ただ1個の原子爆弾によって、この鳥居は爆心地の南東800m、近いながらも強烈な爆風に耐え、今なお奇跡的に立ちつづけている。
この鳥居は、山王神社の二の鳥居として1924年10月建てられたが原子爆弾の炸裂(爆発)と同時に猛烈な爆風によって片方の柱をもぎとられた。
1965年、この鳥居が倒れて周囲が被害を受けるのではと移転か存続かが議論されたが、専門家の診断で大丈夫とわかり、
現在も当時のままの状態で残っている。
片足で立っているほうの反対の土台に立ってみると、残っている鳥居の上部が爆風でねじ曲げられている様子がわかる。
山王神社「一本柱鳥居」 赤い竜宮門が印象的な崇福寺、明の僧超然が独特な建築様式で創建
「めがね橋」 日本最古のアーチ型石橋
アーチと川面に映るその姿を合わせるとめがねに見えることからつけられた名前
「オランダ坂」 昔長崎の人々は、東洋人以外の外国人をオランダさんと呼んでいた、
そのオランダさんたちが歩いていた道、石畳が続く坂道は異国情緒たっぷり。

「孔子廟・中国歴代博物館」 ここは中国・と思わず感じる、きらびやかな孔子廟、
前庭には中国で彫刻された賢人像が72体並んでいる。

帰途の飛行機から夕焼けの空

五島列島 福江島、長崎と台風の中、急ぎ観光して、帰途についた。
この鳥居は、山王神社の二の鳥居として1924年10月建てられたが原子爆弾の炸裂(爆発)と同時に猛烈な爆風によって片方の柱をもぎとられた。
1965年、この鳥居が倒れて周囲が被害を受けるのではと移転か存続かが議論されたが、専門家の診断で大丈夫とわかり、
現在も当時のままの状態で残っている。
片足で立っているほうの反対の土台に立ってみると、残っている鳥居の上部が爆風でねじ曲げられている様子がわかる。
山王神社「一本柱鳥居」 赤い竜宮門が印象的な崇福寺、明の僧超然が独特な建築様式で創建


「めがね橋」 日本最古のアーチ型石橋
アーチと川面に映るその姿を合わせるとめがねに見えることからつけられた名前

「オランダ坂」 昔長崎の人々は、東洋人以外の外国人をオランダさんと呼んでいた、
そのオランダさんたちが歩いていた道、石畳が続く坂道は異国情緒たっぷり。


「孔子廟・中国歴代博物館」 ここは中国・と思わず感じる、きらびやかな孔子廟、
前庭には中国で彫刻された賢人像が72体並んでいる。



帰途の飛行機から夕焼けの空

五島列島 福江島、長崎と台風の中、急ぎ観光して、帰途についた。