獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その4

2022-12-26 01:45:45 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



マニュアルで動く信者たち
私は、自分自身が本当にマインド・コントロールされていたのかどうかを考えるために、洗脳や宗教に関する本を読んだ。
その中で、様々の“悪質な”宗教には、多くの共通点があることを知った。
勧誘時には正体をあかきず、迫害する外部の敵を勝手につくりだし、先祖のたたりや脱会することへの恐怖観念が植えつけられる。そのために、話を問いだが最後、信仰を捨てられなくなるというのだ。まさに統一教会のことを言っているようだが、“悪質な”宗教は、ほぼ同様のことを行っているという。
私は、様々な資料をもとに、自分自身の勧誘のされ方、学ぶ方法、その後の生活、それらを照らし合わせて、それこそまさに、マインド・コントロールされていたのだということがわかった。
自分の中に埋もれていた記憶が次々とよみがえってくる。
私は、霊眼が開けているという霊能師に自分のことを見てもらい、そこから統一教会に入っていったはずだった。ところが、それらは霊能師役であり、そしてその人をほめたたえるヨハネ役という役回りまであって、すべてマニュアル化されていたことを知った。私をM先生に紹介した、あの人の良さそうなO氏はマニュアル通りにしゃべっていただけだったのだ。
勅使河原さんが、「統一教会に霊能師なんかいないよ」と、笑いながら言っていたのを思い出した。どうしてそこで疑問がわかなかったのだろう。御言を学べば、霊界と通じることができるようになるのが、統一原理のはずなのに、どうして霊能師なんかいないと堂々と言えたのだろう。
彼は霊能師役がいてヨハネ役がいて、マニュアル化されたものがあることをたぶん知っていたのだろう。
不安をかりたて、不安につけこみ、不当に高価な値段でモノを売りつける。
マニュアルの資料をみると、何から何まで私の体験と一緒だった。
私はそれまで霊感商法は悪いことだとは思っていなかった。私自身が印鑑を買い、そこから統一原理へと導かれ、神を知ることができた。神のもとへと帰るためには、万物復帰が必要なのである。それが救いの第一歩なのであると統一原理では教えられている。だから、印鑑やツポを買うことは、買う側の救いになるのだ。たとえ、この世ではだまされたと言っている人でも、霊界に行けば、「よくぞ、あの時ツポを売ってくださった」と喜ぶに違いないと思っていた。それは霊界に行けばわかることなのだ。
だから、統一原理を知りさえすれば、万物復帰の意味もわかり、霊感商法ではないことがよくわかるはずだと思っていた。それが、これほどひどいやり方をしていたとは……。
しかし、こうしてマニュアル通りに霊感商法を続ける教会員も、悪いと思ってはいないのだろう。いや最初はウソをついてる自分がいやだと思ったとしても、その人の救いのため、世界の救いのため、神のためだと思えば、そんな罪悪感もいつの間にか遼のいていくのだろう。
月百億円などとノルマを与えられ、これに勝利しなければ神の摂理が延長してしまう(文師の言う、地上天国実現のための予定が延期になる) とか、日本がダメになるとか言われれば、必死にならないはずがなかった。
資料によれば、信者の中には「サミット」と呼ばれるグループがあり、「一億円資産リスト」みたいなものがつくられていた。これは不動産やその他で資産が一億円以上ある人のリストで、現段階どのあたりまで“復帰”されているかが記されている。つまり、誰がどのくらい教会関係の集まりに出たとか、ビデオを見始めた頃だとか、どれくらい神のもとへ帰ってきたかが一目瞭然にわかるリストである。
こうして財産を調べあげた上で、ツボや多宝塔などを買わせているのである。
私も一応この「サミット」というグループに属しているということは前に聞いたことがある。一億円なんてとんでもない話だが、特別なグループだったことだけは確かなようだ。
訪韓ツアーを企画して、韓国の霊能師に会わせるということまでサミットのマニュアルの中に入っていて、思わず笑ってしまった。めったに会えないという、あの韓国の霊能師S先生は、サミットグループの人なら容易に会える人物だったわけだ。

 

頭の中に二人の私がいる
次々と脱会する信者たちの手によって、教会内部が暴露されていく。
しかし、これまでもテレビや新聞、雑誌等で様々に暴露されてきたはずなのに、私はそれらに目をやり耳を傾けることはしなかった。そういうものはすべてウソだと思っていた。しまいには拒否反応を起こし、統一教会に反対するものは何も受け入れられなくなり、テレビを見ると頭がいたくなった。キリスト教という名を目にするだけで気持ちが悪くなった。広くなっていたと思っていた視野は、反対に知らぬ間にせばめられていたのだ。
私はマインド・コントロールの恐ろしさを知った。普通に生活し、普通に自分の頭で考えてきたつもりだったのは、いつのまにか、自分自身でさえ情報コントロールをし、心をコントロールするようになっていた。統一教会の考えで、すべてを考えるようになっていた。自分でない自分がおおいかぶきっていたのだ。私と、もう一人の自分、私個人の中に、二人の私が存在していたというわけだ。
ある時は本来の自分が顔を出し、ある時は統一教会員の自分が顔を出し、心はいつも揺れていた。そして、しだいに統一教会員である自分が私を埋めつくすようになっていった。
私たち統一教会員は、マインド・コントロールされた中で造りだされた、あるいは自分が造りだす妄想の世界に生きているのだ。
私は、当然ながら、統一教会がいう“強制改宗グループ”自体が存在しないことを知った。それは、困り果てた親たちの熱意に打たれ、また統一教会問題の深刻さを知り、一円の得にもならない説得を続ける牧師さんたちなのである。
教会はきっと、信者たちが牧師さんと話をしては困るのだろう。真実を知らされるのが怖くて、「つかまったら逃げてこい。何をされるか、わからないぞ」などと恐怖心を与え続けているのだろう。
妄想の世界に生きていた私と、今、現実に知った世界。
私は、聖書をひとつひとつ、ていねいにひもといてくださる牧師さんの姿、時間を忘れるほど熱心に話をしてくださるその姿を見ながら、
(私は間違っていた)
と確信した。


