獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(12)

2022-08-26 01:39:58 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。

絵文字は、テキストで保存する時に??に変換されてしまいます。
ご了承ください。


■罰なんかなかったよ 2        投稿日: 2016年12月21日

今回の『罰なんかなかったよ』のテーマに怒涛のコメントありがとうございます。
創価が宗教ではなく詐欺だという覚醒にあたり、「功徳はない」と気づくことよりも、この「罰はない」という気づきの方が大きいとあらためて思いました。創価が宗教だろうが詐欺だろうが、功徳がないのは当たり前のことです。そもそも功徳欲しさで何でもしてしまうというのは、宗教以前に人として最低の行いであることに気づかないのがおかしいのですが、それよりも「罰が当たる」「不幸になる」という恐怖心によって操られていることに気づかない、気づこうとすることさえ恐怖心によってできなくなっているということの恐ろしさがあるということですよね。学会員は知らないうちに「創価に逆らうと不幸になる」と徹底的に刷り込まれていますから、どんなに創価がやっていることがおかしいと疑問に思っても、「不幸になる」「何か不吉なことが起こる」「一生幸せになれない」という恐怖心がもれなくついてくるので、「創価がおかしいわけがない」と自分に言い聞かせるか「凡夫の自分が考えたところでどうにもならないんだから考えないようにしよう」となってしまいます。思えば私もそれで10年は覚醒が遅れた気がします。
みなさんの実体験として、「罰なんかなかった」と声を上げることは、創価がおかしいと気づき始めた学会員にとっては、いちばん救いのある言葉ではないかと思います。実際に創価をやめてみてどうなったか。罰が当たったと思えるようなことがあったのかどうか、みなさんの実体験をどんどんここに披露して下さい。
今回のテーマは引き続き『罰なんかなかったよ 2』とさせていただきます。

●元栄光地区婦人部 (2016年12月23日 14:27 )
signifieさんへ
ブログの内容がますます面白くなってきた気がします。
みなさんの中で、こんな幹部指導を聞いたことがある人はいませんか?
「罰とか宿命とか、そんな発想は今の学会はしないんだよ。それは日蓮正宗のもの」
私が学会をやめる前、なぜか幹部達がそんな事を口にし始めました。
罰などに対する強迫観念だけでは会員を操るのはいずれ破綻すると気がついた学会が、指導を変えようとしていたのでしょうか。
これはあくまでも私の住んでいた地域(名古屋)で幹部から聞いた話なので、推測です。
こちらの現状では、「罰とかそんな考えはない」と言いながらも、退転者には罰が出るという考え方が学会員の中で矛盾しながらも存在しているように思えます。
現に私の親なども、「今は罰とかそんな指導はない」と言った同じ口で「退転は怖いのぉ」と平気で言ってのけています。
他のみなさんの地域でも、これと同様に「罰論など今はない」と指導している幹部がいるのか気になりました。

●元栄光地区婦人部 (2016年12月23日 21:47 )
雑草さんへ
外部の方の客観的な感想をいただき改めて心が救われる思いです。ありがとうございます。
あの時は堪忍袋の緒が切れて、本当にブチッ!と何かが切れた音を聞いたくらい、「ブチ切れ」ました。
なぜ学会員は良識やモラルなどが欠如するのだろうか?と自分なりに考えました。
普通、仏教では数々の修行を積む事で人格を磨きます。
ところが学会では、「題目」さえ唱えれば、多くの修行を積んだのと同じ功徳を得られ人格も磨かれると指導します。とっても簡単なので庶民に大受けです。
その結果、「題目を唱えてるんだから自分は何をしても正しい!」と傲慢になる人を量産しているのかもしれません。
あと、人の不幸につけ込んで不謹慎な事を言う学会員に不愉快な思いをさせられた人が多い件について。
学会では、動執生疑と言って、わざと相手の心を揺さぶることで正しい教えに導くという教義があるんです。
「不幸の原因は邪宗にある」と信じているので、外部の人が不幸になれば「よし!今こそ間違った宗教を信じていることを破折してあげなければ!」と使命に燃えます。
相手がそれで素直に信心すれば「心が純粋で素直な人」だとされます。
でも、心が汚れてる人はなかなか素直に信心につけないとも考えられています。
さらに組織では「折伏戦」「結果を出す信心を!」と銘打って会員を焚きつけます。
それでもなかなか成果が上がらない人が多い。
「折伏ができない人はご本尊様にどうか折伏させてください!と祈りなさい。すると、どうぞ私を折伏してくださいって向こうの方からやってくるから」なんていう指導も、何度聞かされたことでしょうか。
その結果、学会員さんは他人の不幸に敏感な嗅覚を持つようになります。
普段の学会員さんは表向きには「普通」を装っています。
でも、やはり学会員さんには自分の身の上の不幸などは話さないのが良いでしょうね。
不幸な人を探すハイエナの餌になりかねません。
>彼の家庭について話すと、兄弟の一人は精神疾患で家からでれないんですよ。
私の兄は小児麻痺で幼くして亡くなりました。
思うのですが、家族に重病の人がいる学会員ほど信心にのめり込むのかもしれません。
理屈で考えれば宗教なんかやったところで病気が治るわけがないのですが、弱っている人の心というのは、宗教が付け入る隙だらけということなのでしょうね。

●まるちゃん (2016年12月24日 00:53 )
元栄光地区婦人部さんへ
つい最近ですが「今の学会は依然とは違う」と聞いたことがありますよ。
悪しき創価の伝統は、日蓮正宗のもの、もしくは「悪い幹部によるもの」と完全に責任転嫁の方向です。
これひとつとってもめちゃくちゃ腹が立つんですよね。
ならば。
そう指導しているあなた達が
「今まで間違ってました。今まで過激な活動をさせてすいませんでした。財務をむさぼってすいませんでした。創価のために多くの犠牲を払わせてしまい、ほんとにすいませんでした。」と誠意を持って謝罪するのが先でしょうが、と。
謝罪することは一切なく、『我々には関係ございません。今の指導はこうです!!』というのはあまりにも不誠実極まりないな、と。
過去の輝かしい極悪の創価史実をないものとする今の創価こそ、もっと許せないです。

●元栄光地区婦人部 (2016年12月24日 08:40 )
まるちゃんさんへ
>悪しき創価の伝統は、日蓮正宗のもの、もしくは「悪い幹部によるもの」
おお、やはり私の地域と同じことを言われてる方もいらっしゃるんですね!
本当にどうなってるんでしょうか。池田大作の指導で「進まざるは退転!裏切り者の末路は哀れ」と散々脅されてきたのに、「信心するのもしないのも自由。今の学会では罰とかいうのはないんだよ。あれは日蓮正宗のもの」なんて、ゆるゆるになってしまった。
そんなことを今更言われたら、これまで「絶対的正しい教えだよ」と周囲に言って回ってきた私の活動はなんだったんだ?と思うし、染み付いてしまった強迫観念は簡単には消えない。
池田を始め学会幹部達は、日蓮正宗の教えを正しいと思って会員の皆さんに信じ込ませたことを謝罪するべきだと私は思います。そうじゃなきゃ人として不誠実すぎます。
ノジコさんへ
遅ればせながら退会おめでとうございます。
退会後は気持ち的に、「罰があるんじゃないだろか・・」とか不安になることがたまにあります。みんな通った道なので大丈夫です(^_^)
綺麗な夕日と虹が見れて、よかったですね!
退会することで、心にかかっていた独特なフィルターがなくなります。
綺麗なものや感動するもの、きっと今まで以上に自分の心の中で輝くと思いますよ?

●哉文 (2016年12月24日 17:59 )
こんにちは。脱会済み40代、哉文です。
かつて創価の頃のお話
九州のどこかで、人が狂犬に噛み殺されたというニュースがありました。
幹部が言うには、それを聞いた池田センセーが、「あのニュースの被害者はきっと、脱会者だ。調べなさい。」と言ったそう。幹部が調べると、脱会者だったと。それで、こういう話は、バチを喜んでるみたいに思われるから、公には言わないけど、創価辞めるとたいへんだよ!」と、幹部伝いに言われて信じてました。
他にもありまっせ!
辞める恐怖創出装置ありまっせ!

●元栄光地区婦人部 (2016年12月24日 20:49 )
ちーたんさんへ
はじめまして。元学会2世 おてもやん白蓮Gだったものです。
これは豆知識として紹介する話ですが、創価学会では秋谷会長の時代に、「今の宗教は無力で無害だから地域行事などで神社などに行っても良い。心の中で題目を唱えればOK 」という通達を出しています。
新聞啓蒙する割に新聞を読まない信者が多いせいか、これを未だに知らない学会員もいたりします。
というわけで神道政治連盟とか公明党にはどうってことないですよ。

●スマイル (2016年12月24日 21:59 )
哉文さんの狂犬の話、相変わらず創価の卑怯な手段ですね。
おそらく作り話か、本当に脱会者で地元の幹部から話が上がっていったのを利用しているのでしょう。池田がたまたまそのようなニュースを聞いて調べたように指示したかもしれません。
まあ『脱会したからバチが当たって狂犬に噛み殺された』と創価は言いたいのでしょう。
そして心理的にこの話を聞いた会員を創価に縛り付ける作用がありますね。
もし狂犬に噛み殺された被害者が活動家だったら、『菩薩、悪像等においては心に畏怖することなかれ、ただ悪知識という信心を破るもののみをおそれよ活動家の法華経の文を引いて、『事故などで亡くなっても生前の活動が立派だったから成仏間違いなし』などとほざいていたでしょう。
創価の陳腐な作り話は胸糞が悪くなります。
創価は罰当たりばかりなので、ロクな死に方をしない。というのが真実。
池田は罰当たりだから、人前に出れないほどひどい状態になって死んでしまったともう直ぐなるでしょう。
ある著名な歴史家が非公開の席で言ってましたが、池田の死も近いようです。

 


解説
『罰なんかなかったよ』のテーマは、異様な盛り上がりをみせたようです。

元栄光地区婦人部さんが活発に発言するようになってきました。

この方は、のちの「おてもやん」さんなんですね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(11)

2022-08-25 01:35:48 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■罰なんかなかったよ       投稿日: 2016年12月17日

