記念日などの知識が乏しい私は、「○月○日は何の日?」と聞かれても、回答できないケースが多いが、
本日6月5日については、「天龍が鶴田に初めてシングルで勝った日!」と即答できる。 ※ピンフォール勝ちは初
プロレスを真剣に見なくなってから何年もたち、当該試合が行われたのは1989(平成元)年と、もう35年もたっているし、
当日、私が観戦していたのは、武道館の二階席(実質三階席)後方という、決して良好ではないポジションであったが、
それでも、あのときの感動と興奮は、今でも脳裏に焼きついている。
私は以前、「プロレスの東京ドーム・ベスト興行は、90年2月10日の新日本」と断言したが、
日本武道館ならば、「89年6月5日の全日本プロレス」こそ、史上最高興行であり、
7年前のREBECCAを体験するまでは、ベスト・オブ・武道館ライブでもあった。
さきほど、「あのときの感動と興奮は、いまでも脳裏に焼きついている」と記したのだが、
改めて振り返ってみたところ、いろいろと忘れていたことや記憶違いがあったことが判明(苦笑)。時の流れを痛感させられるね。
たとえば、「入場者数が15200人」だったこと。私はてっきり、その後の全日・武道館では恒例となった、超満員16500人だと思い込んでいた。
ただし、客席の埋まり具合は、自身が経験したりTV中継で観た過去の武道館とは違い、二階席まできっちり客が入り、
メインのジャンボ鶴田-天龍源一郎の試合では、両者のファンの大声援が重なり合う、史上最高レベルの盛り上がり。
週刊ゴングの連載企画「河口仁のワンポイントパフォーマンス」でも、“こんなの初めて!”と記していたように、
長年、プロレス会場に通っている河口先生ですら、驚くほどの大歓声だったのだ。
この日の武道館大会は、「スーパーパワーシリーズ」の第18戦に該当。ちなみにシリーズは全20戦で、最終戦ではなかった。
当時の全日本プロレスの流れを、ごく簡単に説明すると、前シリーズの「チャンピオンカーニバル」で、
鶴田がスタン・ハンセンを破り、インターナショナル、PWF、UNの全日本シングル3大ヘビー級ベルトを統一。
三冠王者として天龍の挑戦を受けるも、試合途中、鶴田が天龍にパワーボムを仕掛けたところ、汗で滑り急角度で落としてしまい、
首を負傷した天龍がピンフォール負け。鶴田にとっても、不本意な防衛戦となった。
このアクシデント、天龍の攻めにイラついた鶴田が、あえて危険な落とし方をしたという説もあるが、定かではない。
スーパーパワーシリーズ最大の見どころは当然、鶴田と天龍の決着戦であった。
他にも、未知の強豪スティングの初来日、ブリティッシュ・ブルドックスvsカンナム・エキスプレスの五番勝負なども注目された。
リベンジを狙う天龍は、負傷の影響で前半戦を欠場。一方の鶴田は、谷津嘉章との五輪コンビで世界タッグ選手権も保持しており、
ダニー・スパイビー&ディック・スレーター組と、ブルドックス相手に防衛戦をこなし、好調を維持して武道館決戦に臨んだ。
また、負傷中のタイガーマスクと、海外遠征中のジョン・テンタと北原辰巳は、シリーズを全休した。
今、タイガーマスクと書いたが、本稿では各選手の表記は、当時のリングネームを記載している。
当時、プロレスファン歴約1年半だった私は、鶴田を応援すべく一番安い二階席のチケットを前売りで確保。
武道館入口でパンフレットを購入し、その日の対戦試合を確認すると、未発表の好カードが2試合組まれており、喜んだものだった。
ジャイアント馬場社長の挨拶文の見出しも、「今考えられる最高のカードを用意しました」だったと記憶している。
以下で、当日観戦した全11試合の結果を転記し、感想を簡単につづっていくが、