脱会を決意
神を求めたのは確かだった。でも、それがとんでもない神にすり替えられていった。私は神を神として崇めず、神ならぬ神を、神としていたのであった。
「今、どんな気持ち?」
牧師さんが私に尋ねた。
一瞬の間をおいて、私は答えた。
「わかってると思いますけど、やめます」
そう言ったあと、たくさんの人たちのことを思った。私が入信をすすめたT子、それから、私の二番目の姉、そして勅使河原さん。
「勅使河原くんのことはどうするの?」
私の心を見透かすように牧師さんが尋ねる。
私は彼を愛してきた。そう思ってきた。
彼を救い出したかった。
私が脱会するということは、彼にとって私はサタン側の人間になるということだ。彼が脱会しない限り、私たちの結婚はありえない。
私には、どうしていいのかわからなかった。
「彼を救いたいという気持ちはよくわかります。でも、彼が脱会すると思いますか」
私は大きく首を横に振った。
相手が脱会したくらいで自分も脱会するような人は、統一教会の信仰なんか持てない。自分のまわりの誰かが堕ちたとなれば、今まで以上に信仰が強くなるのが普通の信者である。もし逆の立場だとしたら、私は信仰を捨てないだろう。
「これは家族の問題ですからね。家族が本気になって、ことの重大性を知り、動かなければどうにもならないんです」
私は姉がどれほどまでに私のことを心配し、どれほどに苦労をし、涙を流してきたか、日を追うごとに感じていた。姉は執念ともいえる愛情で、私を救い出してくれたのであった。
感謝の気持ちでいっぱいだったが、それを口に出すと、自分の想いが半分しか伝わらないようで言葉が見つからなかった。

 

 

(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

こうして山崎さんは、脱会を決意するに至ります。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その3

2022-12-25 01:19:15 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



学歴コンプレックスから出た経歴詐称
私はもう、真の父母の御名によっては祈れなかった。神を信じているのであって、他の神々を信じていたはずではなかった。唯一なる神を信じていたはずだ。
「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」
私は神の声を聞いたような気がした。
それからというもの、私は、本当の意味で真剣に話を聞くようになった。
世間では大騒ぎになっていること、牧師さんのことをつけまわす車がいることなどを、姉や牧師さんから聞かされたが、今となっては誰にも邪魔されたくなかった。マスコミにも、統一教会にも。
もし、統一原理が間違いであるとしたら、私個人の問題ではなくなる。私は世間に対して、統一原理に太鼓判を押してしまったのだから。
私はとにかく多くの話を聞きたかった。
そして、原理講論、聖書、その他多くの資料をもとに話は進められていった。
何もかもがメッチャクチャだった。文鮮明師の美談も、統一原理のルーツも、真っ赤なウソだった。
文鮮明師は、1935年4月17日のイースターの時、イエスの霊が現れ、
「私のやり残したことをすべて成し遂げてほしい」
と啓示を受けた----というふうに私たちは教えられてきた。
しかし、その日はイースターではない。全キリスト教では、春分の日がきて満月の夜があって、そこから初めての日曜日をイースターとしている。その年の4月17日は日曜日ではなかった。
反対派がそれを指摘すると、それは統一教会が決めたイースターなのだという。まだ統一教会など形も何もなかった時代に、統一教会がイースターを決めるのも変な話だ。それ以来、統一教会では毎年4月17日をイースターとしているらしい。また、最近の講義においては、“イースターの時”という補足は削除されているようだ。
そんな細かいことに、いちいち目くじらをたてなくてもというだろうが、一事が万事そんな状態だった。反対派からのつきあげによってウソをつき、それがどうにも隠し通せなくなったら、最後に真実を話し、理由をこじつけるという手法だ。
文師の学歴だって、「早稲田大学理工学部電気工学科卒」となっていたり、「早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科卒(現在の早稲田大学理工学部)」となっていたり、()内の注釈がとれていたりと、語られる年代、講師によって様々だ。()内の注釈がとれたものが本当の学歴らしく、最近はそう言っているが、もちろん早稲田大学の理工学部とは何の関係もない。
別に私は、メシアは大学出じゃなくていいと思う。むしろ学歴なんか関係ないと思う。ただ、最初は大学出のような顔をして、卒業生名簿などを調べられ、ウソがつけなくなってくると、知らぬ間に経歴を変えていく。そのウソのつき方があまりにも滑稽でバカバカしかった。
メシアである文師の学歴は問わずとも、どんな経歴をたどってきたかは重要なことだ。メシアがどんな家に生まれ、どんな環境に育ち、どういう出会いがあってここに至るのかは「主の路程」として語り伝えられ、それだからこうなのだと結論づけられているのだから、それぐらい正確に話してほしいものだと思った。関係者の聞き間違いですまされるものではない。“誰か”がウソをつかなければ、この経歴詐称が生まれるはずはない。

 

