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それは五月雨の日に起きた!
鎌倉幕府成立の翌1193年(建久4年)5月28日。
鎌倉に幕府を構えた源頼朝は、東国武士の力を京都の公家たちに認めさせるために富士の裾野で大軍事演習を行う。
世に言われた将軍の大巻狩り。
それは将軍頼朝が武家政権を発展させていこうと実力を天下に示す機会となるはずだった、大巻狩りで起きた事件。
ことの発端は、1176年に起きた。
同族間の領土争いで、工藤祐経が家来に河津祐泰を弓で討つ。
河津祐泰の遺児である、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が母の反対を押し切り、17年のときを経て、
仇である工藤祐経を富士の裾野での大巻狩りで追いつめる!
曾我兄弟の仇討ち~親子愛、兄弟愛~
「曾我兄弟の仇討ち」は「赤穂浪士の討ち入り」と「伊賀越えの仇討ち」に並ぶ日本三大仇討ちの1つとして今もなお伝えられています。
また、歌舞伎の世界では「曽我物」として江戸時代からジャンルとして確立されています。
なぜ曾我兄弟の物語がここまで愛されると言えば、いつの時代にも通じる親を思う気持ち、兄弟で力を合わせる、目的を達成する強い気持ち、
こういう精神を伝えてくれるからでしょう。
そんな曾我兄弟の仇討ちをしのぶ音止めの滝付近に遺跡が沢山あります。
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音止めの滝の名前の由来は、源頼朝が挙行した富士の巻狩りの際に、曾我祐成・時致兄弟が父の仇である工藤祐経を討とうとした、
その密議をしていたが滝の轟音で話が聞き取れない、そこで神に念じたところ、たちどころに滝の音が止んだという伝説による。
曾我兄弟は見事に本懐を遂げた。
曾我の隠れ岩
音止の滝の東側に、曾我兄弟が工藤祐経を討つ時に隠れていたという言い伝えが残る「曾我の隠れ岩」もがある。
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