おそらくは、亡くなる1年ほどまえくらいから亡くなる直前までの友岡雅弥さんの言葉が次のサイトに残されていました。
「浅きを去って深きにつく」karagura56さんのブログ 友岡雅弥 (1) (April 3, 2019)
おそらくは友岡さんのSNS上の発言が集められているようです。
時系列で並べ直して再構成しました。
友岡さんの発言の前後に、誰がどのような発言をしていたのか分かりませんので、詳しい文脈は分かりませんが、創価学会執行部から疎外され圧力をかけられ、査問を受け、創価学会本部職員を退職するまでの友岡さんの心のうちが明かされた貴重な文章だと思われます。
一部、かいつまんで引用します。
●そうですよ。 たとえば、こちらがしんどいときに、学会の元気いっぱいの活動家が来て、「元気だして」とか、激励されたら、どうですか? それより、ピア・カウンセリングで、私もしんどいねん、と言われたほうが、救われますよね。 「勇気」とかいう、総勝ち学会的な概念から離れるべきです。
みんな、べてるの家とか、弱さのちからとか、被災当事者のちからとか、この20年の当事者研究とは、無縁のところで、生きることを余儀なくされているのが、とても、かわいそう。 がんばらなくては人を救えないと思ってる。 人は救えない。 ただ、下から少し支えることができるかも。
自分のほうが、アドバンテージとらんと、人と交流できないと思い込ませられる訓練って、 ほんとに、人を蝕むね。
やさしくすることを、慈悲魔とかいうサディスティックな概念で、言い換えられてきたものね。
「楽しく」は、「手抜き」でも「甘やかし」でもありません。
2019年2月10日
【解説】
自分のほうが、アドバンテージとらんと、人と交流できないと思い込ませられる訓練って、 ほんとに、人を蝕むね。
やさしくすることを、慈悲魔とかいうサディスティックな概念で、言い換えられてきたものね。
創価学会の指導のやり方に対する、痛烈な批判です。
友岡さんの声を真摯に受け止める姿勢が当時の創価学会執行部にあったらと思わずにいられません。
池田氏が健在で、友岡さんのよき理解者であり続けていたら、創価学会の組織も変わっていたのかもしれません。
獅子風蓮