次々と検証される新事実
私はふと勅使河原さんが言った言葉を思い出した。多くの愛着をこめて笑いながら口にしたのは、「お父様は、学歴コンプレックスがあるから」という言葉だった。
私や桜田淳子さんの相手を選ぶにあたっては、東大卒から先に探したということを、私は聞いていた。それでも東大出ではいなくて、私の相手の勅使河原さんは原研の会長が推薦したのだそうだ。そういう背景もあって彼はそう言ったのだろう。
彼が言うように、学歴コンプレックスから出たウソなのかもしれない。
今までのキリスト教では救われないと言いながら、既成キリスト教からの質問状に対して、「私たちは聖書を教典としています。文鮮明をメシアとは呼んでいません」などと平気でウソをついている資料をみた時、「キリスト教」という名がほしいだけの統一教会のやり方に腹が立って仕方がなかった。
なぜ堂々と、「聖書は真理それ自体ではなく、真理を教示してくれる一つの教科書、(中略)不動のものとして絶対視してはならない」(原理講論より)と、「文鮮明はメシアである」と、既成キリスト教に向かって言えないのか。
他の多くのウソは、反対派の資料ではなく、統一教会から出している出版物によって明確になった。今までこうしてゆっくり見比べたことはなかったが、これでは話にならない。
そして、あまりにも、あまりにもいいかげんな聖書の引用、ねじ曲げ、つくられた美談。統一教会の表の顔と裏の様々な顔・顔・顔。
(いったい私は何を信じてきたというのだろう。神を証できる喜びを味わいながら生きてきたというのに、サタンの手先となって働いてしまったというのか)
布団の中で、泣きながら考え続けた。
(もし、そうだとしたら、私は大変なことをしてきてしまった。神様、ゴメンナサイ。神様……)
「どうして浩子さんは、文鮮明をメシアとして信じたの?」
「高校の時の恩師と重ねあわせて、同じように人のために生きている人だったら信じられると思って……」
「そう、じゃあ、その先生と文鮮明が同じような生き方をしているのか見比べてごらん」
美談がくずれ去った今、比べようもなかった。“為に生きる”と言いながら、何のためになってるんだろうと思った。
恩師はこんなウソつきじやない。もっと正直に生きている人だった。
私は自分が信じたものを真理とし、正しく検証することなく、他の人にすすめてきたのだ。私は、私自身の手によって、人の人生をも狂わせてしまったことになる。

 

思考回路はコントロールされていた
私は、ほとんど統一原理を間違いだと思うようになっていた。
しかし、すぐに決断はできなかった。
統一教会の信者たちのやさしさ、温かさ、真剣さにふれてきた私であった。
自分が間違っていたと認めることは何でもないことだった。けれど、私に接してくれていた教会の人たちを、否定することがなかなかできなかった。
慎重にしなければならない、そう思った。
が、聞けば聞くほど、あまりのいいかげんさに開いた口がふさがらなかった。
それにも増して、自分自身の無知、大バカさかげんにも腹が立って仕方がない。なんでこんな簡単なことが今までわからなかったのか、気づかなかったのか。
頭はパニック状態だった。
「仕方のないことなんですよ。あなたたちはマインド・コントロールされてたんですから。情報をコントロールされ、心をコントロールされていたんです。いったん、その思考回路にはまっちゃうと、なかなか、そこから抜け出せないんですよ」
牧師さんがそう説明してくれる。
私は統一教会から与えられる一方的な情報だけをうのみにしてきた。
たとえ、世間で統一教会に不利な情報が流されたとしても、すぐに連絡が入り、「それには、こういう深い意味があった」とか、「あの人はこんなに悪いことをしてきた人だから、あの言葉は信じられるものではない」という言葉にかき消されてきた。
私に接してくれていたあの人たちは、真実を知っていながら嘘を言っていたのか、それとも嘘を真実だと思って話していたのか、何もかもがわからなくなり、また信じられなくなった。
「浩子さん、あなたは自分自身でこの道を選んだといいましたよね。でも、それはあなたの意思のようにみせかけてはいるけど、ホントはあなたの意思じゃないんです。あなたには、この道を選ぶしか道がなかったんです」
私は統一原理に出会った頃のことから、少しずつ記憶をたどり始めた。
(統一原理なんか聞かなきゃよかった)
と、何度思ったことだろう。この道は決して楽な道じゃないことはわかっていた。でも父の犠牲によって先祖の犠牲によって、私がこの道を知ったというのなら、つらくても行かなければと思った。私一人が犠牲になることで、先祖や子孫が、そして氏族が救われるのなら、私はこの道を行かなければならないと思ったのだ。
「もし、堕ちたら大変です。七代がのろわれ、堕ちた人はみんな悲惨な末路をたどっています」
そういう言葉を何度聞いたことだろう。私一人が責任を果たさない、神やメシアを裏切ることにより、自分はおろか、先祖や子供たちまで悲惨な結末に陥れることになる。
怖かった。信仰をなくすことが怖かったのだ。
この道は、自分の意志で選んできたと思っていた。けれど、それは選択肢のない選択だった。
話を聞いた以上、あと戻りができない出口のない道を歩くしかなかった。自分が責任を果たさないことに多くの恐怖を与えられ、行く道はひとつしかなかったのだ。私にはこの道しか残されていなかったのである。
自分一人が信仰を持ち続けることにより、世界までもが救えると、すべての重荷をしょったつもりで歩いてきたのではないか。

 

 

(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

教会から距離を置き、誠意ある牧師の言葉に耳を傾けることによって、山崎さんの頑なな思考は徐々に解きほぐされていきます。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その2