その前に、ここまで画像がなかったので、当日の武道館大会を報じた、週刊プロレス増刊号の表紙スクショ画像を掲載。
(C)BBM
無断転記は禁止だろうが、私だって、とある興行の後楽園ホール大会で観客席にいたときの様子を、
週プロに無断掲載されたことがあったので相殺である(?)。怒られたらすぐに謝罪・削除するけど。
スーパーパワーシリーズ第18戦 1989年6月5日 日本武道館
第一試合 15分1本勝負
○小川良成 10分59秒 体固め 菊池毅× ※菊池がショルダースルーを交わそうとしたところを押し潰す
それまで、第一試合を担当していた百田光雄が、突如ファンの支持を集め、前シリーズでジュニア王者になったため、
新日本プロレスではよくあるが、全日本では希少な若手同士のシングルマッチを実施。キャリアで上回る小川が順当に勝利した。
第二試合 20分1本勝負
○小橋健太 11分15秒 フィッシャーマンズスープレックスホールド ジョニー・スミス×
デビュー後は百田らに連戦連敗だった小橋だが、このシリーズでミッチ・スノー相手にシングル初勝利を挙げ、武道館ではスミスにも快勝。
なお、週プロではフィッシャーマン~(後略)と、技名をカタカナで表記するが、週刊ゴングは網打ち式原爆固めと、昔ながらの日本式表記。
私もそちらの方が好きなのだが、現在では問題になりそうな名称なので、以下も週プロ風の表記にしておく。
第三試合 20分1本勝負
○マイティ井上 7分35秒 エビ固め 鶴見五郎× ※鶴見に担がれた井上が、後方に回転し丸め込む
元国際同士の対決。長年共闘していたラッシャー木村が、馬場とタッグを組んで以降、鶴見は連日シングルマッチを強いられるハメに。
特にテーマのない戦い(失礼)だが、井上のテクニックと鶴見のラフファイトが噛み合い、内容自体は悪くなかった。
第四試合 6人タッグマッチ30分1本勝負
○仲野信市 高木功 田上明 13分13秒 ジャーマンスープレックスホールド
ディック・スレーター ドン・ムラコ ×ミッチ・スノー
決起軍と外国勢の対戦。スレーターとムラコはかつてのメインイベンターだが、格下スノーが狙われ敗退。
なお、決起軍はこの直後、「全然決起しとらん」という明白な理由で、馬場社長により強制解散させられた。
第五試合 世界ジュニア・ヘビー級選手権 60分1本勝負
○百田光雄 14分27秒 首固め 寺西勇× ※トーホールドを丸め込んだ寺西を、さらに百田が切り返す
第8代王者百田が2度目の防衛
普段は15分や20分の試合に出ている、ベテラン同士による60分マッチ。当時百田が40歳、寺西が43歳と、年齢的に仕方ないとはいえ、
獣神ライガーや佐野直喜らで盛り上がっていた、新日本ジュニアと比較すると、スピードに欠ける試合であった。
寺西は入場直後、珍しくコーナーに上って観客席に吠えており、ベルト奪取への意欲を感じさせた…ような。
寺西はこれが全日本最後のタイトルマッチとなり、百田も次のシリーズで王座転落した後は、ノア移籍までタイトルに縁がなかった。
第六試合 6人タッグマッチ30分1本勝負
○ジャイアント馬場 ラッシャー木村 ザ・グレート・カブキ 14分14秒 体固め ※ランニングネックブリーカードロップ
×渕正信 大熊元司 永源遥
このシリーズから突如組まれるようなった6人タッグマッチ。個人的な印象は、カブキの無駄遣いである。
その後、渕らは「悪役商会」を名乗り、ピンクタイツ着用やツバ攻撃を武器(?)に、馬場+木村+αと休憩前に戦うようになった。
木村のマイクは、「独身・渕の嫁さん募集」ネタだったと思うが、次シリーズの後楽園大会だったかな?
