、相手は充分ものを考えないでいってる場合がある。

「宗教は弱い人間がするものやろ」という人がいる。
「ほんまにそう思うの?ほんまに?ほんまに?」
「そしたら、言って!具体的にだれか言って!宗教している弱い人!」
「学会さんは他の宗教を悪く言う。そんなことない。どんな宗教も立派やと思う」という人がいる。
「どんな宗教も立派?全部立派というのなら、たとえば浄土真宗の場合、どこがすぐれているか言って。どこがいいか見ずに立派というのは、それらの宗教に対して失礼ですよ」
人は先入観や噂で言ってる場合が多い。相手の言ってることに逆に投げ返す。
「あなたの質問は逆ではありませんか?」
そうすると、「ああ」と、バカバカしいことに気が付く。

ある女子部が、彼氏に質問されて答えられなくて、ボクに電話がかかった。
「池田先生がゴルバチョフに対して5億円贈ったって、言われています。
贈ったいない証拠を見せたいんですけど」
ロシアでは、個人に対して80万円以上贈ると違反になる。アメリカの「タイム」が、ゴルバチョフに1万ドル支払ったことから、エリツィンに訴えられたことの話をとおし、まして、5億円贈呈の話なんて考えられないと、答えました。
また、その女子部から電話。
「今度は○○さんに先生が××円渡したって……。渡していない証拠を見せろと……」
女子部の彼氏は「○○円贈呈」を問題としているのではなく、彼女が自分の質問で右往左往しているのを、楽しんでいるだけであった。
彼女には彼氏のわからない学会という世界があり、おもしくない。そんな彼女を自分が支配し、動かしたかったにすぎない。
「そんなに○○円渡したというのなら、あなたが先に渡したという証拠を見せてください」と言ってみなさい。
口と心ではちがう事が出たりする。
心にくいこむことが大事である。


折伏で、相手のいいなりに右往左往するのでは、(相手の)思うツボです。
よく、「先祖代々○○宗です」と言われますが、先祖代々全部読破したという人はいない。
仏壇が代々好きなんです。
学会の場合、きっちり子供、孫にまで教えていってる。世間では知らされない。教えられていない。
「代々……」はない。「代々仏壇磨き」なだけ。
「親鸞の言葉、言ってみ?」「そんなん“しんらん”」(笑)
「代々……ってやってないでしょ?教えでしょ?心でしょ?」
教えも守らないでは宗教とちがう。
田中家?
女性の場合おかしい。実家の山下は先祖じゃないのか?
自分からたどっていったら、1億人の先祖がいる。その先祖代々?
それはないでしょ?
自分の子や孫が人間として頑張っているのなら、その方がよっぽど先祖は嬉しいはずです。
孫が『仏壇磨き』と、学会で『心をみがく』のとでは、どちらが嬉しいのか?

とにかく、相手の言葉をあまり信じないでいい。考えないで言ってることが多いから。
また、努力と信念でやっていくという人に限って、そうでなかったりする。
車にお守りつけたり、笹好きだったりする。
無神論者じゃなく笹信心。一番程度が低い。
新年にお賽銭なげて「おめでとー」言ってる。

信念を持ってる……英語で「ビリーブ」という。
信仰を持っているも同じ「ビリーブ」という。
信念を持っている=信仰を持ってるともいう。

18万6千の宗教が日本にあるが、獄死したトップは牧口先生ただひとり。
こういう人を信念のある人というのではないか?
学会はお守りを持たない。世間では成田山でステッカーもらって、車にはったりする。
交通安全を願うなら「ヒヤリハット」(配達員交通安全運動)のほうがよっぽど交通安全になる(笑)

学会をバカにしてた、ある大手企業の重役。
ある刑事事件の汚職にまきこまれた。
会社を守るため、会長を守るため。結局、会社からの裏切りに会う。
信じてはいけないものを信じた。財産や地位など。
その後、悲惨な目にあい、病に倒れる。
死期を知っていたのか遺書が書かれていた。
「世間に恥ずかしくない立派な葬儀を出してほしい」
彼の人生は「世間に恥ずかしくない立派な家」であり、「立派な車」であった。
世間の為の人生でないはずなのに。
お経を読んだ、身延派の僧侶には340万円。
お経を読むが、時々ぬけたり、もどったり、まわったり。途中で解らなくなったのか、「でーでーだーだー」と言っていた。
こういうのを「香典ドロボー」という。
終了後、その僧侶に「さっきのお経は方便品と壽量品でしたね」「だいぶ抜けていましたね」と声をかけた。相手はごまかしていた。
戒名130万。「院」の字がないと80万。
あなたの宗の開祖は金をだしたら「院」がついたのか?
ちゃんとした僧侶は困った人にこそ尽くすべき。少なくとも今はおかしい。

戒名は江戸時代のものであり、開祖が言ってるわけじゃない。徳川が身分をつけたにすぎない。
仏壇は客間にあり、その仏壇に戒名を置き、「ああ、ちゃんとしたお宅ですね」と思わせる手段にすぎない。

差別について、徳川に最後まで戦った人。いわば、英雄の人達。その人達の戒名には「畜生」の「蓄」の字がつく。
「蓄男」「蓄女」と書いて、墓に放り込む。
18年前までその「蓄」のつく戒名があった。
6歳で亡くなった女の子の墓に、「童昨蓄女」との戒名を見た時、日本の宗教がイヤになった。
差別戒名の実態を知っているのか?!
戒名のことなど、経典のどこにも出てこない。もし、一般が読んだらばれる。そのことを恐れ、信者は経を読んではならない。毎日祈ってはならない。
初詣だけ手を合わせる。……ということを、寺子屋の教科書にまで出した。
祈りもしない○○宗。多くの人は祈らない宗教である。徳川の考え方を未だにやっているのである。
日顕の戦いと同じです。日顕は葬式仏教であり、江戸時代と同じです。
ほんとの仏教とはなんなのか?
江戸時代に何があったのか?仏壇教にも、江戸教にもつかえます。
心を折伏するのです。その人、その人、その人に応じて、考えてやったら、むこうから……入ったら……いいんですけどね~。(笑)

 


解説
2001年11月に京都で行われた「地区婦人部長会」での友岡さんのセミナーです。
友岡さんがまだ創価学会に「幻想」を持っていたころの話ですから、ある程度差し引いて読む必要があるかもしれません。

「信心したら、すべてうまくいくって言って!功徳があるって!」
おばちゃんは口々に言います。
私は言いました。
「入ったらダメです」
「入ってお金儲けするような宗教はダメです」

ここ、面白いですね。
逆説的ですが、友岡さんのこの言葉で、相手は入会を決意したとのこと。

 

学会員がいうことですが、真言はダメダメ、長男が立たへん。ボクの家は真言宗だったのですが、ボクも親も、それを知らないでいたくらいです。
真言は長男が!といわれても、ボクも父親も元気だし、かえって不信を抱く。
その言葉は少なくとも相手の家庭を調べてから言って下さい。ピンとこないではいけない。
ピンとこない折伏。時代は変わっているのです。

ここも面白いですね。
私も、学生部のころ、私の連れて行った同級生に、先輩が「君の出身はどこか? 徳島? あそこは真言の……」とやり出したのに驚き、そこから信心に躓きました。


友岡さんの言われるような折伏に、全面的に変わったかというとそうでもなく、ダブルスタンダードのように、昔のやり方も残っているのが、創価学会の不思議なところ。

もっと、古いやり方を一掃することはできなかったのでしょうか。

 

獅子風蓮