2022-12-24 01:16:06 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



反撃のシナリオづくり
3月14日。
とうとう、母の命日もこんなところで迎えてしまった。
私は、万年床にしていた布団をきちんとたたみ、このマンションに来てから初めて、自分で掃除機をかけた。
母へのお供えを用意してもらい、一人一人が静かな祈りをささげた。
その夜。
早々と布団にもぐりこんでいた私のところへ、姉が近寄ってきた。
「ヒロさん、大事な話だから、ちゃんと起きて」
緊張した声だった。私は布団の上に膝をかかえて座りこむ。
「ヒロさん、私はやっぱり、統一教会から脱けてもらいたい。あんたは何もしてないかもしれないけど、こんなに社会悪を起こしている団体の広告塔になっているのが許せないのよ。私が牧師さんとつながっているのは知っているよね」
私は、バスタオルを頭からかぶったまま、ウンとうなずく。
「牧師さんの話を聞くか、今まで通り私たちだけで話をするか、どっちかに決めて。私はいつまででもいいんだよ。一生でもあんたにつき合う覚悟なんだから。ここの暮らしは快適だし、ごはんもおいしいし、ねえ」
私は、快適だという言葉が気に入らず、皮肉っぽくこう言った。
「よかったんじゃない。今まで9カ月間苦しんできたんだから……」
その時だった。
姉の顔色がサッと変わった。
今まで気丈にふるまっていた姉が、涙を流し、声をふるわせながら怒鳴った。
「何が9カ月苦しんで来ただア!あんたに何がわかる! 私は毎日夢を見てきたんだよ。毎日、あんたを説得してる夢を見続けてきたんだ。ごはんをつくってる時も何してる時でも、一時もあんたのことが頭から離れなかったんだ。9カ月間毎日だよ。あんたはそれだけ神様のことを思ってきたのか!」
返す言葉がなかった。
「あっちこっち行って、お願いします、ヒロコを助けてくださいって言っても、誰も引き受けてくれなかったんだ。お姉さん、それは無理ですって。両親がいないのに、どうやって説得できますかって。これは家族の愛情でしか救えないって。
親たちがどんなに必死になって牧師さんにお願いしてるか、あんたたちには、わからないでしょう! 一晩考えて決めなさい!」
かわいい自分の子供たちを家に残して、私のために必死に説得する姉。仕事まで辞めて、このことに関わっている叔父と叔母。
その真剣さにウソはなかった。
でも、この人たちが真剣であるように、私もまた真剣なのである。私は命をかけて信仰を貫きたいと思っているのだ。信仰をなくすぐらいだったら、神様の手によって、霊界に召してもらった方がいいとさえ思っているのだ。
私は負けない。たとえ何を聞こうとも、私の信仰は失われない。真剣勝負の戦いをしよう。
心を決めて眠りにつく前に想像した。
怖い顔の、いかにもいやらしそうな顔の牧師が入れかわり立ちかわり部屋に入ってくる。どんな暴力を加えられても、私は耐えるのだ。ナイフを持ってきて、それを牧師の手にゆだね、信仰を失うぐらいなら死んだ方がましだから私を殺してくださいと言うのだ。
いや、それよりも偽装脱会の方がいいかもしれない。最初は抵抗して、そのうちにわかったふりをして脱会を決める。それぐらいの演技はできるだろう。そして記者会見をする。浅見定雄や、統一教会に詳しいジャーナリストの有田芳生、それから明日から来る牧師やその他もろもろを横にズラーツと並べてやるんだ。記者会見場へ行く廊下で勅使河原さんとすれ違う。私は目も合わせずに、スーッと会場の中へと入っていく。それから私はしゃべり始める。
「私はここ座っていらっしゃる浅見先生はじめ多くの方々に感謝しています。なぜならば、統一原理が真理であることを再認識させてくれたからです」
みるみる変わっていく反牧のやつらの顔。私はそこで“拉致・監禁”の実体を暴露するのだ。
ウン、これは面白いかもしれない。でもちょっとやり過ぎかな。
まあ、いろいろ話を聞いて、「牧師さん、話はわかりました。でも私は統一原理を信じます」
というのがいちばんいいだろう。
あれこれと考えていると、なかなか眠れない。私は聖書を取り出して一心に読みふけった。


元教会員牧師の脱会理由
翌朝、姉に牧師さんを呼んでほしいと頼んだ。
そして、その日の夕方、二人の牧師が訪れた。自分の教会の仕事があるので、翌日からは交代で来られるということだった。私は三つ指をついて、少しばかり笑みを浮かべて出迎えた。
「ボクがサタンに見えますか?」
私は首をふった。誠実そうで嘘がつけないようなタイプに見えた。統一教会で言われているのとは、ちょっと違うなと思った。
「あなたは、統一原理を真理として信じているんですか」
「はい」
「真理とは、ぐらぐらしない、動かないものという意味ですね」
「はい」
「そしたら、統一原理が本当に真理であるのか一緒に検証していきましょう」
「はい」
今日はあまり時間がないので……ということで、初めに聞かされたのは、脱会した信者に対して、教会の指導者クラスの人からの脅迫電話を録音したテープだった。
(こんな人もいるの?)
おそろしいほどに、薄汚い口調だった。
統一教会をやめるのはいいが、反対活動だけはするな。霊の子たちに連絡するんじゃない。もし、そんなことをやったら、ただじゃおかない。----そんな内容のテープだった。
私は悲しくなった。教えは正しいのに、こんな人がいるから、教会が悪く思われたりするんだ。
文先生に申しわけない。そう思った。他にも多くの暴力事件の資料を見た。
信じられない。
しかし、統一原理は正しいし、メシアである文先生は正しい。それなのに私たち一人一人が、きちんと責任を果たさないから、こうなってしまうんだ。いきすぎのあった点は、これから私たちが改善していかなければならない。そうでなければ、神とメシアがかわいそうだ。
私は何を聞いても、そんなふうに思うばかりだった。
翌日。
牧師さんが自分のことを話してくださった。彼は、なんと以前統一教会員だったのだ。
(どうしてこの人は、堕ちちゃったんだろう。アダム・エバ<男女問題>か、アベル・カイン<上下問題>か。それとも反牧の手によるのか)
ところが、そのどれでもなかった。彼は教会員である時に、既成教会の神学校へ通わせてもらったのだそうだ。キリスト教と統一教とをひとつにしなければならないという神の摂理があるので、キリスト教を学ぼうということだったらしい。
そして、そこで統一原理でいうキリスト教の概念がかけ離れていることを感じ、深く学んだあと、自分から統一教会を脱会したのだそうだ。キリスト教を学んで、統一原理の間違いに気づいたのだという。
私は今まで、そんな人に出会ったことがなかった。教会の中で耳にするのは、「天理教や創価学会や、いろんなところから統一教会にいっぱい来てるのよ。それに既成教会からもね、たくさん来てるの。みんな今までのキリスト教では得られなかったものがあるから、どんどん来てるのよねえ」ということだった。
逆に統一教会から既成キリスト教へ自分の学びによって離れていく人がいることなど聞いたことがなかったし、また信じられなかった。
これこそ真理と思えるぐらい、統一原理は素晴らしいものなのに、それを自分から捨てたというのか。