第六試合終了後、休憩に入ったので、拙ブログも休憩代わりに、以前読んだプロレス書籍の画像を掲載しておく。
奥様である嶋田まき代さんの遺稿を、娘の紋奈さんが引き継いだ、天龍ファン必読の書籍である。
休憩からの再開後は、この日2度目の選手権試合。
第七試合 アジアタッグ選手権試合
ダグ・ファーナス ○ダニー・クロファット 19分35秒 片エビ固め ×川田利明 サムソン冬木
※タイガードライバー 第46代王者フットルースが4度目の防衛に失敗し、カンナム・エキスプレスが新王者となる
川田のピンチをカットすべく、コーナーの冬木が飛び出そうとした途端、観客から大きなブーイングが飛ぶ。
当時は理不尽キャラではない冬木は戸惑い、カットをためらう中、川田のダメージが蓄積され、最後はクロファットに仕留められてしまった。
そもそもフットルースは、米国のロックンロール・エキスプレスあたりを意識したらしいけど、冬木と川田じゃ荷が重いよな。
第八試合 45分1本勝負
○谷津嘉章 9分35秒 片エビ固め ×高野俊二 ※バックドロップ
先述した、パンフレットで判明した好カードのひとつで、実質、全日正規軍ナンバー2と決起軍ナンバー2の対決。
ただ、谷津が攻撃するたびに、大勢の客が「オリャー」と叫びゲラゲラ笑う、選手が戦いづらい空気となり、案の定凡戦に。
のちの川田への「シャー」など、このような掛け声ではしゃぐ全日ファンの幼稚さを、私は心底軽蔑していた。
敗れた高野は試合後、週プロ記者に不満を述べていたところ、通りかかった谷津に「(お前ごときが)バカヤロー」と一喝された模様。
第九試合 スペシャルマッチ60分1本勝負
○ダニー・スパイビー 7分39秒 首固め ×スティング ※サソリ固めを丸め込む
初来日の強豪スティングの対戦相手として、ファン投票で選出されたのは、全日外国人の次期エース候補だったスパイビー。
無論、スティングにとっても、米国時代ライバルだった(らしい)スパイビーは、相手として不足はなく、
試合開始から、ダイナミックな動きでリングを躍動。特に、リング中央からのノータッチブランチャは凄かった。
最初で最後の全日登場となったスティングだが、このあとも継続参戦していれば、三沢光晴や小橋のライバルになったのだろうか。
第十試合 スペシャルタッグマッチ60分1本勝負
○スタン・ハンセン テリー・ゴディ 14分36秒 体固め ダイナマイト・キッド ×デイビーボーイ・スミス ※ウエスタン・ラリアット
第八試合と同様、前発表されていなかった好カードのひとつ。ひと昔前の全日ならば、ブルドッグスの価値を下げないよう、
こんな試合は組まないし、組んでも両者リングアウトなどの不透明決着にしたはず。やや大げさだが、新時代の到来(笑)を感じたよ。
容赦なくスミスをKOしたハンセンの力量は当然ながら、キッドの高速ブレーンバスターを受けきった、ゴディの巧さも光った。
勝ったニューミラクルパワーズはもちろん、惜敗したブルドッグスの評価も、下がることはなかったと記憶している。
なお、週プロのウェブサイトでは、この試合のフィニッシュを「ラリアット」と記載。
ハンセンの大ファンとしては、他者と区別すべく、「ウエスタン・ラリアット」と正式名で書いてほしい。
外国人同士のスピーディーかつダイナミックな試合に、場内の雰囲気が最高潮になったところで、いよいよメインイベントを迎える。
まずは、控室での直前インタビューで、「まあ見ててください」とだけ告げた、挑戦者の天龍源一郎が、「サンダーストーム」とともに入場。
続いて、何かアピールしたいけれど言葉が出てこないため(のように見えた)、「…頑張ります」とだけつぶやきリングに向かう、
三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田が、テーマ曲「J」で入場してくる。