みなさん、たくさんのコメントありがとうございます。
とくに第3ステージになってから、コメントの内容がますます深くなっているように思われます。あのような形で休止になって、今後どうやって再開したらいいのか、またどのような形で継続できるものなのか、正直わかりませんでした。テーマ設定にしても、これまで通りでいいのかもわかりませんでしたので、手さぐりの再開でした。幸い皆さんからのコメントが以前と同じくらいの数になりましたし、以前よりも増して内容が深くつきささるようになっていると感謝しています。
皆さんから次々と寄せられる創価の恐ろしい実態は、少し読んだだけでも、創価学会がまともな宗教ではないことなどすぐにわかることなのですが、皆さんが一様におっしゃるように、創価に騙されている間は、そのことにどうしても気づけない。そしてその原因が気づくことに対する異様なまでの恐怖心がそうさせているということもはっきりしました。もともとありもしない功徳と罰に翻弄され、自ら人生を狂わせている学会員さんが、1人でも多く皆さんの渾身の訴えを目にすることで、なんとか自分で自分の人生を考えるきっかけになってくださればいいと、ますます願わずにはおれません。
学会員さんに「創価の活動をいくらやっても功徳なんかないよ」といくら伝えても、それはその人の人生を頭ごなしに否定するだけのことになってしまうし、創価はそうしたときの都合のいい言い訳もちゃんと用意しているので、学会員さんは自分にとっての都合のいい言い訳として、ますます創価の殻に閉じこもってしまいます。
それよりも「創価を疑っても罰なんかないよ」と伝えるほうが、いくらかは届くのではないかと思うようになりました。学会員さんは創価を一途に信じようとすることで、罰への恐怖心を無理やり消し去ろうとします。一心不乱にカラーコピーの曼荼羅に題目を唱え続けるのは、仏教が一神教的な他力本願のおねだり信仰と勘違いした上での「功徳が欲しい」というのもあるでしょうが、同時にどうしても心の底から湧き上がってくる創価への不信感、あるいはどうしても不信を抱いてしまう自分の心を否定しなければ恐ろしくてしかたがないといった恐怖心を、思考停止によってごまかそうとしているように思えて仕方ありません。日々の勤行唱題は、真面目な信者でいることの安堵感というよりも、現実の問題を勤行唱題によって逃避し、そんな自分の心の底から湧き上がる不信感と恐怖心を、さらに勤行唱題によって封じ込めてしまう日々なのだと思います。現実の問題が解決されないばかりか、自分の心を否定し続けることの日々がいつか精神のバランスを崩してしまうのは当然のことだと思います。勤行唱題というのは、アドレナリン分泌によるその場限りの高揚感と現実逃避をもたらすだけであって、何一つ問題の解決にはなりません。
「今の自分を疑っても罰なんかないんだよ」と言ってあげるのは、じつは学会員さんが心のそこに封じ込めているいちばん望んでいる言葉なのではないかと思いました。それを他人が言ってもなかなか通じるものではありません。要は最終的に自分が自分に対して「疑っても罰なんかないんだよ」「自分の心に正直でいいんだよ」と言ってあげられる。つまり何よりも自分を信じることが大切なんだと気づくことで、初めて自分が何をしてきたのかが理解できるのだと思います。
このブログにある20000近くのコメントは、そんな「創価によって自分を見失っていた人たちの赤裸々な記録」です。これから30000、50000、100000と積み重ねていきたいと思います。これこそが創価学会の実態であるという動かし難い実証を、これからも皆さんとともに残していきたいと思っています。どうかこれからもよろしくお願いします。
ということで、今回のテーマは「罰なんかなかったよ」とさせていただきます。「創価を疑うことは死ぬほど怖かったけど、思いきって自分の心に正直になったら、まったく恐れることはないし、もちろん罰なんかあるわけないこともすぐにわかったよ」という皆さんの体験のお話しをお願いします。
それと、おかげさまでこのブログの500万アクセスが、どうやら来年の1月末に達成できそうです。そのときはまた皆さんでお祝いしましょう!これまで100万アクセス達成ごとにお祝いしてきましたが、今度はなにしろ5000000アクセスなんですから(笑)いつもよりもっと派手にお祝いしたいですね(^ω^)

●セイコ (2016年12月17日 17:31 )
創価を離れて3年が過ぎましたが、至って平穏に暮らしております。
むしろ、あの忙しい生活から開放され、心も時間もゆとりができました。
嫌な人、苦手な人と無理して付き合う必要もないですし。
仏道修行?自分が成長できる?とんでもない。私にとっては何の罰ゲームだ、くらい苦痛でした。
スピリチュアルな人達からいわせると、波動を下げるような人に、自分から近づかなくていい。
愛想笑いしてる自分が嫌いでした。
活動から離れて随分たった時、以前信頼していた幹部から「寂しくない?」と聞かれました。
いや、全然。むしろ新しい知り合いできました。
暇ができたので、ガーデニング(というよりただの庭いじりです)を始めたら散歩やヲーキング途中の人とも言葉をかわす機会もふえました。
隣に住んでるにも関わらず、今まで顔を合わせることもなかった娘さんとも親しくなりました。
何が嬉しいって、新聞頼まなきゃあとか、選挙のお願いいつ言おうとか、へんな下心無しでお付き合いできることです。
まだ、こわいですか?
罰なんかないとして、これから困った時とか、悩んだりした時にどうしたらいいんだ?
とかも思いますよね。
今まで乗り越えてこられたのはご本尊様があったから。
ではそれが、何の力も無い、ただ無駄に高いだけの紙だとわかったら。
今まで乗り越えてきたのはあなた自身のちから、ではないでしょうか。
自分を信じてください。カラーコピーの紙にはなんの作用もありません。
それでも不安なら、信仰と組織を切り離して、自分だけで信仰してみてもいいかもしれませんね。
本来、宗教は自立を促すものであるべきなのに、組織にとって都合のいい依存症の人間を作り出してしまうことのほうが罪ですよね。
罰について、とあるお坊さんが「ひとが悪いことをして苦しまないように、道徳、倫理を説いた仏教の言葉遊び的なものです。」とか
又、別のお坊さんは「罰というものは、本来仏教には存在しないものであります。なぜならば、全て私達にもたらされるものは、苦、だとしているからです。」といってるみたいです。
人生、なにがあるかはわかりませんが、現実を受け入れることのできる自分でありたいです。

●元栄光地区婦人部 (2016年12月17日 18:57 )
こんにちは
学会2世、元白蓮Gでもあった元栄光地区婦人部です。
「罰なんかなかったよ」
今回もとても良いテーマですね。いろいろ書きたい事が頭に浮かびます。
私にまず言えることは、「かと言って脱会して良い事が起こるというわけでもない」ということです。
これを前置きしておかないと、「信仰体質」の人はまたもや何がしかの宗教に依存してしまいかねません。
脱会後、私自身は全てが好転したわけではありませんでした。長年培ってしまった宗教的思考「自分のことより困っている人を見たら救わねば!」という考え方のせいで、不幸そうな人を助けずにはおられず、結果的にいろんな人に振り回されるという波乱万丈な人生を歩みました。
創価学会にいた時は、「因果の法則」という思想を徹底的に植え付けられました。
原因がなければ結果はない!と、似非科学的な思想です。
これが科学であれば、きとんと何がどう作用してこのようにな結果になったのか説明できるものですが、学会で言うところの因果の法則は、全てが「推測」でしかあり、信じるしかありません。
脱会後の私は、「なぜ因果の法則なんて証明もできないものを自分は信じてしまうのだろうか?」と自問自答をしました。
やがて、見えない未来への不安から「信じたがっている自分」がいて、あたかも普遍的な法則のように思い込んでいるからだと理性的には考えられるようになりました。
ところが、理性でわかっても、いざ因果の法則が存在しない世の中を受け入れようとしてもとても困難でした。
つまり、必然の対局である「偶然」というものがどうしても受け入れられないのです。
まるで高い山の上から透明なガラスの上に足を踏み入れようとして怖くて進めないような感覚とでも言いましょうか。
ここまで来れば後は自己暗示をかけ続けました。自分自身の心を呪縛しているモノがわかったわけです。
「世の中に必然などない、すべて偶然、たまたま」
するとあら不思議、偶然ということがとても有難く素晴らしいものに思えてきました。
だから、明日どうなるかはわかりません。人生を保証するものがなくなったわけです。
でも、苦しんだりのたうち回ったりするかもしれないけれど、それらも全て含めた人生を生き抜くことこそ、この世に生まれた人としての「生」を謳歌することだ!と思えるまでに自分は強くなれました。
普通の人が聞いたら「そんな当たり前のこと・・」と笑うかもしれませんが・・・(^_^;)

●009 (2016年12月17日 19:32 )
50代 元創価な009です
(^o^;)
小学生のころ
四人で学校の机を囲んで
「鳥居」のマークと「ひらがな」と
「数字」と「はい」「いいえ」って書いた紙の上で、10円玉を四人の人差し指の先っぽで持ち上げて、お告げをもらうオカルトっぽい遊びがありましたね。
コックリさん、コックリさん
どうぞ、お入りください。
お入りになったら
「はい」にお進みください。
10円玉→→→「はい」
まじ!ゾワゾワ~・・(*_*)
最後に、コックリさんが鳥居から帰らないとかなりヤバイ事になるって、みんなが真剣な顔しながらやっているのを、横から涼しい顔で見ていたのは、いつも何故だか鳥居をくぐらない変な奴です(笑)
私からすると、創価のバチもコックリさんのタタリも同じレベルの話です!
って言ったら、覚醒途中の方は気を悪くされると思いますが、カルトと言われる教団のパターンはどれも同じです。施設に監禁しているか、野放しだけど精神的に隷属されているかの違いだけで、人の恐怖心を煽って繋ぎ止めているに過ぎません。ちょっと体罰が有るようなカルトもあるようですが・・
その意味に於いては、日蓮という坊さんは、日本のカルトの走りなのかもしれません。
日蓮の教えは
当時の末法思想に便乗し、庶民の恐怖心と不安感を旨く利用して信者を獲得する為の教えです。
あの有名な龍ノ口の法難ですら、僧籍に有るものを処刑すれば「祟り」が降りかかるという時の権力者の恐怖心を逆手に取って、絶対に殺される筈がないという前提の上で暴れまくったという見方もあります。そもそも龍ノ口の法難で火の玉だか何だかっていうくだりは日蓮以外の文献は無いですからね(笑)
創価の指導もそれに乗っかっているだけの事。
言っているのは「信じなさい!疑ってはいけない!」「退転者は地獄の境涯です」それだけです(笑)
ではここで・・
皆さんが、大好きだった人間革命でも読んでみますか(笑)
『ここで伸一は、信心の究極は、「無疑曰信(むぎわっしん)」にあることを語っていった。「『無疑曰信』とは、『疑(うたが)い無(な)きを信(しん)と曰(い)う』と読み、何があろうが紛動(ふんどう)されることなく、どこまでも御本尊を信じて疑わぬ信心です。その信心に立った時、三世十方(さんぜじっぽう)の仏(ぶつ)・菩薩(ぼさつ)が必ず守るであろうことは、御聖訓(ごせいくん)に照らして間違いありません。』と。
すごいですよね!
この学会マニュアル(笑)
家族が病気で苦しもうが、会社が潰れようが、リストラされようが、毎日毎日もがき苦しむような苦しい事があっても、悲しい事があっても、あなたが幸せに成らないのは、あなたの「信じる力が弱いからですよ!」って言ってんですよね。
おいおい、どんだけぇー?!
って思いますよ(笑)
ところが、
こんな指導も創価脳にかかるとこうなります。
(バリ活ブログから引用)
『私は、この言葉を教えてもらった時、「疑い無きを」とは疑わない事とは、少し違うと教わった。疑っても疑っても、その疑いは、お題目をあげていくとともに、晴れていくのだと。そして、やがてご本尊を疑わない自分になるのだと。』
あー
悪夢だー、俺こんなアホだったんかー
(;_;)
疑っても疑っても・・って
それちゃうやろー?
?外部の方の為に解説?
『無疑曰信』は、その昔中国天台宗の、中興の祖(6番目)と言われる妙楽(西暦750年頃)が法華経宣揚の為に書いた『法華文句記』にある言葉です。
『疑い無きを信と曰い、明了なるを解と曰う。』
これを日蓮は、
大変な仏道修行なんかしなくても、特別な呪文を唱えると摩訶不思議、摩訶不思議!誰でも成仏してしまうのだー!ありがたやーありがたやー
信じなさいっ!
とにかく信じなさい!と言い出しました。
『一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり』
こんな感じです。
これにとセットになっているのが罰論ってやつですね
覚醒段階の皆さん、
バチなんかありませんよ(^o^)/
普通の生活に速く馴染みましょう。
レモンさん、ジンジャーさん
ありがとうございます。
ジンジャーさん、落ち着いたようでよかったですね!
長くなりました m(_ _)m
009でした