脳天を打った衝撃の一文
そんないくつかの話のあとだった。『福音主義神学概説』(H・ミューラー著、日本基督教団出版局刊) のたった数行の文を見せられた時、私は、身体の中がカーッと熱くなったのを感じた。
それは、次のようなものであった。

問1 福音主義神学の本質は何か

1)福音主義神学は、〔十戒の〕第一戒の約束に基づいている。「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト記20・2-3)。福音主義神学は、すべての真正なユダヤ教神学とともに、ご自身をその言葉そのものによってその民に啓示し給うた神の約束の下に立っている。それはその基点において、啓示神学である(ローマ3・2f)。
それによってすべての異教的神学(自然神学)が退けられる。なぜなら、
 a  福音主義神学は、神が人間を欲し、求め、見出し給うことによってご白身を認識させるべく与え給うということに信頼しているが、しかし異教的神学は、人間が神を欲し、求め、見出すことによって神を発見するということを頼りにしているからである。
 b  福音主義神学は、神が神からしてのみ、すなわち神ご自身のみ言葉からしてのみ認識され得るということ、それゆえまた神がご自身を人間に啓示し給うということに基づいているが、異教的神学は、神が創造から(現に存在しているものから)認識され得ると考え、それゆえ人間は神を発見し得ると考えているからである。
 c  福音主義神学は、神認識が賜物であり恵みであることを知っているが、異教的神学は神認識を宗教性や敬虔における人間の業と見なしているからである。

(統一教会は、キリスト教を統一するなんて言ってるけど、これでは、そんなことは絶対にできない。キリスト教における最大の罪を犯しているんじゃないだろうか)
統一原理は、被造世界から、つまり現に存在しているものから、神を知ることができるという教えだった。
つまり、福音主義神学では異教的神学と定義されていることを、統一教会は行っていることになる。神を人間の理性や知性でおしはかれる存在とする統一原理は、神を人間より小さい存在として見ることになるというのが、福音主義の考えである。たとえ福音主義というものがキリスト教の中の一部の考えだったとしても、統一原理とは決して交わることはない。統一教会がキリスト教を統一することなど、できない相談なのだ。
私は、その本を一晩中読み続けた。難しい本だった。けれど、統一教会の信仰は、この本でいっている本当のキリスト信仰とはかけ離れているものであり、正反対の極と極であることだけはよくわかった。
どっちのいう神がホントなんだろう---- 。
(神様、どうか私に正しい判断を与えてください)

 

 


(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。

米本和広『我らの不快な隣人』(情報センター出版局、2008.07)
という本があります。

米本和広氏は、統一教会問題に取り組む弁護士・宗教家・学者・元信者たちから、「統一教会の肩を持つルポライター」として批判的に見られることがあります。
安倍元首相襲撃事件を起こした山上徹也が事件前に手紙を出した人物としても知られています。
山上徹也はなぜ反統一教会の運動をしている「正義の弁護士」に相談せず、「統一教会寄り」と見られることもあるルポライターに手紙を出したのでしょうか。

少し調べてみました。

米本和広
経歴:
島根県生まれ。横浜市立大学卒。繊研新聞記者を経てフリーのルポライターとなる。
本来は経済関係が専門だったが、幸福の科学の取材をきっかけに、新宗教やカルトの問題をも多く扱うようになった。……
『月刊現代』2004年11月号に発表した「書かれざる『宗教監禁』の恐怖と悲劇」を機に、世界基督教統一神霊協会(統一教会、現在の世界平和統一家庭連合)の脱会活動を拉致監禁と主張する本を出版し、それまでのカルト批判の立場に加えて、反統一教会・反カルト陣営の活動も問題視するようになった。統一教会の公式サイトでも米本の活動が複数回取り上げられている。
(Wikipediaより)

米本氏のスタンスは次のようである。すなわち、統一教会が「高額な信者献金」や「正体を隠しての伝道活動」の問題で社会的批判を受けても仕方はないが、「だからといって、子ども──子どもといっても成人であり、なかにはすでに結婚し家庭を築いている人もいる──を強引に拉致監禁し、強制的に説得するという行為が許されるはずはない。『拉致監禁』は刑法220条の『監禁罪』=懲役3ヶ月以上5年以下に相当する犯罪であり、たとえ親でも免責されるわけではない。
講談社「月刊現代」が強制改宗事件に関するドキュメント掲載 より引用)

米本和広氏の著書『我らの不快な隣人』を図書館で借りて実際に読んでみたところ、統一教会の悪い面はしっかりと断罪した上で、信徒を“拉致・監禁”して逆洗脳をする方法に対して、厳しい批判をしています。
反統一教会陣営では名うての“脱会屋”として、有名な人物(宮村峻)もいるそうです。
宮村には暴力的言動や、脱会させた信者を自分の会社の社員にするといった公私混同があるとのことです。
脱洗脳を手助けする牧師にも、金儲け主義的で乱暴な人もいるようです。


監禁方法についても具体的に言及されています。
少し引用します。

監禁にもソフトとハードがある。
もっともソフトなのは、山崎浩子を脱会説得した杉本誠のやり方である。
彼が好んで使う言葉は「南京錠ではなく愛情の目で縛れ」というもの。
家族に用意してもらうのは民宿。そこに両親、兄弟、祖父母、親戚……など一族を集める。……
杉本が要求するのは監視要員としてではなく、その信者のことを心の底から心配して民宿に駆けつける人たちである。……

山崎浩子さんは、たまたま“反牧”の中でも良質の牧師さん(杉本誠)に巡り会えたようです。
そのおかげで、脱洗脳がスムーズに行われたと言えるでしょう。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第4章 その1