上記2枚とも、とある動画のスクショ画像である。無断掲載だが、元々は日本テレビの映像の無断投稿だろうしね。
冒頭で記したように、鶴田と天龍がリングに上がってからも、互いのファンの声援が、いつまでも収まらない。
試合内容の詳細は、私が語るよりも実際に見るべし! 「鶴田 天龍 1989年 6月5日」で検索すれば、動画がヒットするはず。
最近プロレスファンになった若い世代の方も、この試合は絶対に見た方がいい。
試合中の私は、二階席からリングに向かって、「つるたー!」と叫び続けていた。こんなすごい試合を生で観ていて、よく泣かなかったな。
結果も知っていて、何度も見たはずなのに、いまだに動画を目にすると泣いちゃう、涙腺の弱い35年後の私。
負傷している天龍の首を、情け容赦なく攻める鶴田、そんな鶴田の猛攻を避けることなく受け、すかさず反撃に出る天龍…
と、文字に綴っているだけでもう…(泣)。あの時代にプロレスファンで良かった。
一進一退の攻防の中、天龍がついに得意技のパワーボムを決めるが、カウントツー。
場内の声援が絶叫になり、リングサイド最前席、天龍ファンらしきメガネのねーちゃんが半狂乱になった(動画で確認できる)直後、
天龍が立ち上がり鶴田を起こし、再度パワーボムを仕掛けるが、当然鶴田も踏ん張る。
信じてもらえないだろうが、場内が騒然としている最中にもかかわらず、二階席にいた私の耳に、
「いいいやあああっ!!」という、魂のこもった天龍の咆哮が、確かに届いた。
次の瞬間、鶴田の巨体が宙に舞うと同時に急降下し、和田京平レフェリーが、左手で3度マットを叩く。
天龍が三冠王座奪取、そして対鶴田シングル戦、初のピンフォール勝ちである。
第十一試合 メインイベント 三冠ヘビー級選手権 60分1本勝負
○天龍源一郎 24分5秒 エビ固め ×ジャンボ鶴田
※パワーボム 初代王者鶴田が2度目の防衛に失敗、天龍が新王者となる
和田レフェリーと、セコンドについていたハンセンらが支え、なんとか立ち上がり勝ち名乗りを挙げた天龍だったが、
その後再びコーナーにしゃがみ込む。翌日から、天龍は再び欠場に見舞われたように、満身創痍の勝利だったようだ。
一方、負けたはずの鶴田だったが、しばらくすると立ち上がり、コーナーの天龍に歩を進める。
乱闘を警戒するハンセンを横目に、鶴田は天龍に向かって右手を伸ばし、握手を求めた。
これは、互いの健闘を称える握手…ではなく、「こういうのって、お客さんも喜ぶでしょ」といわんばかりの、
師匠テリー・ファンク譲りの余計なパフォーマンスだと思われる。鶴田ファンの私も、名勝負に水を差す行為に呆然。
天龍が握手に応じないと判断した鶴田は、手を引きとっととリングを降り、「オー」のポーズを見せたのちに退場していく。
雑誌で読んだ天龍インタビューでは、「ジャンボとはまだ、(今後も戦っていくので)握手するわけにはいかない」のようなコメントを残していたが、
このとき天龍は内心、「鶴田の野郎、負けたくせにすぐ立ち上がって、さらに握手だと…?」とムッとしていたに違いない。
最後のやり取りはともかく、この鶴田-天龍戦は、1989年の年間最高試合に選ばれた。
彼らは、若手時代も合わせると計9度対戦したが、この試合こそが鶴龍決戦の最高峰だったと思う。
この日、私の印象に残ったのが、初めて見た武道館の大観衆と、初めて聞いた大歓声、そして、天龍の「いいいやあああっ!!」だ。
蛇足だが、私はその後、体育の授業で懸垂をやる際、腕を上げるたびに「いいやああ!」と叫び、体育教師に「うるせえ」と叱られたものである。
最後は本当に蛇足だったが、1989年6月5日に、全日本プロレスの日本武道館大会があり、
鶴田と天龍が素晴らしい激闘を繰り広げたことを、記憶していただければ幸いである。