●ミドリムシ (2016年12月18日 12:29 )
皆様こんにちは。二世でバリ活20年、ユル活4年、非活もうすぐ3年のミドリムシです。
レモンさんがおっしゃっていたように、もし罰があるなら脱会した人達が戻って来る筈ですよね。
私も最初はそのつもりでした(笑)
私も二世ですので幼少より刷り込まれた罰論が恐ろしかったです。
そこで私が最初に試したのは『実験証明』です。牧口初代会長が言っていた『大善生活実験証明座談会』でしたっけ。あの逆をやってみようと思った訳です。勤行、唱題、会合出席を一切止め、生活がどうなるかを試してみようと思ったのです。
もし、罰らしき物が起こったら直ぐに活動を再開しようと(笑)
結果…何も起こりませんでした。
その後覚醒はドンドン進み非活生活まっしぐら、現在ではご本尊…いや、「無駄に高い紙」も捨ててしまいましたが、何も起こっておりません。
何かの御書に『謗法の者は一年、三年、七年が内に罰が当たる』みたいな事が書いてありましたが、勤行止めてそろそろ六年、後一年で何かあるか?多分何も無いでしょう。
多分、創価脳の方々は同じく御書に『来世で堕地獄必至の者は現世で何も起こらない』とか言うんでしょうね。
もう、何も気になりませんが。
ただし、元栄光地区婦人部さんもおっしゃっていたように、取り立てて良い事がある訳でもありません。
しかし、良い事も悪い事も起こるのが人生。馬鹿げた創価の活動に時間とお金と労力を取られる事が無くなっただけでも功徳かも?(笑)

●suzuki (2016年12月19日 13:10 )
私は元学会員で、今は日蓮正宗の法華講員です。
今はまわりに感謝し、常に幸せを感じながら生きています。
学会が宗門から破門される1年前に家族全員で脱会し、以来ずっとお寺にお世話になっています。
学会員当時、両親はバリバリの活動家でした。
選挙のとき、お菓子を配りながら近所をまわったりもしました。今考えると賄賂ですね・・
当時私は小学生でしたが、それでも池田センセイ、池田センセイと、池田教と化していく学会をみて、なんかおかしいなと思っていました。
クラスにも会員の子供が何人かいましたが、自分も含めて問題児ばかりでした。
成績も非常に落ち込み、精神状態も不安定なことが多くなりました。
そんな折、学会に疑問を抱いた父が脱会を提案し、家族全員一致で脱会を決意。
近所に学会員が多く、引っ越しをすることになりましたが、お寺の近くに住むことが出来ました。
お寺に通ってご住職様のお話を聴くたびに、日蓮正宗の教えは本当に素晴らしいと、実感するようになりました。
学会にいたときのことが嘘のように、精神も安定し、成績も良くなり、友達関係も良好でいじめられることもなくなりました。
学会をやめて、お寺につき、20年以上経ちますが、本当に学会をやめてよかった、お寺につくことができて、本当に幸せだと日々思っています。
私の通っているお寺には、私を含め、元学会員の方がたくさんいらっしゃいます。みんな学会に疑問を持ち、本当に幸せになれる教えを求めてお寺に来ている方々です。
日蓮大聖人様の教えは本当に素晴らしいです。学会で教えていることは、日蓮大聖人様の教えではありません。
ぜひ、お近くの日蓮正宗のお寺へ行ってみてください。学会の現状のことも、本当の大聖人様の仏法のことも親切に教えてくださいました。
1人でも多くの方が、正法に帰依し、幸せになれるよう毎日ご祈念させていただきます。

●signifie (2016年12月19日 19:21 )
suzukiさん、初めまして。
管理人のシニフィエです。コメントありがとうございます。
suzukiさんは、子どもの頃は創価学会員で、今は父親の判断で家族全員が日蓮正宗の信仰をされているということですね。
このブログをある程度さかのぼってご覧になったらわかることなのですが、このブログでは創価学会の問題について皆さんにお話を伺っています。日蓮正宗にはできるだけ触れないようにしています。とはいえ、創価問題の一端を担っている日蓮正宗のことにまったく触れないわけにもいきませんが、あったとしてもあえて必要最小限にとどめています。あえてと申しましたのは、少なくとも私は日蓮正宗はもちろん、日蓮の教義に対してはかなり懐疑的な考えを持っています。ただそれを取り立てて問題にすると、本来の創価問題の焦点がぼけてしまう可能性があると思っているからです。例えば日蓮正宗は創価学会を破門するまでは池田大作のいいなりになって、学会員を不幸にしてきたことの事実に関して何ら謝罪をすることなく、創価学会と同レベルの罵倒合戦、訴訟合戦を続けています。その目的は、創価学会からいかに信者を獲得するかの競争をしているように見えます。しかし、ここで今更そんなことを問題にしたところで何の解決にもなりません。ですから「あえて」日蓮正宗の問題に関しては必要最小限に抑えているというわけです。
当たり前の話なんですが、このブログでは個人の信仰に関しては何も言いません。憲法によって信仰の自由が保障されている日本において、そんなことは許されないからです。しかしながらご存知のように創価学会では「この信心をしなければ罰があたる」「あいつは創価から離れたからろくな死に方はしない」などといった言葉で繰り返し学会員を心理的に追い詰めるなど、信仰の自由はおろか、とんでもない人権侵害を平気で行うような組織です。私たちはそのようなあからさまな犯罪行為に異議を唱えています。間違っても宗教はこうあるべきとか、この信仰をするべきだなどといった発言はここではしませんし、するべきことでもないと考えています。
つまり、suzukiさんが日蓮正宗の信仰をすることに関して、私やこのブログに参加してくださる方は何も言いませんし、言うべきことではないと考えています。と同時に、suzukiさんはこのブログにおいて日蓮正宗の信仰を勧めるような発言をするべきではないと考えます。例えばsuzukiさんご自身が自分で立ち上げたブログでそうした発言をすることは自由です。ただ、他人のブログで特定の宗教を勧めるような発言は誰であろうとすべきではないと思います。ですからsuzukiさんは「日蓮正宗の信仰をしましょう」とこのブログで発言すべきではないと私は考えますがいかがでしょうか。

●あすなろ (2016年12月20日 10:34 )
signifieさんのsuzukiさんへのコメントに同意します。
私も日蓮の教えには懐疑的です。というか強く否定します。
日本は信教の自由が保証される法治国家ですから何を信じても自由。個人の裁量に委ねられていますので批判めいたことは言いませんが…。この際、宗教書を読まれたらいかがと思います。仏教研究の大家と言われた東大の故中村元先生の本がいいと思います。
特におすすめは三枝充悳さんとの共著「バウッダ」(講談社)ですね。原始仏教から大乗仏教へ釈迦の教えの真実が書かれています。
テーマとかけ離れてすみませんでした。

●ルフラン (2016年12月20日 02:08 )
こんばんわ!
マリーさん、本当に皆さんの体験よんだり、かくことで忘れた記憶が甦ってくる、ここはすごいブログですね、びっくりです(@_@)
レモンさん、じーんとしてくださり嬉しいです。
昨日も2番目の娘が花籠をかかえ、看病(風邪)にきてくれ、嬉しかったのですが、うつるのですぐ帰ってもらいました。
レモンさんの新婚時代をその後、池田の婦人に置き換えて考えてみました。
話が飛びますが、「香峰子抄」、、あんなにつまらない本がミリオンセラーになんでなったのか、どんなに考えてもわからなかったのですが、ここで、理解できました。何冊も一人の人が買って誰彼となく贈呈していたんですね。半強制的に勉強会資料として私も買って読みましたが、記憶にないほど、つまらい本でした。
そして、勉強会、げっ、ほんとにやるんだ。しかも、一人ひとり、感想を述べよ。。。つまらなかったと言えば空気が悪くなる。
私は、先生がご執筆中、なにかあったとき、すぐ行けるよう、奥さまは廊下に布団をひいて寝たことが偉いなと思いました、、みたいなことを、言った記憶があります。
他の会員さんも、すごいねぇ、立派だねぇ、真似できないねぇと抽象的な意見しかなく、ちっとも、勉強会っぽくありません、得るものは何もありませんでした。
その後、他の人もつまらなかったのか、ブックオフにはずらーーーとかねさんの本は100円で並んでいました(高い)。
確かに池田の妻は大変なご苦労があると思います。しかし、お手伝いさん、子供シッター、料理人などいて、かねさんは活動しているだけでよい身分だったのですよね(活動してたのか?)。
しかも、有り余るお金でまわりからチヤホヤされていた。
途中から、池田に付き添うようになり、ツーショット写真が見られるようになったとき、思わず、笑ってしまいました。かねさん、いつも池田の隣に、同列に、微妙に隙間を作って離れてたっています。バッグは腕を曲げてもつわけでなく、どーんと腕を下におろして無造作に持っています。足も開いていてO脚をごまかす訳もなく棒立ちですね。カメラマンやスタイリストも池田夫婦が怖くて何もいえなかったんですかね?
有名人夫婦のスナップでこれ程あか抜けない写真は初めてみました。
また、池田は私が女子部のころ、恋愛禁止にしたり、戦いきって結婚しなさいとの指導をしていました。おかげで40過ぎで子供なしの戦いきって結婚した元婦人部がゴロゴロいます。戦いきったわりに離婚も多いです。
でも、かねさんは、戦う前に20歳で結婚したんですよね。社会の厳しさのなんたるかも不完全な状況で、婦人部指導したり、会員さんが尊敬できるほどの本を良くだせましたね。
なん十年創価にいても、池田家は、天皇家よりわかりませんでした。。。闇が深すぎて。。。

●三代悲報 (2016年12月20日 14:19 )
みなさん、はじめまして三代悲報と申します。
約10年前に脱会済み、40代三世、元男子部です。
ラインでは地区リーダー、S班でダサイジャケット着て着任してました。
自分は創価脱会→正宗に入り→そして正宗で未活動。信仰そのものが嫌になり現在に至っております。
正宗を勧めてる方がいらっしゃいましたが、自分も管理人様と同意見です。
元を正せば創価の元凶は日蓮正宗です。
法華講の方々も今回のテーマ罰の事をよく言われていましたよ。退転したら?とか、学会員は?とか。
結局…創価辞めても一緒じゃねぇか??と思い華麗にフェードアウトしました。
伝統仏教か新興宗教の違いだけで、根本の思想はまったく同じ。目くそ鼻くそです。
日蓮さんの教え自体がアレですから…
創価も正宗も罰と功徳で人々の心を縛り付けてます。身をもってカルトサーフィンした結果です。どちらもヤったから幸せ。辞めたからバチが当たったなんて事はなかったですよ!
今は何も縛りがない無宗教が一番幸せだと感じております♪
管理人様のあまり触れないようにしていた配慮は理解できますので、承認はお任せ致します。

●スマイル (2016年12月21日 14:50 )
池田にまつわるエピソードはいろいろありますね。
汽車に乗っていて、隣のお腹すかせた親子に弁当を買ってあげたとか、謎の池田の手紙とか。
あと森ケ崎海岸の歌のキリストに入信した友人は後から創価に入会したと噂がありましたよ。
基本的に『宗教ビジネスのために作り話をつくる。伝統を作る』なんですよ。
蒲田の戦いとか関西の11111世帯とか。
あんなの適当ですよ。
とにかく伝説作りです。嘘でもなんでも伝説作っておくと、そのうち人は記憶が曖昧になったり引っ越したり、死んだりしますので、嘘か真実かわからなくなります。それが狙いです。
ちなみに嘘ついてると、嘘つき本人も嘘が本当だと思うようです。以前勤めていた組織の長がそうでした。
創価って、とても上手に人を動かしています。牙城会とか創価班とか、フツーやらないですよ。
ストーリーを作ってそこに人を参画させる手口。
見破れば簡単です。

●Toppo (2016年12月21日 18:50 )
スマイル様のおっしゃる通り、池田にまつわるエピソードは、美談に属するものは、残念ながら(?)ことごとく、口コミで伝えられた作り話みたいですね。もちろん事実を脚色したという程度のものもいくらかあるでしょうけれども。
逆に、矢野氏をはじめ、長年にわたってすぐそばで池田を見てきた人たちが書いて居られる眉をひそめたくなるような話の方は、どうも殆ど全部本当のようです。
ちなみに、私の妻は学生の頃(40年程前)にじかに池田に会っています。道端での会話ですが。一言、力強く言われたそうです。「いいかい。絶対退転しちゃいけないよ。何があってもついてくるんだよ」と。
一目でカモだと見抜いたんでしょうかね。いまだに妻の洗脳は深く、ちょっと解けそうにありません。
まあ、辛抱ですな。
殆ど無意識にパッ、パッと人をコントロールする言葉を発してきたんでしょう。麻原も福永も多分そうじゃないですか。
真実は何かの拍子にだーっと明らかになるものと思います。