2022-12-23 01:47:22 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
■第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



■第4章 暴かれた嘘

“反牧”との戦い
「ヒロさん、ホラ着いたよ」
姉に起こされて、車中に脱ぎ捨てていた靴をはく。車を降りて、やっとたどり着いたのは、あるマンションの一室だった。
(窓には鉄格子はないんだな)
教えられてきた“拉致・監禁”のイメージと少し違ったのでとまどいを覚えた。
「今日はもう遅いから寝よう。明日からきちんと話し合おう」
そういう叔父の腕時計に目をやると、もう明け方近い時間だった。
(少なくとも、北海道じゃないな)
私は推理小説の探偵にでもなったような気分で、つとめて冷静でいようとした。
明日から、いや正確には今日から戦いが始まる。
私は姉から渡されたパジャマを着ることなく、洋服のまま、布団にもぐりこんだ。
布団の中であれこれ考えてみる。
(姉はなぜ、こんなバカなことをしたのか)
姉は世間体を気にするタイプだった。こんなことをしたら大騒ぎになるのは目にみえている。それをやってのけるとは、正直いって思ってもみなかった大胆さだった。
先日も教会の人に、「お姉さん、大丈夫かしら。一周忌を前に、もう一度、人身保護の嘆願書と婚姻届を書いといた方がいいわよ」と言われ、「まあ、姉は拉致・監禁なんて、そんなだいそれたことはしませんよ」と答えていたばかりなのに。
私の信仰は、自分のためだけじゃない。姉たちのためにも信仰しているというのに、それを知らずして、“反牧”のわなにはまった姉たちを恨めしく思った。どんなに私のことが心配だといっても、これはやりすぎである。私の社会的立場を考えていない。“反牧”が出す本を読みすぎて、正常な判断をなくしてしまったのだろう。
私は、裏切られた想いでいっぱいになり、腹が立って仕方がなかった。
自宅の机の上に置いてきた婚姻届が頭に浮かぶ。
(やっぱり、教会の人の指示通り、もっと早く書いておくべきだった。なんでサインをすませておかなかったんだろう。書いておけば、彼も私のことを捜しやすかっただろうに)
逃げようとは思わないが、話し合っても平行線なのは目に見えている。かといって勅使河原さんに助けを求めても、彼はまだ赤の他人の存在でしかない。今の状態は、夫と妻の立場ではないのだ。
どうすればいいんだろう。どうなるんだろう。行く先は真っ暗で、何の光も見えなかった。

 

無言の抵抗
3月7日。
お昼頃に目を覚ました私は、姉たちを相手にしないことに決めこんだ。
(この人たちとは、口もききたくない)
私はフテ寝をして、無言の抵抗を続けた。起きている時は、部屋の隅の三角コーナーにへばりつき、じっと座りこむ。「ごはんを食べなさい」とかなんとか言われても、ウンともスンとも答えなかった。ごはんも“ねこまんま”にして少し口にするだけ。あまり食べたいとも思わなかった。一人になれるのはトイレだけなので、何度もトイレに入っては、また三角コーナーに座りこむ。やることがなくて、しょっちゅう歯を磨く。
姉はそんな私を見て、
「蕩減条件でもやってんの?」
と笑いながら聞く。
私はムカついて、
「なんで歯をみがくのが蕩減条件になるのよ。バッカじゃない?」
と、あざけり笑うのが精いっぱいだった。
叔父たちは、姉が持ち込んだ反対派の本をじっと読みふけっている。部屋には、『統一教会=原理運動、その見極めかたと対策』(浅見定雄著)など、十数冊の本が散乱している。
(こんな反対派の根も葉もないメチャクチャな本を読んでたら、叔父たちが洗脳されてしまうじゃないか。色メガネをかけた状態で、どうやって私の話をきこうというのか)
私はとくに、この浅見定雄なる人物がきらいだった。何度も元信者と一緒にテレビに出て、統一教会批判を繰り返していた人であり、「彼こそ、改宗グループの長である」のだと聞かされていた。
姉が「浅見大先生が……」というたびに、頭に血がのぼる。
(なーにが浅見大先生だ。フン、やっぱり改宗グループとつながってんじゃないか。早く反牧呼んでこい。反牧を)
私以外の者は、皆、敵だった。誰も私の心などわかるはずがない。
なぜなら、彼らは統一原理を知らないからである。私は、姉や親戚のためにも信仰を貫いているというのに、統一原理を知らないということは、恐ろしいことだと思った。そうして反対活動をすれば、姉たちが悲惨な末路をたどってしまうことになるのに。
私は祈る。
(天のお父様<神様>、姉や叔父たちは自分が何をしているのか、わからないでいるのです。どうぞ姉たちを許してください。私が姉の9カ月に及ぶ苦しみを、わかってあげなかったのがいけないのです。その苦しみは、この場において、私がすべて受けたいと思います。
どうかお父様、どんなことがあっても最後まで、あなたを信じ、ついていきますので、守り導いてくださいますように願いながら、真のご父母様<文鮮明・韓鶴子>の御名を通して天の御前にお祈り申し上げます。アーメン)
私は、聖書の中でイエスが十字架につけられる時にイエスが語った言葉のような祈りをささげた。
あふれ出る涙をバスタオルで拭う。たぶん私の気持ちをいちばん理解してくれているのは、このバスタオルだけだろう。このタオルは、片時も私の元から離れることはなかった。

 