※追記 私のブログらしく、ダラダラと冗長になってしまったが、
これでも「ミッチ・スノーは、ダイナマイト・キッドに日本とカナダの両国でイジメられていた」、
「全日のファン投票は、元から結果が決まっている出来レース疑惑も何度かあり、信用してはいけない」、
「カンナムの入場曲“Welcome To The Jungle”はよかった」などなど、削った文も多かったんだけどねえ。
本日6月5日については、「天龍が鶴田に初めてシングルで勝った日!」と即答できる。 ※ピンフォール勝ちは初
プロレスを真剣に見なくなってから何年もたち、当該試合が行われたのは1989(平成元)年と、もう35年もたっているし、
当日、私が観戦していたのは、武道館の二階席(実質三階席)後方という、決して良好ではないポジションであったが、
それでも、あのときの感動と興奮は、今でも脳裏に焼きついている。
私は以前、「プロレスの東京ドーム・ベスト興行は、90年2月10日の新日本」と断言したが、
日本武道館ならば、「89年6月5日の全日本プロレス」こそ、史上最高興行であり、
7年前のREBECCAを体験するまでは、ベスト・オブ・武道館ライブでもあった。
さきほど、「あのときの感動と興奮は、いまでも脳裏に焼きついている」と記したのだが、
改めて振り返ってみたところ、いろいろと忘れていたことや記憶違いがあったことが判明(苦笑)。時の流れを痛感させられるね。
たとえば、「入場者数が15200人」だったこと。私はてっきり、その後の全日・武道館では恒例となった、超満員16500人だと思い込んでいた。
ただし、客席の埋まり具合は、自身が経験したりTV中継で観た過去の武道館とは違い、二階席まできっちり客が入り、
メインのジャンボ鶴田-天龍源一郎の試合では、両者のファンの大声援が重なり合う、史上最高レベルの盛り上がり。
週刊ゴングの連載企画「河口仁のワンポイントパフォーマンス」でも、“こんなの初めて!”と記していたように、
長年、プロレス会場に通っている河口先生ですら、驚くほどの大歓声だったのだ。
この日の武道館大会は、「スーパーパワーシリーズ」の第18戦に該当。ちなみにシリーズは全20戦で、最終戦ではなかった。
当時の全日本プロレスの流れを、ごく簡単に説明すると、前シリーズの「チャンピオンカーニバル」で、
鶴田がスタン・ハンセンを破り、インターナショナル、PWF、UNの全日本シングル3大ヘビー級ベルトを統一。
三冠王者として天龍の挑戦を受けるも、試合途中、鶴田が天龍にパワーボムを仕掛けたところ、汗で滑り急角度で落としてしまい、
首を負傷した天龍がピンフォール負け。鶴田にとっても、不本意な防衛戦となった。
このアクシデント、天龍の攻めにイラついた鶴田が、あえて危険な落とし方をしたという説もあるが、定かではない。
スーパーパワーシリーズ最大の見どころは当然、鶴田と天龍の決着戦であった。
他にも、未知の強豪スティングの初来日、ブリティッシュ・ブルドックスvsカンナム・エキスプレスの五番勝負なども注目された。
リベンジを狙う天龍は、負傷の影響で前半戦を欠場。一方の鶴田は、谷津嘉章との五輪コンビで世界タッグ選手権も保持しており、
ダニー・スパイビー&ディック・スレーター組と、ブルドックス相手に防衛戦をこなし、好調を維持して武道館決戦に臨んだ。
また、負傷中のタイガーマスクと、海外遠征中のジョン・テンタと北原辰巳は、シリーズを全休した。
今、タイガーマスクと書いたが、本稿では各選手の表記は、当時のリングネームを記載している。
当時、プロレスファン歴約1年半だった私は、鶴田を応援すべく一番安い二階席のチケットを前売りで確保。
武道館入口でパンフレットを購入し、その日の対戦試合を確認すると、未発表の好カードが2試合組まれており、喜んだものだった。