●あにき (2016年12月21日 19:02 )
非活約1年、二世、アラフィフのあにきです。
まるちゃんさん。その支部婦人部長、脳ミソ逝ってますね。
30年ぐらい前になりますが、学生部のときは、本尊流布ができていないと、班長の次のグループ長には成れませんでした。本尊流布ゼロのメンバーは、学会の活動家としては、失格の烙印を押されていたのです。
面接のときなどで幹部がそうしたメンバーを罵倒するのをよく見てきましたが、そのたびにイヤな思いで一杯になったことを思い出しました。
今はどうかわかりません。ただ、折伏成果の付け替えが横行したということは、創価の力が落ちてきた証左でしょうね。

●ルフラン (2016年12月21日 20:59 )
こんばんわ!
うちは、子供の一人が社会人になり、転勤で家を出る時、入会カードを書かせられました。しかも、私の了解もなく。子供部屋をお掃除しているとき、初めてみて、入会者が子供の名前になっていたので、驚きました。
すぐ、地区婦人部長に電話で、抗議しました。「うちは生後3ヶ月で入信していたのを統監で知っていますよね。分所帯の用紙になぜ、書かせないのですか?活動もして、役職もあって、それで、新会員っておかしくないですか?」っといったら、「そういうもんです、継続して、活動ができるし、書類上のことだけでなにもおかしいことはありません」と、言われてしまいました。子供も新しい人生の出発に波風たてたくないとのことでしたので、黙って見送りましたが、今だに納得できません。
紹介者が誰になったのか分かりませんが、そんなあざといことをしてまで、数や実績が欲しいのでしょうか?
創価のやりぐちは異常です。いい加減です。数の操作を一生背負う人生で末端の幹部の方は幸せですか?
前レスに折伏の横取り記事が出ていましたので、ふっと、過去の苦い経験が思い出され、罰のような生活を送っているのは、一体どちらなんだろう、、。
今は罰どころか、二重人格にならず、せき立てられず、無駄な時間も労力も奪われず、見栄すいた事もしない。正直に生きてゆけることがこんなにも、素晴らしいことなんだと、日々の幸せを噛み締めています。
大きな災難も長い一生にはあります。でも、毎日、数にせかされ、自分に嘘をつき活動をすることを考えれば、自分自身に降りかかる大きな苦悩を乗り越える努力に一生懸命のほうがよほど、人生が輝くと思っています。そこに、罰など、ありません。
創価では、策や方法にはしるな、黙っていのれ!みたいな思考停止型指導があります。
人間の頭は飾りじゃ、ないんだから、困ったとき色々考えるのが、当たり前の人間です。

 


解説
「罰なんかなかったよ」というテーマで、いろいろな人がコメントを寄せています。

私自身、創価学会を辞め、罰なんかなかったと断言できます。

ただ、これまで長く信じていた信仰を捨てること、ましてやご本尊を破いたり焼いたりする行為は、軽々にすべきではありません。
それなりの精神的な葛藤や、鬱状態を生じることがあります。
とりあえず非活になり、少しずつ時間をかけて創価の思考から離れていくのがよいのではないでしょうか。
ご本尊をお返しすることになったとしても、これまでの感謝の念を込めて本部に郵送すればいいだけのことです。

私自身はその後法華講に移り、そこの古い体質にあわず、「法華講みかつ」状態です。
でも、心のよすがとして、信仰を捨てなかったことを良かったと思っています。
私の経験を他人に強制するものではありません。


獅子風蓮


対ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(10)

2022-08-24 01:32:43 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■考えると恐ろしくなる自分         投稿日: 2016年12月13日

今回は「創価がなんかおかしいんだけどな」とちょっとだけ疑問を抱いている学会員の皆さんにお話しします。
一度全ての自分の先入観を捨て去って、シンプルに考えてみて欲しいんです。と言われてもそう簡単にできることではありません。私たちは先入観によって多くのことを判断して生きているからです。でもそこで一度でいいからあえて先入観を捨てることを頑張ってみてください。いいですか。決めつけなくたっていいんですが、仮に「創価学会が宗教ではなく詐欺だとしたら」と仮定して創価が言ったりやったりしていることを冷静に眺めてみてください。仮にだから無理しなくていいんです。あくまで仮定の上で、まずはぼんやりと自分がイメージしている創価学会のことを思い浮かべてみてください。そうした中で、いつも教えられている「創価は世界で唯一の正しい宗教団体だ」という前提で見たときと、このブログで一貫して訴えている「創価は会員をことば巧みに騙してお金を巻き上げる詐欺団体だ」という前提で見たときに、創価学会が実際に言ったりやったりしていることとは、どちらの前提がしっくりくるかということを、いちど先入観を捨てて考えてみてください。先入観を捨てシンプルに自分の気持ちを見つめてみることは、決して悪いことではないのですが、その考えて見るという中で、なんとなく「自分は創価を疑おうとしているのではないか?」といった気持ちになると思います。と同時に、言い知れないようなわけのわからない恐怖感が湧いてきませんか?
このように自分の気持ちについてあらためて考えてみること自体は、決して悪いことではありません。ところが創価を疑ったら不幸になると脅され続けていると、恐ろしくてそんな仮定の想像すらできなくなります。私が言いたいのはそこです。その疑うことに異常なほどの恐怖感を感じてしまう自分がいるという、まさにその事実について「自分は創価を疑うことになんでこんなに恐怖を感じているのだろう?」と考えてみて欲しいのです。
もう一度訊きます。自分のことについて自分で考えるということは悪いことでしょうか。「自分が何かを考えただけで不幸になってしまうと恐怖感を覚えてしまう自分ってなんか変なんじゃないか?」って思いませんか?
何かしら恐ろしい状況を想像する。例えばストーカーにつけまわされるとか、高速道路での走行中に他の車が突っ込んでくるとか、そんな状況を仮定して恐怖を感じるのなら話はわかります。誰だってそうですし、恐ろしいと思うのは当然だし、人間も含めた動物にとっての恐怖感は、生きていく上での危機管理としてなくてはならないものです。逆にそうしたことに恐怖を感じなければ安全な生活できません。何かに恐怖を感じるというのは、とても自然なことだということです。でも、自分が正しいと信じている創価学会のことを、ちょっと「変だな 」と考える自分に恐怖を感じてしまうということ自体は、決して自然なことではありませんよね。でも実際に創価を疑おうとするだけで恐怖感に襲われるという現実がここにある。一体これはどういうことでしょうか?
結論から言えば、知らないうちそのように思い込まされているということではないでしょうか。こんなことに自然と恐怖を感じるなんてそれこそ不自然です。ということは自分が知らないうちに、さもそれが当然のことように感じるよう意図的に教えられたということではないでしょうか。
本来は恐怖感を抱くようなことではないはずのことに、異様に恐怖感を感じてしまう自分がいる。このわけのわからない恐怖心が嫌でたまらないから、考えることそのものを放棄してしまう。いつしかそうしたことを考えることを最初から放棄してしまう。これが学会員さんに共通して見られる思考停止というものです。このブログでは「創価シャッター」と名付けています。
大切なのは、まさにこうした自分の現実。知らない間に思考停止してしまっている自分がいるという現実から目をそらさないことです。本当なら決して難しいことではありません。これが普通に物事を考えるということだからです。もしここまで読んできて「あれ?そういえばそうだよな」と思えることができたら、話は早いと思います。要するに、学会員さんは何かにつけて「疑ったりすると恐ろしいことになますよ」と脅され続けていますから、普通の人が普通に考えることが、学会員さんはできなくなっているということだからです。今の時点で創価がいいのか悪いのかそれはわからない。いや、おそらく創価悪いはずがないと信じているでしょう。でもあらためてそのことを考えようとしたときに、その考えることそのものに恐怖を覚える自分がいることは決して否定できないはずです。
はたから見ればそれは異常なことなんです。でもあることを考えた瞬間に思考をストップしてしまう自分がいるとすれば、逆に自分のことを自分で考えることを自分で許すことができたなら、創価が詐欺であることぐらい、誰にだって理解できるということです。
このブログでコメントしてくれている多くの皆さんが同じように言われるのは「なんでこんな簡単なことに気がつかなかったのだろう」ということです。つまり創価を疑う、あるいは創価について自分で考えることと条件反射的に恐怖心とをくっつけて、それ以上怖くて考えきれないようにさせられているということです。だから、あえて自分で考えることを頑張ってやったら、創価が詐欺だなんて当たり前のことはすぐ合点がいきます。ただすでに無意識に植えつけられている恐怖心のメカニズムですから、そう簡単に消えてなくなるものではありません。だから頭でわかっていても、その恐怖心が何かのきっかけで襲ってくるのは、むしろ当然とも言えます。来る日も来る日も「創価は正しい宗教団体だ」「これを疑うと恐ろしいことになる」と教え込まれてきたわけですから、その恐怖心が消えるのは、人によっては教え込まれてきた時間と同じぐらいかかるのかもしれません。
まずは自分で考えることに恐怖感や違和感を覚えないことが大切です。変な話ですよね。自分で何かを考えるだけで恐ろしくなって震え上がるような自分って。そんな変な自分から抜け出す努力をしてもいいんじゃないかと私は思います。
いかがですか?今はまだ創価を疑うなんてこと自体がおかしいと信じているでしょう。その気持ちはよくわかります。私やここにいらっしゃる皆さんのほとんどがそうでした。でも、創価を疑うこと自体に、自分でもわけがわからないほど恐怖を感じている自分がいるということまでは否定できないのではないですか?だったら、そんな恐怖を感じている自分という現実にまっすぐに目を向けることは、決して悪いことではないと思いますが、いかがでしょうか。
ここの皆さんは、こうして現実に向き合ってきました。その結果、今まで正しいと信じて疑わなかった創価学会が普通に考えて詐欺だということが理解できる自分になったんです。これをこのブログでは覚醒と呼んでいます。でも、覚醒って言ってもそんなに大げさなことじゃないんです。最初から言ってるように、「自分のことを自分で普通に考えることができるようになる」ということです。これって本来普通のことなんですよ。これができないようになっている学会員さんが異常なんです。いや、異常な状態にさせられているということです。
最初は大変だと思います。創価のことをちょっとネガティブに考えてだけで、わけのわからない恐怖が襲ってくるんですからね。でもそこでひるんでは今までと同じ思考停止人間でしかありません。そのわけのわからない恐怖心と戦うんです。何を持って戦うのか。それは目の前の現実をしっかりと受け入れるということだと私は思います。逆に言えば、学会員さんはどんなおかしな現実を目の当たりして反射的にガラガラと創価シャッターを下ろすことによって見えなくなる。現実を見なければ恐怖心がなくなるからです。だから自分で考えることと恐怖心を切り離すこと。これを目指して創価学会にまつわる目の前の現実を徹底的に考えてみてください。きっとある日、ポンッとわかるときがきますよ。「今までなんでこんな簡単なことに気がつかなかったんだろう~っ!!」ってびっくり仰天するとともに、人によっては今までやってきたことにとんでもなく後悔するのも事実です。これでここの多くの皆さんが苦しんでいるんです。そんな方たちの話なんだということを頭に入れてからここの皆さんの話を読んでほしいです。
ということで、思いがけず長くなりましたが、今回のテーマは「考えると恐ろしくなる自分」とさせていただきます。皆さんはもう覚醒されているので、上に話したことはよく理解できると思います。今回はこうした自分の過去(創価脳時代←悲しい時代ですね)にあった恐怖体験を具体的にお話ししていただければと思います。その時はそこまで思わなかったけれども、考えてみたらあれは恐怖に心を縛られていたから、あんなふうになっていたんだろうということでもかまいません。気がつけば何のことはないのですが、気がつかないうちは本当に不思議なくらい「創価は正しい」ととんでもなく思い込んでるんですよね。これはもうとんでもない暴力です。だって創価を悪く考えたら恐ろしい目に合うどころか、末代まで地獄をさまようことになるぞと脅されるんですから。そしてその恐怖から逃れるには創価にありったけのお金を貢ぐしかないと信じてしまうんですからね。その挙句、晩年になっても一つも幸せにはならなかったことに気がついて、一生を絶望感のなかで閉じることになる。あるいは死ぬまで自分の不幸に気がつかないまま終わってしまう。創価はこうやって人を不幸にし続けている団体だということを、ちょっとでも創価のことや自分のことを考え始めた学会員さんに向けてお話しをしていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