「こんなの話し合いじゃない」
「ヒロさん、なあ、けっこう快適だよね。私はいいんだよ。一生でも二生でも付き合うから。もう離婚覚悟で来てるんだから、あんたも好きなだけいていいよ。ほら、叔父ちゃんも叔母ちゃんも仕事辞めて来たんだから。ねえ、叔父ちゃん」
姉がベラベラ一人でしゃべりまくる。
(とんでもない。一生、こんなとこにいてたまるか)
和室が二つとリビング。台所には、10キログラムのお米が3袋。たぶん、もう1袋開いているのがあるはずだから、計4袋。様々な食料品も、きちんと、たくさん備えてある。
姉の意気込みが半端なものでないことは、それらを見ただけでよくわかる。
私は、たまらなくなって、泣きわめいた。
「なんでこんなことする! なんでこんなことしなさやいけない! 私はどこにも逃げない。東京の私の家でだって話し合いはできる。こんなの話し合いじゃない。こんなの話し合いじゃない!」
「ダメよ。家なんかでやったら、すぐ統一教会の人が来ちゃうもの。これしか方法がないの」
姉は、今度は少し諭すような調子で言った。
「ヒロさん、あのね、私たちは別に強制的にやめさせるために、ここにいるんじゃないの。ただ、別の情報を知ってもらいたいだけなのよ。あんたたちは統一教会の出す本しか読んでないでしょ。だから、両方の情報から判断してくれれば、いいことなのよ。全部知って全部聞いて、それでもあんたがやるっていうなら、そりゃ仕方ないから、私は何も言わない」
(私は別に、教会の中だけにいたんじゃない。普通の仕事してたんだから、他の情報だって何だって知っている。ただ、それは全部ウソっぱちの情報なのに……)
もう、言い合う元気もなかった。
何日、こんな調子が続いただろうか。
私は、新体操スクールのことが気になって仕方がなかった。スタッフがどんなに困惑していることだろう。
勅使河原さんだって、本当に心配しているに違いない。3月7日の夜、11時過ぎの夜行バスに乗って、一緒に東京へ帰る予定だったんだから、心配しないはずがない。彼もきっと“拉致・監禁”だと思っているだろう。
(今頃教会は、“拉致・監禁キャンペーン”でも張っているのだろうか。それとも、私がもし脱会することにでもなったらということを考えて、ひた隠しに隠すのか、どちらかしかないな)
無言の時を過ごしても、あきらめてくれそうにない。かといって口を開けば、言い合いになるだけだ。
原理講論の解説をしてくれと言われて、必死で説明しても、本の最初の3行でつまずいてしまう。どうして、うちの親族は、こうも物わかりの悪い人間たちなのだろうと、あきれてしまう。
そんなある日、ここに来て何日目の夜だったろうか。私は今までの攻撃的な態度を一変させ、おちゃらけた口調で、しゃべりまくった。
「早くしないと、世間が大騒ぎするでごじゃりまする。早く“反牧”を呼んでこいでごじゃりまする。『サダボウ』でもいいでごじゃりまする」
こんな調子で2時間はまくしたてただろうか。「サダボウ」とは、憎っくき浅見定雄のことだった。
みんな、そんな態度の私を見て、久しぶりに大笑いし、私もなぜか気持ちがよかった。

 

 


(つづく)

 


解説
第4章では、山崎浩子さんが“拉致・監禁”され、旧統一教会の信仰を捨てるまでの様子がていねいに描かれています。


獅子風蓮


山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』第3章 その7

2022-12-22 01:01:37 | 統一教会

山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
■第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき



入籍は母の一周忌まで延期
一方、私と勅使河原さんは新居をさがし、あとは入籍を待つばかりだった。すでに勅使河原さんは、新居へ移り、母の一周忌が終わってから入籍して一緒に住むことにしていた。
早くー緒に住みたいという気持ちはあったが、姉たちからも一周忌がすむまではやめてくれと言われていたし、自分自身もそれがけじめであると思っていた。
教会の人からは、早く入籍した方がいいと言われていたが、それだけはできないと思った。
「浩子さんはお姉さんに主管(支配)されすぎてるってM先生が言っとったぞ」
勅使河原さんが教えてくれる。
教会の指示通りにやれていない自分に罪悪感はあったが、姉の反対を押しきってすべて事後承諾のようにやってきた私だから、一周忌が終わってからという姉の願いだけは受けてやりたいと思った。
そうこうするうちに、勅使河原家のご両親が私の姉夫婦に会いたいという申し出をしてくださった。
「どんな形にしろ出会った二人が結婚するんだから、披露宴の話も出ていることだし、せめて顔合わせをしたい」
ということだった。両家の顔合わせは大きな進歩のように思えた。一周忌の前に会っていた方がいいという勅使河原さんの言葉に、私ももっともだと思った。
「どうにか、都合をつけてほしいんだけど」
「だんなに聞いてみるけど、今、年度末で忙しい時だからね。難しいと思うよ」
姉はそう言った。
「それに、お墓の件もあるんだから。そっちの方が先でしょ」
それもわかっていた。母の一周忌を前に、お墓を少し整理しなければならない。そちらの方が先にやるべきことだった。私は、姉を怒らせない程度に、何度かお願いしてみようと思った。
何度目かの電話の時、姉はしぶしぶ承諾してくれた。教会に報告すると、「よかったわね。一周忌の前に両家が会うなんて、恵みねえ」と喜んでくれた。
披露宴を勝利するための第一段階として、その日を大切にしようと思った。

 