ジャイアント馬場社長の挨拶文の見出しも、「今考えられる最高のカードを用意しました」だったと記憶している。
以下で、当日観戦した全11試合の結果を転記し、感想を簡単につづっていくが、
その前に、ここまで画像がなかったので、当日の武道館大会を報じた、週刊プロレス増刊号の表紙スクショ画像を掲載。
(C)BBM
無断転記は禁止だろうが、私だって、とある興行の後楽園ホール大会で観客席にいたときの様子を、
週プロに無断掲載されたことがあったので相殺である(?)。怒られたらすぐに謝罪・削除するけど。
スーパーパワーシリーズ第18戦 1989年6月5日 日本武道館
第一試合 15分1本勝負
○小川良成 10分59秒 体固め 菊池毅× ※菊池がショルダースルーを交わそうとしたところを押し潰す
それまで、第一試合を担当していた百田光雄が、突如ファンの支持を集め、前シリーズでジュニア王者になったため、
新日本プロレスではよくあるが、全日本では希少な若手同士のシングルマッチを実施。キャリアで上回る小川が順当に勝利した。
第二試合 20分1本勝負
○小橋健太 11分15秒 フィッシャーマンズスープレックスホールド ジョニー・スミス×
デビュー後は百田らに連戦連敗だった小橋だが、このシリーズでミッチ・スノー相手にシングル初勝利を挙げ、武道館ではスミスにも快勝。
なお、週プロではフィッシャーマン~(後略)と、技名をカタカナで表記するが、週刊ゴングは網打ち式原爆固めと、昔ながらの日本式表記。
私もそちらの方が好きなのだが、現在では問題になりそうな名称なので、以下も週プロ風の表記にしておく。
第三試合 20分1本勝負
○マイティ井上 7分35秒 エビ固め 鶴見五郎× ※鶴見に担がれた井上が、後方に回転し丸め込む
元国際同士の対決。長年共闘していたラッシャー木村が、馬場とタッグを組んで以降、鶴見は連日シングルマッチを強いられるハメに。
特にテーマのない戦い(失礼)だが、井上のテクニックと鶴見のラフファイトが噛み合い、内容自体は悪くなかった。
第四試合 6人タッグマッチ30分1本勝負
○仲野信市 高木功 田上明 13分13秒 ジャーマンスープレックスホールド
ディック・スレーター ドン・ムラコ ×ミッチ・スノー
決起軍と外国勢の対戦。スレーターとムラコはかつてのメインイベンターだが、格下スノーが狙われ敗退。
なお、決起軍はこの直後、「全然決起しとらん」という明白な理由で、馬場社長により強制解散させられた。
第五試合 世界ジュニア・ヘビー級選手権 60分1本勝負
○百田光雄 14分27秒 首固め 寺西勇× ※トーホールドを丸め込んだ寺西を、さらに百田が切り返す
第8代王者百田が2度目の防衛
普段は15分や20分の試合に出ている、ベテラン同士による60分マッチ。当時百田が40歳、寺西が43歳と、年齢的に仕方ないとはいえ、
獣神ライガーや佐野直喜らで盛り上がっていた、新日本ジュニアと比較すると、スピードに欠ける試合であった。
寺西は入場直後、珍しくコーナーに上って観客席に吠えており、ベルト奪取への意欲を感じさせた…ような。
寺西はこれが全日本最後のタイトルマッチとなり、百田も次のシリーズで王座転落した後は、ノア移籍までタイトルに縁がなかった。
第六試合 6人タッグマッチ30分1本勝負
○ジャイアント馬場 ラッシャー木村 ザ・グレート・カブキ 14分14秒 体固め ※ランニングネックブリーカードロップ
×渕正信 大熊元司 永源遥
このシリーズから突如組まれるようなった6人タッグマッチ。個人的な印象は、カブキの無駄遣いである。
その後、渕らは「悪役商会」を名乗り、ピンクタイツ着用やツバ攻撃を武器(?)に、馬場+木村+αと休憩前に戦うようになった。
木村のマイクは、「独身・渕の嫁さん募集」ネタだったと思うが、次シリーズの後楽園大会だったかな?