●まっしろな闇 (2016年12月13日 22:58 )
学会2世非活11年のまっしろな闇です。
仕事が忙しくて、ブログは読んでましたがコメントする事は出来ずにいました。
2chから生まれた言葉に「しない善よりする偽善」とあります。覚醒したから言えるのですが創価は正に偽善です。偽善だから厄介なんです。偽善でも助かる人がいる恩恵を受けた人達が、また創価は素晴らしいと思って活動し、創価を維持し続けて行く。またそんな創価にしか居場所見出だせず、結果的に創価を支える事になる。
だから創価でも幸せになった人はいると思いますよ。覚醒した人間には理解不能ですが(笑)
結婚詐欺でも、詐欺だと分かれば悲しい事ですが、詐欺だと分からず別れたら、詐欺師と一緒にいた時間は素敵な過去で大切な想い出として扱って行くのではないでしょうか!僕には本人が素敵な過去として捉えているのなら、あえて詐欺師だったんだよ。と言うつもりはありません。本人が幸せと思っている間は何を言っても平行線だと思うので。やっぱり本人が気付くしかないかと僕は思います。
僕に出来る事はその気付くきっかけ作って行く事位しかないです。
僕は少年部の時は合唱団に、中等部の時は男子部の人材グループに当たる音楽隊にいました。
音楽隊は不信感を持ち高校1年の時に辞めました。
大学はS大学を目指し浪人しましたが、また落ちたので結局あきらめ、就職し男子部になりました。未活になった時もありましたが23歳の時に牙城会大学校に入りました。25歳の時に牙城会主任になり地区リーダーにもなりましたが、自殺未遂により一切の活動から身を引いて現在に至ります。
23歳から25歳の3年間は支部の少年部責や県議の遊説隊、市議の遊説隊、お守りを4人に持って頂きました。
結局、25歳の時に、牙城会の任務は何があっても交代は許されず、仕事等で自分の着任日に着任出来なければ、祈りが足りない。絶対にかなう信心なのに、信心が足りない。着任すら出来ないのでは、そんなのではいつ事故が起きてもおかしくない。牙城会の任務は1年前に365日まとめて出てくるので前もって分かってる着任なんだから、難しくとも祈って着任を勝ち取って学会の側に立ち、会員を守るのが牙城会なんだと厳しく怒られるので、必死に着任できる様にと全力で取り組んで来ました。
でもどうしても着任出来ずに交代をお願いする事が何度かありました。
当時、創価脳だった自分は、絶対に願いが叶うご本尊を持ちながら、着任すら勝ち取れない自分自身を歯痒く感じ、池田先生に申し訳ない。信心が足りない自分の存在に罪悪感を感じ、こんな自分は学会の為いなくなった方が良いと思い、自殺する事にしました。
当時の事を思い出す事はあっても、こうして言葉にする事はないので今、涙が出て来ますね(笑)
お酒を飲み、薬を100錠程飲み、手首を切りました。
その直後に母親が発見し、母もパニック(笑)近くの親戚を呼びんでもらいました。それ以降の記憶はなく、気づいたら、翌日の集中治療室のベッドの上でした。幸い病院にはその一晩だけお世話になり、そのまま退院しました。
自殺の原因が創価だけに、僕は即活動しなくてもいいよ。また元気になったらでいいからね。今はゆっくり心と体を休めてねと言う事になり創価脳のまま未活になりました。
創価と離れカウンセリングを受ける事にし、自分で考える感覚を身に付けて、創価に対する価値観や捉えて方が変わり、今に至ります。
カウンセリングを受けてなかったら、未だに創価脳のままだったかも知れません。(うふふ…怖いですね)
カウンセリングを1年近く担当してくれたカウンセラーに感謝してます。

●あにき (2016年12月14日 20:53 )
非活約1年、二世のあにきです。
まっしろな闇さん、牙城会でのつらい経験をお聞きし、あらためて創価に対し本当に腹が立ちました。私も、創価班で、仕事でどうしても行けないときもありましたし、班員が来れないときもありました。一番つらい思いをしているのは、着任できなかった本人なのです。私は、来れなかった班員には、決して怒るようなことはしませんでした。
しかし、怒る幹部はいました。今振り返ると、日本赤軍が行った「総括」と同じようなものであり、違いは実際の暴力があるかないかだけだと思います。
幹部づらすることが正しいと思っているアホがいかに多いことか。裟場世界でのうっぷんを学会組織で晴らしているようなやつもいました。
池田は、金城会等に仰々しく警護されている姿を見せつけることで、会員に対して上下関係を徹底し、植え付けようとしたと思っています。実に、姑息な・・・。多くの幹部もそれを真似ているのでしょう。
全員とは言いませんが、創価班、牙城会を単なるコマとしか見ていない壮年部、婦人部は結構多かったです。現役の創価班、牙城会のみなさん、所詮はボランティアだし、上の幹部なんて冷たいものですよ。そんな任務、信心の戦い、訓練なんてもんじゃないです。
よく考えてみてください。カネさえ払えば、その任務は普通の警備会社で代替できるのですから。

●ミドリムシ (2016年12月15日 01:57 )
皆様こんばんは。非活2年、40代壮年部ミドリムシです。
私も二世の為、池田大仏大好き人間の母親からヒドイ刷り込みをされました。
マリーさんのお母様と同じく
「ご本尊様は全てお見通しよ」
良く言われました(笑)
覚えているのが、ドーショーテンとドーミョーテン(漢字はわかりません)とかいう奴等が両肩に乗っていて、順番にご本尊…いや、無駄に高い紙(笑)に報告に行っているという話。
小学校低学年頃にそんな話をされた私は純粋に信じてしまい、何をするにも
「ドーショーテンがご本尊様に報告しちゃうんだ…」
とビクビクしていました。
覚醒した今となっては、ドーショーテンって…、そんなドーシヨーも無い物肩に乗っけてドーシヨーってんだ。
失礼しましたm(__)m

●マリー (2016年12月16日 17:24 )
またマリーです。
前々スレでのぎん千代さんへ
>マリーさん、ご友人から連絡があってよかったですね^^
じつはこの友人とはその後また連絡しずらくなっています。
連絡くれた時、友人は保険セールスをやっていて、やんわりと勧められたのですが、よほど、ノルマで困っていたのでしょうに・・・
ちょうど保険見直して新たに乗り換えたばかりだったので、ごめんね。と断ってしまったので、何とも複雑な心境で・・・。
私もまたいつか今度は直接会って話せたらなぁと願っています。
ミドリムシさん
>覚醒した今となっては、ドーショーテンって…、そんなドーシヨーも無い物肩に乗っけてドーシヨーってんだ
(笑)そうそう!いましたね!そんなチクリ屋善神が(笑)
肩乗り善神?ちっちゃくて まぁ可愛い
って、なるかー!って話ですよねwwww
ご本尊様の前に座ると諸天たちがズラーっと自分の後ろに並ぶとも聞かされました(笑)
結婚してからも旦那と勤行してる時、旦那のお尻からガスが漏れるたびに
諸天が帰っちゃうー!(ToT)と思ってましたww アホの極みですwww
ラザリスさんコメントありがとうございます。
>吉本興業の方かと思いました。(笑)
ええ、新喜劇のほうで、少し・・・・
って、なわけないですwwwww
創価を笑う時は頭の中で常に♪ホンワカパッパ~♪と新喜劇の曲が巡ってますがwww
♪センセ~センセ~イわ~れらのセンセ~♪って歌ってた時よりはだいぶ正常になりました(笑)( *´艸`)ぷぷぷ・・。
私も覚醒したばかりの頃はレモンさんと同じように、ここに書き込むということにかなり時間を要したほど、精神的にダメージが大きく、毎晩、池田大仏とダーハラの顔が蛇のように脳裏に巻き付きうなされました。
でも、覚醒して、一周まわって来たらこんなんなってました。(笑)
大丈夫です!何度も言います!罰なんてないないです~(^O^)/

●スマイル (2016年12月15日 06:00 )
創価脳からすれば、このブログでの退会者は『脱会者』『退転者』『永遠に不幸になるもの』『大謗法者』でしょーね。
いくら幸福なことを言っていても『世間の低い価値観での幸せにすぎない』『今は良くてもそのうちひどい目にあうぞ』『俺たちは退転者の屍を乗り越えて、広宣流布へと邁進する』などなど、訳のわからない思考でも本人は本気でこのように思っています。
覚醒したものからすれば、どう考えても創価から離れることが正常な人としての当たり前の行動なんですが。
創価ほど、人の良心を食い物にする団体はない。
創価ほど、平和を食い物にする団体はない。
池田大作の各国からの顕彰や名誉教授称号などの目くらましにだまされてはならない。
実際に、組織の最前線で行われていることは何か?
身近な学会員はどんな人間か、現証は?を見ればよくわかる。
聖教新聞の多部数購読、贈呈。
信者を無冠の友と持ち上げて、雀の涙ほどの安い手当で新聞配達させる。
強引な布教行為。
数が上がらないので、内部の人間に本尊持たせて数合わせ。
家庭訪問不在時の待ち伏せ行為。
ドアのポストから中を伺ってるキショイ行為。
電気メーターの動きを見て在不在を確かめる。
車のあるなしで対象者がいてるかどうか良く観察している。
反対している家族がいてない時間を見計らっての家庭訪問。
『題目を一緒に上げましょう』と言って無理やり家に上り込む。
ドアに足を掛けて閉まれなくする行為。
『こないでください』と伝えても御構い無しでやってくる面々。ある人物にダメ出ししたら、他の人物がしつこくやってきたり。
数々の選挙違反行為。
半年前から始まる事前運動。、
ピストン輸送と言って、車で会員を選挙会場まで送迎を繰り返す。
選挙会場での張り込み。
戸別訪問しまくる。
このブログでの証言があったかと思うが、他人になりすましての投票。
選挙当日の選挙運動。
『選挙は目に見えての功徳が多い』と欲を煽る言葉が飛び交う。
財務のしつこさ。
『広宣流布のためにお布施をすると幸せになる』と洗脳されている。
何回も何回も広布部員といってお布施メンバーへの申し込みを迫ってくる。
一旦申し込んだら最後、すでに支払っていても何回も何回もいろいろな人物から『財務はすみましたか?』と確認電話が入る。
財務のための会合では、高額財務した人の体験談がされて欲を煽り高額財務をさせようとする。
このブログでの証言どおり、貯金をはたいてでも100万のお布施をさせたり、死亡家族の保険金を狙った財務の話。
『広宣流布のための財務は倍になって帰ってくる』などと全く根拠のない謳い文句で欲を煽り財務の額を引き上げさせる。
『三桁の財務』がステータスになっている→『財務は心こそ大切なれと言うが、私は嬉々として広宣流布のために100万の財務をする。このような境涯になった私は幸せ者だ。御本尊様、池田先生、ありがとうございます!』とでも思っているのだろう。阿呆らしい。
会員が入院したら、財務をしているしていないでお見舞いが変わる。
幹部に指導を求めたら帰ってくる言葉にはパターンがある。
『広宣流布のために、と祈りなさい』
『題目をしっかり上げなさい』
『池田先生だったらどうされるか?を考えなさい』
『聖教新聞啓蒙をしなさい』
『折伏をしなさい』
『これが宿命転換の時だよ』
『冬は必ず春となる、だ』
『御本尊にしっかり祈って、出てきた智慧でしっかりと乗り越えなさい』
要は相談者本人に、題目をあげさせたり、布教させるように仕向けて、それで乗り越えたら信心のおかげ。となるようにする。
牙城会での話。
風俗の話ばかりするトラック運転手の主任。
人の悪口ばかり言ってる市の職員の牙城会員。
ゲームの話ばかりするバカ。
口では偉そうなこと言いながら、複数の友人に100万単位の借金をしながら全く返さない県の牙城会幹部。
DVで離婚された牙城会幹部。
診療報酬不正請求及び必要のない手術で人を殺した病院の院長。
父が亡くなった時に、個人会場のしようができるかばかりかを気にする国会議員。
父母の遺品をハゲタカのように漁る地元地区の会員。
会合に連れ出した時、コンビニの壁に立ちションベンをする男子部員。
人を殺めて少年刑務所に入っていた男子部員。出所後に家庭訪問したが、金をよこせと迫られた。
女子部によるストーカー行為をされた。
個人会場の婦人部幹部。会合終了後に息子に包丁でメッタ刺しにされて死亡。
ガンになった日蓮正宗の人を罵倒する支部長あいさつ。
夜も寝ずに題目をあげていたら傘を被ったお坊さんが出てきたという幻覚を確信を持って嬉々と語る変な婦人部。
人妻にハマりお金をつぎ込む男子部員。
引きこもりで人と目を合わせることができない男子部員。
コミュ障害で転職を繰り返す男子部員。全然現証出てないですね。
牙城会の方面幹部の深夜の高速での事故死。
信心の強盛な母がガンで悶絶死。
池田を守りに守って、創価のために尽くし抜いた父は首吊り自殺。
『世法よりも仏法の方が大切』との指導。
列挙するにもあまりにもおかしな点が多すぎて。
具体的に指摘しておきます。
これだけのおかしな点も創価脳は『宿命転換してるよ』とか『人間革命の途中なんだから』と変換します。
つける薬がありません。
『創価絶対正しい』
『宇宙の法則絶対正しい』
これから離れられないからダメですね。
正しい宗教であれば、父が自殺するわけありません!、
母がガンで悶絶死するわけがありません!
題目をしっかり上げた会合後に殺人事件起こるわけがありません!
いい加減目を覚ませや!