教会問題に終始した両家の顔合わせ
3月5日。
私と勅使河原さんは名古屋行きの夜行バスに乗った。東京駅から出発し、明け方には名古屋につく。これなら、誰にも顔を見られずに移動することができる。私は、これから訪れる素晴らしい日を思い描きながら眠りについた。
朝方、名古屋駅についた私たちは、約束の2時までには時間があったので、勅使河原さんは実家へ、そして私は鳥羽市の姉の家へと向かった。この日、勅使河原さんのご両親とは姉の家で会うことになっていた。
「まだちゃんと掃除ができてないのよ。ヒロコは疲れただろうから、ひと寝入りすれば? あとで起こしてあげるから」
姉はていねいに掃除機をかけたり、洗濯をしたりしている。邪魔になってはいけないからと、少しの間ふとんにもぐりこんでいたが、どうにも気になってまた起きてきた。
観葉植物の葉っぱをふいたり、ソファーの位置をずらしたりと、自分にできることをしながら姉の様子を見ていたが、普段と変わりない姿に安心した。勅使河原家と対面することを、さほどいやがってはいないらしい。
一段落して姉が聞いてきた。
「お昼どうする? ミートスパゲッティでいい?」
私は姉のつくるミートスパゲッティが大好きだった。
その昔、姉は料理や裁縫という家庭科に関しては無頓着で、お嫁入りする時に母が心配したぐらいだった。けれど結婚したあと、みるみるうちにうまくなって、子供たちの洋服や自分の服もリフォームしてつくったり、パンだって生地からコネてつくったりと、なかなかの達人になっていた。ミートスパゲッティをつくってくれるという姉に、不思議な喜びを感じて「ウン」とうなずいた。
統一教会に反対していながら、それでもこうして私たちを温かく迎えようとしている姉の心の中を思うと、なんだか切ない感じもしていた。
ちょうど義理の兄も帰ってきて一緒にごはんを食べ、少し休んだあと、また片付けに追われた。
時間がどんどん過ぎてあせるばかりである。
やっと一段落し、さ、これから化粧でもしようかという頃に電話のベルがなった。
待ち合わせの駅にもう着いたという勅使河原さんからの亀話だった。予定より二十分も早い電話に、姉も私もほとんど化粧もせずにすっとんでいった。
出迎えに行き、姉の先導で事を走らせ、再び姉の家へと舞い戻ったのは2時を少しまわった頃だった。
話は統一教会のことに終始した。姉はメシアのことをファシズムだといい、勅使河原さんのお母さんも、霊感商法やその他の問題点を指摘していた。
披露宴を5月末ぐらいにはやりたいと切りだしても、
「披露宴に教会の人が出るんなら、私は出ませんから」
と姉は言う。
私はだまって聞いているしかなかった。統一原理を知らない人にとって、祝福がわかるわけではないし、霊感商法といわれる万物復帰の意味もわかるはずもなかった。
2時間ぐらいの時が過ぎ、勅使河原家の人たちと別れを告げた。見送りに出て、部屋へと戻りながら姉がこう言った。
「ごめんね、ヒロさん。あんたの思うように話が進まなくって」
「ううん、いいの別に。そんなことないよ」
私は首を軽く横にふりながら答えた。
会ってくれただけでも十分だった。内容がどうであったにしろ、両家が無事出会えただけでよかっだ。第一段階をのぼれたような気がして、私はそれだけで幸せな気分だった。
部屋に帰ると緊張していた糸が切れ、疲れがドッと出た。
「叔父ちゃんたちが夜くるから、先におフロに入ってれぽ?」
私は湯船につかり、今日の出来事を思い出しながら、これからもがんばろうと決意をあらたにした。

 

“拉致・監禁”が始まった
夜になって叔父たちが到着した。一周忌を前に、お墓の話し合いをするのが目的だった。
しばらくは昔話や世間話に花が咲き、テレビを観ながら談笑していた。
その時----。
「ヒロコちゃん、叔父ちゃんたちはあなたの結婚に対してやっぱり納得できないんだよ。だから、お互いに納得のいくまで話し合いたいんだけどね。場所を変えて話そうじゃないか」
叔父のその言葉は、それまでのなごやかな空気をかき消すかのように、突然吐き出された。
私は、一瞬にして変わってしまった姉たちの表情と、重く緊張した空気で“そのこと”を察知した。
(しまった、やられた)
不意にあふれてきた涙が、私のこわばった頬を、とめどもなく伝う。
(姉たちが“拉致・監禁”をするなんて----)
到底信じられないような想いだった。けれど、これは間違いなく、統一教会で何度となく聞かされた“拉致・監禁”だった。
喉からしぼり出すような声で私は尋ねた。
「ここでは話し合いはできないの?」
「いや、時間もかかるだろうから、外に出よう」
みんなの視線が、私に突き刺さってくる。逃げることはできない。いや、逃げてはいけないと思った。
私は今まで、この統一教会問題に対して、いつでも堂々と対処してきたつもりだった。自分が信じている統一原理というものに、誇りを持ってきた。
だから、たとえ“拉致・監禁”によって、私に対してどんなことが行われようと、逃げるわけにはいかない。
私は、教会のある人が、私に対してジョークを交えながら、こう言ったことを思い出した。それは、初盆から無事に帰ってきた日のことだった。
「いやあ、残念でしたね、つかまらなくて。私は、浩子さんが“拉致・監禁”されればいいと思っているんです。そうすれば、マスコミに対して、改宗組織や“拉致・監禁”の残虐さをアピールできますからね。ホントに残念ですよ。ワッハッハ」
そんな言葉を聞きながら、「そんな他人事だと思って」と、みんなで笑っていたのだった。
そのことが今現実となって私の前に現れた。今こそ、“拉致・監禁”の実体を知らなければならない----そう心の奥底でつぶやいた。
少しの間をおいて、私は立ち上がった。
姉や叔父たちが、それに続いて立ち上がる。階段を一段一段踏みしめるように降り、用意された車に乗りこむ。私を真ん中にはさむようにして、姉と叔母がシートに身を沈める。
姉は、私の手をさすりながら、「ごめんネ」と繰り返していたが、私はその手を払いのけたいような衝動にかられた。
(ここまで来たら、腹をすえるしかないな)
車はどこに向かって走っているのか、全然わからない。これからどうなるのか、それもまた、まったく見当がつかなかった。
(天のお父様<神様>の御心のままに……)
私は小さくつぶやきながら、浅い眠りについた。

 

 

(つづく)

 


解説
第3章では、山崎浩子さんが旧統一教会での合同結婚式に参加するもその後“拉致・監禁”に至るまでの様子がていねいに描かれています。

いよいよ、実の姉らによる“拉致・監禁”がはじまりました。


獅子風蓮