第六試合終了後、休憩に入ったので、拙ブログも休憩代わりに、以前読んだプロレス書籍の画像を掲載しておく。
奥様である嶋田まき代さんの遺稿を、娘の紋奈さんが引き継いだ、天龍ファン必読の書籍である。
休憩からの再開後は、この日2度目の選手権試合。
第七試合 アジアタッグ選手権試合
ダグ・ファーナス ○ダニー・クロファット 19分35秒 片エビ固め ×川田利明 サムソン冬木
※タイガードライバー 第46代王者フットルースが4度目の防衛に失敗し、カンナム・エキスプレスが新王者となる
川田のピンチをカットすべく、コーナーの冬木が飛び出そうとした途端、観客から大きなブーイングが飛ぶ。
当時は理不尽キャラではない冬木は戸惑い、カットをためらう中、川田のダメージが蓄積され、最後はクロファットに仕留められてしまった。
そもそもフットルースは、米国のロックンロール・エキスプレスあたりを意識したらしいけど、冬木と川田じゃ荷が重いよな。
第八試合 45分1本勝負
○谷津嘉章 9分35秒 片エビ固め ×高野俊二 ※バックドロップ
先述した、パンフレットで判明した好カードのひとつで、実質、全日正規軍ナンバー2と決起軍ナンバー2の対決。
ただ、谷津が攻撃するたびに、大勢の客が「オリャー」と叫びゲラゲラ笑う、選手が戦いづらい空気となり、案の定凡戦に。
のちの川田への「シャー」など、このような掛け声ではしゃぐ全日ファンの幼稚さを、私は心底軽蔑していた。
敗れた高野は試合後、週プロ記者に不満を述べていたところ、通りかかった谷津に「(お前ごときが)バカヤロー」と一喝された模様。
第九試合 スペシャルマッチ60分1本勝負
○ダニー・スパイビー 7分39秒 首固め ×スティング ※サソリ固めを丸め込む
初来日の強豪スティングの対戦相手として、ファン投票で選出されたのは、全日外国人の次期エース候補だったスパイビー。
無論、スティングにとっても、米国時代ライバルだった(らしい)スパイビーは、相手として不足はなく、
試合開始から、ダイナミックな動きでリングを躍動。特に、リング中央からのノータッチブランチャは凄かった。
最初で最後の全日登場となったスティングだが、このあとも継続参戦していれば、三沢光晴や小橋のライバルになったのだろうか。
第十試合 スペシャルタッグマッチ60分1本勝負
○スタン・ハンセン テリー・ゴディ 14分36秒 体固め ダイナマイト・キッド ×デイビーボーイ・スミス ※ウエスタン・ラリアット
第八試合と同様、前発表されていなかった好カードのひとつ。ひと昔前の全日ならば、ブルドッグスの価値を下げないよう、
こんな試合は組まないし、組んでも両者リングアウトなどの不透明決着にしたはず。やや大げさだが、新時代の到来(笑)を感じたよ。
容赦なくスミスをKOしたハンセンの力量は当然ながら、キッドの高速ブレーンバスターを受けきった、ゴディの巧さも光った。
勝ったニューミラクルパワーズはもちろん、惜敗したブルドッグスの評価も、下がることはなかったと記憶している。
なお、週プロのウェブサイトでは、この試合のフィニッシュを「ラリアット」と記載。
ハンセンの大ファンとしては、他者と区別すべく、「ウエスタン・ラリアット」と正式名で書いてほしい。
外国人同士のスピーディーかつダイナミックな試合に、場内の雰囲気が最高潮になったところで、いよいよメインイベントを迎える。
まずは、控室での直前インタビューで、「まあ見ててください」とだけ告げた、挑戦者の天龍源一郎が、「サンダーストーム」とともに入場。
続いて、何かアピールしたいけれど言葉が出てこないため(のように見えた)、「…頑張ります」とだけつぶやきリングに向かう、
三冠ヘビー級王者のジャンボ鶴田が、テーマ曲「J」で入場してくる。
上記2枚とも、とある動画のスクショ画像である。無断掲載だが、元々は日本テレビの映像の無断投稿だろうしね。
冒頭で記したように、鶴田と天龍がリングに上がってからも、互いのファンの声援が、いつまでも収まらない。