●ラザリス (2016年12月15日 13:32 )
追伸
まっしろな闇さま、辛い体験をコメントして下さりありがとうございました。
創価の闇がどれほど深いのか、さらによく理解できました。
同じく牙城会員であった人間として、深く感謝いたします。
それからマリーさま、楽しいコメントをありがとうございます。
吉本興業の方かと思いました。(笑)これからも、よろしくお願いします。
先ほどの自分のコメント、あまり上手く伝わらなかったと思いますが、要は「本当の真理は、伝統的な宗教やそれに付随する教義を超えたところに存在するものだ」ということを述べています。
これについては、自分が覚醒するきっかけとなってくれた本の中の一冊、
『魂の絆』本当の自分を探して マイケル J ローズ 著 徳間書店
にわかりやすく書かれております。
興味のある方は、是非とも一読されてください。

●三枝 (2016年12月17日 14:31 )
迷える学会員さんへ
こちらに書き込んでいる方のご自身やお身内の辛い悲惨なご経験を読ませて頂きほんとうにその御経験を乗り越えて残りの人生を有意義に楽しんで欲しいと切に思いました。
私も脱会して30年近くになりました。学会時代より健康になり、家も立て、これから正月で帰ってくる孫の世話で疲れ果てて大変だけど世間一般並みにかわいい孫たちの世話が出来るこの上ない「喜び」を感じれるようになりました。創価にどっぷり創価脳のままだったらまず正月返上の結集!結集!でこんな「幸せ」は望めなかったでしょう。レモンさんも書かれてましたように妻と幼子を放って置きぼりの活動家時代の生活も遠い昔のおとぎ話になりました。
このストレス社会の中で精神疾患や成人病になる人は昔より多くなっている現状は一般常識ですよね。
ましてや常に高い目標設定をされ何に向かっているのか?戦いだ!戦いだ!勝利だ!勝利だ!と活動を強いられ浸食忘れ活動するバカ真面目末端学会員はストレスの塊状態で病気になる確率は周りの学会員を見ていてご存じのように半端ないくらいに多いはずです。
私、ふと思ったんです、創価学会のようにこんなに注文の多い「宗教」って他にあるんでしょうか?学会員さんはそんなことも考えたことなかったのではないでしょう?
でも、世の中には拝む対象物はそれぞれですが「信じる」だけ「感じるだけ」で救われている人たち、幸せを実感しているが人たちがたくさんいるんですよ。
でも、創価学会に入会すれば、「願いが叶う」「幸せになれる」「絶対的幸福境涯を得れる」「病気が治る」と教えられた・・・。でも、その為には「ただ信じるだけ」では願いは叶いませんよ。「祈るだけ」でも叶いませんよ。
組織について組織活動をしないと願いは叶いませんよ・・と教えられた。
聖教新聞、創価新報を取らないと願いは叶いません。機関雑誌を取らないと願いは叶いません。折伏しないと願いは叶いません。多くの献金をしないと願いは叶いませんよ。選挙のF取りをしないと願いは叶いません。会合に参加しないと願いは叶いません・・・前もって創価学会がお約束している「幸せ」と言うのは創価の指導通りにしないと手に入れることはできないですよ」って・・・何なんでしょう?
そんなにたくさんの注文通りに行動しないと願いが叶わない、そんなめんどくさい宗教って何??とは思いませんか??
お約束事をきっちり信者がやらないと「願いが叶わない」創価教なら、しない方が自由で肩の荷が降りて楽だとは思いませんかね。
そんなことを一般人になった私は思ってしまうんです。
でも、それらをしないと「願いが叶わない」どころか罰をもらう、かえって不幸になる・・・と言う教えの宗教っておかしいと思いませんか?そんな宗教なら関わらない方が楽で楽しいと思いませんか?・

 


解説
牙城会に着任できないことに責任を感じて自殺を図ったまっしろな闇さんの告白、読んでいて辛くなります。
そこまで追い込んだ創価学会の組織に怒りがこみ上げます。
組織として、原因の分析と再発防止の措置は講じたのでしょうか。

ちなみに、ラザリスさんの勧める本
『魂の絆』本当の自分を探して マイケル J ローズ 著 徳間書店
ですが、Amazonで古本を購入して読んでみたのですが、オカルトっぽくて、全然魅力を感じませんでした。
(個人的な感想です)


獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(9)

2022-08-23 01:20:53 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価脳の家族にほんとうに言いたい事      投稿日: 2016年12月9日

