石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
■第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第6章 父と子
(つづきです)
12月には、三浦の後を受けて『東洋経済新報』の主幹になった。
編集局長には高橋亀吉を起用した。
さらに翌年の大正14年(1925)1月、3年前に株式会社になっていた東洋経済新報社の代表取締役専務に就任する。これも三浦の後を引き受けたものであった。
この年の暮れには大正天皇が崩御して、大正十五年を六日残して「昭和」に改元される。時代は、不況と軍国主義に傾いてゆき、新しい時代の息吹きには程遠かった。
「高橋君、君は日本の金解禁をどう考えているかなあ?」
いつもの編集会議とは別に高橋を呼んだ湛山は、そう問いかけた。
「石橋さん、経済は生きものです。現実を見て取り組まなければ必ず失敗します。現実の経済事象と取り組まなければ、真の姿は見えてきませんよ」
「君もそう思うかい? 僕もそうなんだ。新しい事態には新しい考えで臨まねば失敗する。そう考えると……」
「金の解禁は早急に、しかも旧平価でなく新平価でやるべきでしょう」
「ずばり、考えが一致したね」
日本の通貨(円)は、明治30年以来「金本位制」であった。これは標準となる本位通貨を金貨とすることだが、第一次大戦中の大正6年に、金の輸出が禁止された。イタリア、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカに次いでの措置であった。国際貸借の決済の手段が金ではなくなったことを示している。つまり「金本位制」の停止である。
湛山と高橋が論じているのは、この禁止された金の輸出を再び自由にするということであった。これを「金解禁」という。
「政府が金の解禁を考えたのは当然で、我々はもう数年も前から景気浮揚策の一つは金解禁だと主張してきましたが」
「そうだね、問題は解禁をいくらでやるかということなんだ」
編集会議では活発な意見が交わされている。湛山も加わっていた。
「金輸出禁止前の日本の金平価は1ドル約2円弱、100円が49.846ドルだった。だが、大正13年には平価100円が38ドルまで暴落しているんだ。それを考えると、円の今の実勢価格である新平価でやるべきではないか。『東洋経済新報』はそうしたこれまでの主張を繰り返したほうがいいと思う」
「すでに100円が40ドル前後という相場が1年半以上も続いているんだから、この低い相場を基準に考えるのが、実際の経済状況に即しています」
「政府の考え方がおかしいですよ。円為替が低いということは、国力が低下している、これを認めるのは国辱だではなくて、国際比較をすると日本の物価が旧平価基準で高騰している、と考えればいいんです」
「だから、逆に言えば今、旧平価での金解禁を断行したら、日本の物価は4分の1ばかり暴落することになるんだよ。こんな簡単なことがどうして分からないのかなあ」
「40ドルベースで立ち直ろうとしている日本経済が、旧平価の50ドルで解禁されたら、また不況になることは目に見えているのに」
つまり円高になったら、輸出中心の日本経済は壊滅的な打撃を受けてしまう、というのが湛山や高橋ら『東洋経済新報』の言い分であった。
同じ「新平価解禁論」を展開したジャーナリストは、湛山、高橋のほかに二人しかいなかった。「中外商業新聞」(現在の日本経済新聞)経済部長だった小汀利得と、「時事新報」記者だった山崎靖純である。
「いいですか、政府が旧平価で金を解禁すれば、下がっている為替相場は直ちにその価格まで上昇するんですよ。15パーセントも為替レートを切り上げたら、輸出が減少することだって目に見えているじゃあないですか」
湛山は、財界を、政界を説いた。だが、浜口雄幸内閣は昭和4年(1929)11月、旧平価による金解禁断行を決定した。
翌年の昭和5年になると、湛山たちの予想を遥かに超える量の金が、外国にどんどん流出した。
これが原因で国内は混乱に陥り、大正デモクラシーや自由主義は衰退し、ファシズム、ナショナリズム、ミリタリズムの台頭につながってくるのである。
しかし、金解禁を実勢価格の新平価で行なうべし、とした湛山らの意見は、政府のこの旧平価導入の失敗によって結果として「予言」になった。しかも湛山の「経済予言」が見事に的中したことで、経済界での「石橋湛山」の名前は一躍高まったのである。皮肉なことと言うしかなかった。
(つづく)
【解説】
金解禁を実勢価格の新平価で行なうべし、とした湛山らの意見は、政府のこの旧平価導入の失敗によって結果として「予言」になった。しかも湛山の「経済予言」が見事に的中したことで、経済界での「石橋湛山」の名前は一躍高まったのである。
経済ジャーナリスト・石橋湛山の面目躍如というところですね。
獅子風蓮