試合内容の詳細は、私が語るよりも実際に見るべし! 「鶴田 天龍 1989年 6月5日」で検索すれば、動画がヒットするはず。
最近プロレスファンになった若い世代の方も、この試合は絶対に見た方がいい。
試合中の私は、二階席からリングに向かって、「つるたー!」と叫び続けていた。こんなすごい試合を生で観ていて、よく泣かなかったな。
結果も知っていて、何度も見たはずなのに、いまだに動画を目にすると泣いちゃう、涙腺の弱い35年後の私。
負傷している天龍の首を、情け容赦なく攻める鶴田、そんな鶴田の猛攻を避けることなく受け、すかさず反撃に出る天龍…
と、文字に綴っているだけでもう…(泣)。あの時代にプロレスファンで良かった。
一進一退の攻防の中、天龍がついに得意技のパワーボムを決めるが、カウントツー。
場内の声援が絶叫になり、リングサイド最前席、天龍ファンらしきメガネのねーちゃんが半狂乱になった(動画で確認できる)直後、
天龍が立ち上がり鶴田を起こし、再度パワーボムを仕掛けるが、当然鶴田も踏ん張る。
信じてもらえないだろうが、場内が騒然としている最中にもかかわらず、二階席にいた私の耳に、
「いいいやあああっ!!」という、魂のこもった天龍の咆哮が、確かに届いた。
次の瞬間、鶴田の巨体が宙に舞うと同時に急降下し、和田京平レフェリーが、左手で3度マットを叩く。
天龍が三冠王座奪取、そして対鶴田シングル戦、初のピンフォール勝ちである。
第十一試合 メインイベント 三冠ヘビー級選手権 60分1本勝負
○天龍源一郎 24分5秒 エビ固め ×ジャンボ鶴田
※パワーボム 初代王者鶴田が2度目の防衛に失敗、天龍が新王者となる
和田レフェリーと、セコンドについていたハンセンらが支え、なんとか立ち上がり勝ち名乗りを挙げた天龍だったが、
その後再びコーナーにしゃがみ込む。翌日から、天龍は再び欠場に見舞われたように、満身創痍の勝利だったようだ。
一方、負けたはずの鶴田だったが、しばらくすると立ち上がり、コーナーの天龍に歩を進める。
乱闘を警戒するハンセンを横目に、鶴田は天龍に向かって右手を伸ばし、握手を求めた。
これは、互いの健闘を称える握手…ではなく、「こういうのって、お客さんも喜ぶでしょ」といわんばかりの、
師匠テリー・ファンク譲りの余計なパフォーマンスだと思われる。鶴田ファンの私も、名勝負に水を差す行為に呆然。
天龍が握手に応じないと判断した鶴田は、手を引きとっととリングを降り、「オー」のポーズを見せたのちに退場していく。
雑誌で読んだ天龍インタビューでは、「ジャンボとはまだ、(今後も戦っていくので)握手するわけにはいかない」のようなコメントを残していたが、
このとき天龍は内心、「鶴田の野郎、負けたくせにすぐ立ち上がって、さらに握手だと…?」とムッとしていたに違いない。
最後のやり取りはともかく、この鶴田-天龍戦は、1989年の年間最高試合に選ばれた。
彼らは、若手時代も合わせると計9度対戦したが、この試合こそが鶴龍決戦の最高峰だったと思う。
この日、私の印象に残ったのが、初めて見た武道館の大観衆と、初めて聞いた大歓声、そして、天龍の「いいいやあああっ!!」だ。
蛇足だが、私はその後、体育の授業で懸垂をやる際、腕を上げるたびに「いいやああ!」と叫び、体育教師に「うるせえ」と叱られたものである。
最後は本当に蛇足だったが、1989年6月5日に、全日本プロレスの日本武道館大会があり、
鶴田と天龍が素晴らしい激闘を繰り広げたことを、記憶していただければ幸いである。
※追記 私のブログらしく、ダラダラと冗長になってしまったが、
これでも「ミッチ・スノーは、ダイナマイト・キッドに日本とカナダの両国でイジメられていた」、
「全日のファン投票は、元から結果が決まっている出来レース疑惑も何度かあり、信用してはいけない」、
「カンナムの入場曲“Welcome To The Jungle”はよかった」などなど、削った文も多かったんだけどねえ。