前スレのコメント欄で、常連のラザリスさんが懐かしい話を振ってくださいました。
2年前の秋に書いた「おじいさんとおばあさんと薬のお話」です。近頃このブログにたどり着いた方はご存知ないと思いますので、ここに再掲させていただきます。
______________________
『おじいさんとおばあさんと薬のお話』
昔むかし、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。二人とも歳はとっていましたが、飲むだけで元気になるという噂の薬を毎日飲んでいました。おじいさんはそれを薬だと思っている。もちろんおばあさんも同じようにずっと薬だと思って飲んでいたのだけども、なかなかこれといった効き目がないものだから、なんかおかしいなと思い始めました。そして同じようにその薬を飲んでいた近所の人に訊いてみたら「あれは薬じゃない。何にも効かないよ。まだ飲んでたの」と言われました。
おばあさんはビックリして、他の多くの人にも訊いて回ったのですが、みんな「あれは薬なんかじゃないよ。みんなそれがわかったから、あの薬屋には行かないようになった。行ってるのは何も知らずに薬だと信じている年寄りだけだよ」と言っていました。それでおばあさんはよくよく考えてみることにしました。自分のこれまでの体験にも照らし合わせてみたところ、それが薬じゃないと仮定したら、みんなつじつまが合うのでした。そこでおばあさんはおじいさんのことを思って「それはじつは薬じゃななかったんだよ」と言いました。
おじいさんは思ってもみないことを言われたのでビックリすると同時に、おばあさんは頭がどうかしたんじゃないかと心配になりました。ついこのあいだまで一緒にこの薬を飲んでいたのに、なんで今さらそんなことを言うのかわかりませんでした。おじいさんは薬屋から「これは絶対よく効く薬です。でも元気になると信じて飲まなければ効きません。効き目を疑ったりしてはいけませんよ」とくりかえし言われてきたことを思い出して、薬をやめようとはしませんでした。おばあさんはそんなおじいさんの姿を見て、なんとか薬をやめさせなければと思い、客観的な証拠をたくさん集めておじいさんを説得しようとしました。しかしその薬を疑うことで効き目がなくなることを恐れたおじいさんは、おばあさんの話を聞こうとはしません。かえってそこまで言うおばあさんは自分のことを嫌ってるんじゃないかなどと疑心暗鬼に陥ってしまいました。
そんな態度のおじいさんを見て、おばあさんはとても悲しくなりました。「おじいさんはどうして私の言うことを信じてくれないんだろう」とさらに考えました。そしておばあさんはこう思ったのです。「おじいさんは薬を信じているのではなくて、薬をくれている薬屋のことを信じているんだわ。だから薬が効いてなくても効いているような気になってるのよ」。おばあさんはその薬局のことを調べました。するとその薬局では、お客さんに「これはよく効きます。でも信じなかったら効きません。それに効かないと文句を言ったりしたら、今まで飲んだ薬の効き目もなくなってしまいますよ。そして薬を飲むのをやめたりでもしたら、病気になってしまいます。初めから飲まない人よりも悪くなるんです。ですから絶対この薬はやめないでくださいね。はい、今月のお薬代1万円」。
おばあさんはビックリしました。「薬を飲まない人よりも具合が悪くなるだなんてどういうことでしょう」おばあさんはますますこの薬局は怪しいと思って、さらにいろいろと調べてみました。するとこの薬局はときどき薬の内容を変えていたのです。つまり仕入れ先ともめて、いままでの薬が仕入れられなくなったものだから、その薬の成分表を仕入れ先から盗んで、自分たちで勝手に薬をつくって売るようになりました。お客さんには「こんどお薬の中身が変わりました。今度の薬はもっと効きますよ。じつは今までの薬にはちょっと問題があったので、私たちでもっといい薬を開発したんです。今までよりちょっと高いんですけど、安心して飲んでくださいね。私たちがいい薬を作ったものだから、いままで作っていた仕入れ先が私たちのことを妬んで、あることないこと言ってますけど気にしないでくださいね。それから、飲んだことのない人にも紹介してくれたら、この薬はもっと効きますよ。これはそんなとってもありがたい薬なんです。でも効き目を疑ったりしたら毒になってとっても苦しみますから注意してくださいね。はい2万円」。
もうおばあさんはビックリ仰天です。ただの薬屋が、勝手に薬までつくって売ってるのですから、それは驚きます。これでその薬屋が完全に怪しいことがわかりました。「やっぱりこの薬屋は効きもしない薬を客に騙して売りさばいて金儲けをしているんだ」おばあさんはやっと気がつきましたが、おじいさんにそのことをいくら話しても聞こうとはしません。おじいさんはそんな話を聞いたら、今まで飲んできた薬が効かなくなるどころか、病気になると思って怖がっているからです。そしておじいさんは、あろうことかおばあさんが自分を病気にしようとしていると思い始めました。「こんなばあさんの話なんか聞いてられるか」と、あんなに仲の良かったおじいさんはおばあさんを憎むようになってしまいました。おばあさんは途方に暮れます。「おじいさんのためを思ってここまで言ってあげているのに、どうしてわからないんだろう。いままで何十年もいっしょに暮らしてきた私をさしおいて、あんな薬屋の言うことを信じるなんてあんまりだわ」おばあさんも、いいかげんおじいさんを嫌いになり始めました。
おばあさんは、その薬を何十年も飲んできました。その薬を飲んで来たからこそ、たいした病気もせずに、おじいさんと仲良く暮らして来れたと、その薬に感謝もしていました。でもよく考えてみると、この薬のおかげで元気だった証拠なんてどこにもありません。それにこの薬をやめてずいぶんとたちますが、体調の変化もありません。ただおじいさんのことが心配で、不眠症になったぐらいです。そこでおじいさんが飲んでいる薬の成分が何なのか調べてみました。そしたらなんとただの小麦粉だったではありませんか。おばあさんは愕然としました。「私とおじいさんは何十年も何千万円も出して小麦粉を飲んでいたんだ」おばあさんは気が遠くなりそうでした。
そこでおばあさんは気を取り直して、もう一度よく考えてみました。「おじいさんはどうしたら気がついてくれるだろう?」「もし自分がおじいさんの立場だったら?」「みんなどうしてあんな薬屋の言うことを信じてしまうんだろう?」いろんな疑問が次々に湧いてきました。そしてこう思いました。「みんな何かを信じている。何かを信じるには、それなりの理由があるのだけど、それは科学的な根拠だとか、目の前の事実だとか、そんなものは理由にならないんだ。どんなことであっても、いったんその人がそれが正しいと信じれば、その人にとっての真実になってしまう。たまたまこの薬を飲んだときと、病気が治ったことが重なって、この薬のおかげだと信じきってしまうのも当然だわ。だってそう信じたいんだから。信じるって、信じたい気持ちが、ものごとをそんなふうに見せるのね。でも、この世の中に何があっても動かない絶対的な真実なんてありはしないとお釈迦さまも言ってた。あるのはその人にとって都合のいいことを真実だと思い込んでしまうこと。それこそが人間の不幸の原因であり、不幸の始まりなんだと、2500年も前に教えてくれてる。だからまわりからどんなにあからさまな間違いを指摘されても、それが何を意味するものかがわからなくなるんだわ。おじいさんの都合では、あの薬屋の言うことが真実だから、それと違うこととなると、私がどんなに間違いである事実を言っても聞かない、聞こうともしないのは当然なのよ」おばあさんはそう納得してはみたものの、それではおじいさんを救えない。原因がわかったところで、このままじゃおじいさんはただの小麦粉に大金を払い続けることになる。それよりも何よりも、このままでは私とおじいさんの仲が壊れてしまう。私は優しかったおじいさんと一緒にいつまでも暮らしたい。なんとかしておじいさんの優しい心を取り戻さなければ…」。
おばあさんはおじいさんを説得する材料がないか、さらに調べました。その薬局のことも。そしたら、その薬局の社長がどうもそうとうな悪人らしいのです。その社長は自分のところの薬が効くことを客に信用させるために、ただの小麦粉を薬だと騙して売ったお金を使って世界中の著名人と会ったりしているところを写真に撮らせて、それらを載せた会報を有料でお客さんに売っていました。ただの小麦粉に高い値段をつけて売っているというのに、さらにそのお客さんの家族や友人知人にもその会報を購入させているのです。お客さんを自社の商品の販売員としてタダ働きさせているのでした。お客さんは、自分が飲んでいる薬が効くようにと、その薬を売ってまわります。どこまで欲深い社長でしょう。ところがなぜ会報を売ったら薬が効くのか、なぜかお客さんは何の疑問も持ちません。それはそういうものだと信じているからです。お客さんは薬が効きさえすれば何だってする気持ちになってしまっています。お客さんにとってはもはや理屈などどうでもよくなっていることに、おばあさんは恐ろしいものを感じました。
それからその薬を飲んでいる人同士を集めて、その薬や会報をたくさん購入するにはどうしたらいいかを相談する会合を開くようになりました。たくさん薬を売ったお客さんが体験発表をして、まだあまり売れてない人を激励するようになりました。そのうち、あちこちにそんな集まりができて、お互いに競争するようになり、それがだんだんエスカレートしていくと、あろうことか売れなかった会報をひとりで何冊も買う人が出てきました。もうおばあさんは開いた口が塞がりません。薬が効くようにと会報を何冊も買う人の気持ちは普通の人には理解できません。でも、そんなことを言っても、お客さんたちは何の疑問も持ちません。それで自分が飲んでいる薬がいっそう効くのだと本気で信じているからです。おばあさんは思いました。「人間、信じるものを間違えると大変なことになる。もしかしたらおじいさんも一生このまま小麦粉を飲み続けて死んでしまうかもしれない」。おばあさんは寒気がしました。
さらにその薬局の社長が今何をしているのか気になりました。なにしろ自分の大切なおじいさんに、バカ高いただの小麦粉を飲ませ続けているのですから。すると、どうもその社長は近頃人前に姿を見せないのだそうです。もうかれこれ4年半も。おばあさんはおかしいと思いました。「会社の社長が4年半も社員の前にすら顔を出さないなんてあるかしら。でも病気じゃないと言うし、あいかわらず会報には大量の執筆をしているし。でももっとおかしいのは、そんな社長のことを社員もお客さんも誰一人として心配していないことよ」おばあさんは、何かあると思いました。「社長がいなくても、この薬屋はどんどん小麦粉を売りさばいているし、社員も何一つ文句も言わずに働いている。会報には薬を飲んで幸せになったお客さんたちの満面の笑顔がびっしり載っているし、社長の文字だけのメッセージには、なぜか大昔の社長の写真が載っている」おばあさんは思いました「あまりにも不自然だわ」。
ある日のこと、おばあさんは結論を出しました。「おじいさんに正気に戻ってもらうには、この私を信じてもらうしかない。はじめから理屈なんかじゃどうにもならなかったのよ。私はおじいさんに元気になってもらいたい。以前の優しかったおじいさんに戻って欲しい。おじいさんは自分が信じているものを私が否定したから私を嫌って、ますます私のことを信じられなくなっているんだわ。だから私は何があってもおじいさんを信じなくちゃいけないの。私までその小麦粉にふりまわされてなんかいられない。私が大事なおじいさんを信じていけば、きっといつかおじいさんもわかってくれる日が来る」
それからおばあさんは、その薬の話はいっさいしなくなりました。おじいさんの言うことにいちいち反論したり、冷たくしなくなりました。そしたら次第に優しいおじいさんに戻ってきました。おじいさんは優しくなったおばあさんの変化に少し気がつきましたが、薬をやめようとはしません。おじいさんにとって、おばあさんと薬はなんの関係もないからです。
おばあさんは何事もなかったように、優しくおじいさんに接しました。おじいさんも何事もなかったように、仲良く暮らしました。それからさらに20年の月日が流れ、いよいよおじいさんの寿命が尽きようとしています。もう動けなくなったおじいさんに、いつもかいがいしく面倒を見てきたおばあさんも、別れの覚悟を決めるときが来ました。
「ばあさんや、わしもいよいよお迎えが来たようじゃよ。いままで本当にありがとう。いろいろ世話になったな。贅沢はさせてあげられなかったけど、こうして今までたいした病気もせずに、事故にもあわずに生きてこれたのは、ばあさんのおかげだよ。感謝してるよ。ありがとう」
「いいえ、おじいさん。私こそ、いままでほんとうにありがとうね。私はおじいさんと生きてこれて幸せでしたよ。途中でいろんなことはありましたけど、おじいさんを信じて生きてこれた私は幸せでした。ほんとうにありがとう」
「それとわしがこうして元気で来れたのも、若い時からずっと飲み続けてきたこの薬のおかげじゃよ。この薬にも感謝しないとな。まあ、ずいぶん高い薬ではあったが、命には換えられんものな」
「そうね、感謝しなくちゃね。ほんとにいい人生だった。私もすぐあとから追いつきますからね。また一緒にくらしましょう」
そうやって、ふたりは最後まで心を重ねたまま幸せに生涯を全うしたのでした。
ただひとつ、おばあさんはおじいさんに言わなかったことがありました。それはおばあさんが薬の正体に気がついた20年前から、あの薬を別の小麦粉にすり替えてきたことでした。
チャンチャン(^^)
______________________
以上です。
あらためて読むと、ちょっと切ないですね。(笑)
結局のところ、おじいさんは真実を知らないまま亡くなりました。それはおばあさんの愛情だとも言えます。創価が詐欺だと知らないまま死んでいく学会員。知らないままの方が幸せなんじゃないかと思うときもあります。真実を知って訪ずれる地獄のような後悔の日々。取り返しのつかない時間を失い、社会悪に加担してしまった事の後悔。片や真実を知らないまま幸せだと思い込んで死んでいく家族。どっちがいいんだろう。そんな問いかけの話です。おばあさんはおじいさんと昔のように仲良く暮らしたい。そのために真実を封印したんです。でもそんなおばあさんを誰も責めることはできません。おじいさんは幸せな気持ちで一生を終えることができました。幸せと幸せな気持ちは別なんだなと思いました。
皆さんはどう思いますか?
実はあの頃、私自身の鬱の症状がひどい頃で、仕事への集中力がなくなって困っている頃だったんです。自分が感じている創価のおかしさをなんとかして伝えたいという思いと、なかなかできない現実の狭間で苦しんでいたように思います。あからさまな現実をいくら叫んだところで、自分で気づけない人にとっては現実が現実ではなく、自分の都合の良い妄想が真実なんですね。まさにそれが創価脳だと思いました。そんな人に何を言っても無駄という焦燥感もありました。ここにコメントされる方の多くは、愛する家族がどう考えてもおかしな創価を正しいと信じていることに心を痛めていらっしゃいます。本人にとっては良かれと思って大切な家族よりも創価を優先する創価脳が本当に多いです。ではどうやったら家族の絆を取り戻せるのか。このことで多くの方が悩んでおられます。
ということで、今回のテーマは「創価脳の家族にほんとうに言いたい事」」ということにします。
創価が詐欺だと気づいたのに、何を言っても家族はいっこうに気づかない。真実を話せば話すほど信頼関係がなくなっていく。もうどうしていいのやらと、家族のことを思うたびにいつも暗い気持ちになってしまう。とてもよくわかります。言ったところで喧嘩になるだけ。「創価と私とどっちが大切なのよ」と喉まで出ている言葉を無理やり飲み込む日々。そんなやり場のない思いを、ここで思い切り吐き出してください。創価脳の家族にほんとうに言いたい事。いくら真実だと言っても創価脳は聞く耳を持ちません。創価脳にとっての真実は、創価から言われた事のみですから、人によっては離婚だ勘当だという話にもなります。せめてこの場で言えない創価脳の家族への気持ちを言葉にして消化できれば、気づかない家族への苛立ちも薄れて、優しく接してあげられるのではないでしょうか。そうすれば何かのきっかけで気づいてくれる時が来るかもしれません。上の話ではおじいさんは気づきませんでしたが、もしかしたらおじいさんはおばあさんの「ほんとう」の気持ちをわかってくれる日が来るかもしれません。
自分は気づいたのだから、家族が気づかないはずがない。そう思いたいです。まだ間に合うなら、衝突してでも気がついて欲しい。そうも思っています。ただそれには自分がどこまで持ちこたえ切れるのかがわかりません。自分が死ぬまでになんとか創価の詐欺が社会に認知されるようになればと思っています。

●signifie (2016年12月9日 21:18 )
この話では、おじいさんが何の悪意もないのに、おじいさんのためを思って真実を伝えたおばあさんを悪者扱いしてしまったということです。つまり学会員はこのおじいさんのようなものです。何の悪意もない。ただ創価という悪徳薬屋に騙されている。おじいさんは良かれと思って薬を飲み続ける。悪徳薬屋に騙されてきたことに気づいたおばあさんも、良かれと思っておじいさんにわかってもらおうと現実の話をする。でもおじいさんにとっての現実は悪徳薬屋からそそのかされるデマでしかない。結果、あれほど仲の良かったおじいさんとおばあさんは険悪な関係になります。これって、ただの作り話じゃなくて創価の家庭、特に覚醒した家族のいる創価の家庭の現実です。みんな良かれと思ってやっているのに、裏目裏目に出てしまう。前スレで学会員は被害者であり加害者でもあるという現実を切々と語っていただきました。でもこれだけではあまりにも悲しすぎます。創価が詐欺だと気づいた人も気づかない人も、互いに良かれと思ってやっているということを忘れてはいけないと思うのです。ただ創価を信じると、創価以外はすべてが悪になります。自分たちに逆らうものは、たとえ親でも子でも関係なく、不幸の原因に見えてしまいます。恐ろしいですね。まあその点に関してはキ◯◯イです。手がつけられません。相手は悪魔がとりついて自分を不幸にしようとしているから、何としても戦って倒さなければならないと本気で思っていますからね。どっちがとりつかれてるんだって話ですけどね(笑)
今回のテーマは前回に引き続き重いテーマとなりそうですが、まずは、このおじいさんとおばあさんをどう思ったかというところから、気軽に話をしてみてください。
よろしく願いします。


●希望 (2016年12月9日 21:24 )
 「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。
 私の最大の失敗は、いわゆるマインドコントロール状態に置かれている人間に、どのような対応をすべきかという「知識」を持っていなかったことです。
 私が、創価学会の様々な問題点を書いた日記を、元妻に渡したところ、その日記が、最終的には創価学会本部で徹底的に分析され、「殺す」と脅迫されました。
 この間の経緯を知っている創価学会幹部が真相を暴露するならば、創価学会は一夜にして崩壊します。

●四天王 (2016年12月9日 22:51 )
signifie様、覚醒された皆様、初めてコメントさせていただきます40代の学会二世の四天王です。僕は、おばあさんの心境と似ていますかね。詐偽の実態に気づいていない人達が、まだまだ沢山周りにいます。
このブログは昨年より見させていただいておりましたが、方面長や総県長、衆院議員や県市会議員にも顔と名前は知られているので投稿することに勇気がいりました。
少年部から親に言われるまま活動し、中等部と高等部では人材グループに入らせられていました。当時は支部単位で開催できていた未来部の会合も現在では区単位でも結集が難しい現状ですね。
何の自慢にもならないというか後悔になりますが、学生部では総県副書記長、男子部では区主任部長、創価班では区委員長をやりました。選挙戦では遊説隊の隊長、男子 部後半では衆院議員のドライバーもやりました。かなり洗脳されていた活動家(笑)でしたね。
個人折伏は一応10人やりましたが、そのほとんどが音信不通となり活動はしていないと思います。ユル活の友人も含め、創価から一日も早く離れていることを願っています。そんな僕だったので、友人は失うわ、学会に洗脳されていたせいで何人もの彼女を失うわで、結婚の機会も逃し今でも独身です(泣)。
覚醒のきっかけは、2年前に行った広宣流布大誓堂での勤行会。録音された池田の声と、安置されていた黒塗りの板本尊がスゲー気味悪かった。幹部の池田の息子・博正の挨拶は、ただの原稿の棒読み。大誓堂全体が池田を本仏と崇めるような雰囲気で疑問を抱くようになりました。交通費まで出して、歓喜どころか命が落ち込んで帰ってきたのを思い出します。
今、振り返ると父は自殺、母は癌で他界。かなりの活動家だったのに、こんな死に方は両親にとっても無念だったろうと思います。
マイ聖教なんて言って、新聞を複数部取っていました。財務も数倍になって返ってくると洗脳されて、自分なりに納金していましたが、生活が豊かになったどころか、困窮したことさえありました。両親の死亡保険金で◯百万やったこともありますが、詐偽の実態を知り、本当に後悔ばかりです。
昨年から聖教購読と財務をやめ、晴れて非活になりました。色々なしがらみがあるので脱会はできていませんが、静かにフェードアウトしていければよいと思っています。
長々と失礼しました。今後ともよろしくお願いしますっ!

●スマイル (2016年12月11日 08:09 )
テーマとはちがいますが。
創価で広布部員といって年に一回のお布施のメンバーの申込書。
自筆で名前を書いて、捺印します。
支部長とかの印もあったかも。。。
しつこいくらいに『財務をしろ!』と迫ってくるくせに、最後は『自分で書名捺印した』だから『組織で協議して、お布施の部員に選んでやった。広宣流布に貢献できることをありがたく思いなさい』ってか?
姑息ですね。

●ひまわり太陽 (2016年12月11日 04:31 )
年配者でもガンガン覚醒しますよ。
ポイントは、宗教ビジネスの裏側をウンチクとして話すだけです。
ソーカとは関係の無い前提での話なので覚醒に至るまで、心理的負担が無い。
「創価の話じゃないんだけどさ、オーム真理教とかの宗教って儲かるんだよね。
100万人が、1人1万円寄付したら、それだけで100億円。
幹部は信者から吸い取ったカネで、そこから寄付してる。
本当に願いが叶う宗教かどうかは、長年頑張ってる人を見ると、答えがソコにある。
周りを見てほとんど願いが叶ってなかったら、それは宗教ビジネス」
上のカッコ内の文章を知り合いからなんかメールで来たんだけど見てくれる?
って感じで見せるのも一つの手でしょう。
【 100万人が、1人1万円寄付したら、それだけで100億円
  幹部は信者から吸い取ったカネで、ソコから寄付 】
この部分だけでも強烈で、聞いた人は教祖がどうして金持ちなのかを理解し始めます。
そしてやったぜ300など、異様にお金を信者に落とさせる仕組みを見るたびに、覚醒のきっかけにも繋がる。
会合に出る度に、願いが叶ってない人達を見て、会合に出る度に、お金を落とすタイミングを発見するわけです。
宗教ビジネスだと、本人に認識してもらうと大変スムーズに覚醒しますよ。

●元栄光地区婦人部 (2016年12月11日 09:16 )
ひまわり太陽さんへ
>ポイントは、宗教ビジネスの裏側をウンチクとして話すだけです。
なるほど・・私はやり方を失敗してしまったわけですね。
私は、親の間違いを正すのに創価学会で培ってしまった破邪顕正の精神でもって、いきなりインチキである証拠を突きつけてしまいました。
・「南無妙法蓮華経」の商標登録を2度もしたという証拠の画像
・副会長らの多額の税金を表す税務署が公開していた画像
・直筆だと信じていた父のお宝でもある池田大作の色紙と全く同じものがヤフオクで売られていた画像
職人気質で頑固で人の意見を全く聞かない性格の父親の創価スイッチがMAXに入ったのも当然でしょう。父もムキになり組織の人に聞いたそうで、「商標登録」は筆跡が違うからデタラメ、多額の納税に関してはネットのデマという回答。
お宝でもある池田大作の色紙が実はただの複写であった事については、「そ・・そんなこと知ってたわい!!」と苦しげな答え。
そこからは電話で互いに怒鳴りあい。
「こ・の・か・る・と!!!!」と大声で父に怒鳴った時、胸がスゥ~っとしたのは事実です。
残念ながら、父の覚醒には失敗はしましたが、絶縁した事には後悔がありません。
これは信仰以外の問題でしょう。父は人間的にも問題があり、「信心しているのになぜ父や母はあんなに心が狭いんだろう?意地が悪いのだろう?信心すると性格がよくなるはずなのに、こうした現証を見ると創価学会の信仰は正しいと言えない」と永年私を悩ませてきたからです。
結論。良い親であれば上手に覚醒させてあげてください。
関わりたくない親であれば私のように言いたい事をぶつけてやって絶縁するのも手でしょう。
(私のように強権的な親を持つアダルチチルドレンにはメンタルの健全化に効果的です)

●kickey (2016年12月11日 14:15 )
signifieさん皆様お久しぶりです。
再開してから初めてコメントしますkickeyです。
ついこの間まで再開しているのを知らずに、最近(先週ぐらいだったかな?)知りました。
うれしくて皆さんのコメントを読みながらうなづくばかりです。
しばらくご無沙汰している間に、知らない人も増えているようですので、あらためて・・・
アラフィフのkickeyです。
女子部時代は妄信地区リーダーをしていましたが、その時でもおかしいなと思うことは多々あり、シングルのまま婦人部に形だけ移行しましたが、さらにおかしなことばかりだったので、いろいろ意見するも、意見した私がキ〇ガイ扱いされました。
ちょうど2年前くらいにこちらのサイトを見つけて、目から鱗の思いでした。
そして1年半ほど前に完全に脱会できました。
が、しかし母はそのままです。
ちなみに初めてこちらでコメントした時に財務は200円しましたという報告もした記憶があります。はじめてお目にかかる方々も、前からkickeyを知っていただいてる方々も、よろしくお願いします。
前置きが長くなりましたが、本題です。
母も最近は創価の友達と付き合うのは「反乱分子に近いゆる活」が多いようです。
反乱分子に近いゆる活は会合に出ていないので、母とゆっくり会う時間もあるからです。
その反乱分子でさえ、いまだに年会費と思って財務はしているらしいです。
が、その友達の家で母が話していたらちょうど「財務しましたか、まだならいつしますか」の幹部からのメールが来たらしく、その友達は次の日に振り込んだらしい。
が、母自体は「今が財務の時期というのすら忘れていた」というので、徐々に私の影響もあり、そのように創価のインチキから離れて行ってくれています。
我が家にはある問題を抱えていて(内容は身バレを恐れてできませんが)、その相談に公的機関に類似する相談所(公的機関が認定する相談員ですかね、引きこもりを解決するとか、家庭内暴力を解決するとか、児童相談などを請け負うとかの)に自身の気になる家族の問題を相談しています。
そうです、創価なんて一つも役に立たないんです。
いざというときは「題目をあげるしかない」しか言わないからです。
題目上げる以外に人としてどうすればいいか、自分が考える以上に何か良い知恵はないかと、困ったときはそう思うものですよね。何か考えてくれるどころか、何も考えず「題目」しか言わない。さすが思考停止の団体ですね。
結局そういう団体なんです。それを何度言っても、自分自身も創価は頼りないと思っているのに、脱会できない母。
それは創価をやめると付き合いがなくなるから。知り合いが減ると年寄りは心細いんだそうです。それを聞くと余計に創価に腹が立ちます。
会員やめたら付き合いやめるっておかしいやろ!
利益のない人間とは付き合わない。さすがデー作の弟子ですな。
今書いたことをそのまま母に言ってますが、それでも創価は少しはいい面もあると言う。
いい面言ってくれ、っていうと、〇〇さんのような友達もできる(反乱分子の人です)とか。
わけわからんわ。
ちょっとテーマとずれましたが、最近のうちでの出来事、会話などを書いてみました。
また時々お邪魔しますね。

 


解説
ひまわり太陽さんの教えてくれた方法、興味深いですね。
その方法なら、私も母親を「覚醒」させることができた?
いや私の母の場合、無理だったでしょう。

獅子風蓮


【みんなの声】創価学会の現状について

2022-08-22 09:53:35 | 【みんなの声】

私は長いこと創価学会の組織についていませんので、現在の創価学会の現状がどうなっているのか、本当のところは分かりません。

シニフィエさんの対話ブログが魅力だったのは、定期的にシニフィエさんが創価学会の現状について教えてくれるように呼び掛け、それについて貴重な証言が集まったことです。

ある参加者から、
「末端の会員には3桁の財務をと呼びかけておきながら、本部職員は一律2万円でいい。そして、その金額を末端の会員に話す必要はないという指示が本部職員の上司からなされた」という話は衝撃的でしたよね。

また、ときどきアンチの中で流れるデマ情報が飛び交うこともありましたが、それを打ち消す情報が別の人から聞かれたのもかつての対話ブログでした。

是非、創価学会の現状について、新鮮で正確な情報をお寄せください。

獅子風蓮

(2022.2.9 記)