syuの日記・気まま旅

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青梅~東青梅 多摩川散歩(21)

2016-02-12 | 気まま旅
「青梅市」
金剛寺、塩船観音寺、武蔵御嶽神社、吉野梅郷が、西部には、秩父多摩甲斐国立公園に属す。
多摩川が関東山地から武蔵野台地に流れ出る扇頂部に発達した谷口集落が「青梅市」街の原型である。
市域のほぼ中央を多摩川が西から東へ貫流し、北部にはー入間川(荒川水系)の支流である「霞川と成木川」が、やはり西から東へ流れている。
おおむね東部の平地から西部にかけて丘陵地・山地と変化している。
標高は西端の多摩川右岸にある御岳の鍋割山の1,084mが最高地点、最低地点は市域の北東に位置する成木川の両郡橋下流で103.5mである。
歴史的には青梅街道の宿場である「青梅宿」が青梅市のほぼ中心に位置する。
現在の青梅駅周辺であが、多摩川と永山丘陵に挟まれた青梅駅周辺はそれほど土地が広くないのに比べ、
開けた扇状地にある河辺駅周辺などの
「青梅東部」は、開発が進み、商業地や人口の増加している。
東部以外の北部、西部、南部は丘陵や山地であり、開発はあまり進んでいない。(ハイキング等の行楽地)

    

青梅は、霊亀2年の716年、
大和朝廷が、高麗人を武蔵に移し、高麗郡を創設した。
しだいにこの渡来人が青梅市にも移住し、後、戦国時代、「石灰石」を焼き、江戸城の壁を造ったが、石灰製法技術も渡来人のものと思われている。
中世には、武士団が活躍し、この地域の武士は村山党と思われ、当時の青梅には荘園はなく、未開の地、鎌倉時代後半に、「杣保」といわれるものが
形成され、村山党は桓武平氏で、北多摩,入間、青梅を勢力範囲とし渋谷の金王丸追善に「塩船観音」の功徳天が祀られている。
畠山重忠は、青梅市西部を領し、御嶽神社には国宝の赤糸威鎧が奉納されている。

杣保の地を領したのが「三田氏」
三田氏は中世初期にまだ領国が確立していない時期に勢力をのばしおそらく地頭であったと云う。畠山重忠没後、領した三田下総守平長綱。

                       青梅鉄道公園


「青梅鉄道公園」
青梅丘陵東端「勝沼」にある。鉄道開通90周年を記念して昭和37年開園。
記念館・野外に明治期の蒸気機関車・新幹線車両が展示され、野球場・遊園地・遊歩道などが整備され市民の憩いの場に。

                       青梅鉄道公園


「宗徳寺」ー臨済宗 建長寺派の寺ー
室町時代初期に創建と云う。 江戸時代には、徳川公から地蔵領として、3石を付与されている。
享和2年の1802年、の火災で寺記・古文書などを焼失、天保年間に中興した。
本堂は、1841年、の建立。

          境内のしだれ桜は、青梅市の名木のひとつ
    

            山門                         本堂
    

「村社・西分神社」
神社は、現在の西分町の村社。
隣接する宗徳寺の守護として、1300年代の終わり頃には創建されていたと伝えられる古いお社。
祭神は「天御中主神」ですが、仏教における「北辰(北極星あるいは北斗七星)信仰」の象徴である「妙見菩薩」と習合され、
地域の人は妙見様とか妙見社とか呼んでいると云う。
昔は、通称・妙見山の頂付近にお社があったものを、江戸時代の終わり頃に現在の位置に遷座。
手水場の石には「万延元庚申年1860」と刻まれている。
いまも山頂付近には旧社の跡が残されており、奥宮といった形になっていてと云う。
山の中腹に移されて後も、この神社は地元の人々によって大切にされ、ことある毎に補修などが繰り返され、境内には、明治から大正にかけて活躍、
皇典講習所(後の國學院)の設立にも大きく関わった国学者の「井上頼圀」らによって寄せられた和歌の碑など、たくさんの記念碑がある。
子獅子を崖下に突き落とす獅子が一対の狛犬となった珍しい彫刻などが。
この地は以前、公園になっていて、眺めのいい、人々の憩いの場所。
11月の祭礼の日には、賑やかに山車が曳き出されるとともに、参道には地口行灯が点されると云う。
例祭日ー11月3日

JR青梅線に沿っている          しだれ桜         西分神社
    

「勝沼山・乗願寺」ー時宗ー
正安2年の1300年、当麻無量光寺にいた遊行2代他阿真教が勝沼城主「三田長綱」に招請されて開山したと伝えられている古刹。
が、箕田定恵も開山と有る。
戦国時代末期に檀越の三田氏が後北条氏に敗れ、さらに小田原征伐に巻き込まれて寺は焼失した。
1596年~1615年、に24世「覚阿性海」により再建、1649年、朱印地3石を賜ったとある。
現在、44世住職飯田覚誠は本寺の無量光寺60世他阿上人になっていると云う。

    

「時宗」-開祖とされる一遍には新たな宗派を立宗しようという意図はなく、その教団・成員も「時衆 」と呼ばれた。
室町時代まで に関しては時衆の名称を用いている。時衆とは善導の「観経疏」 ...「北条時宗」

「文化財」
木造阿弥陀如来立像 は、 本尊。(鎌倉幕府の8代将軍久明親王から三田長綱が賜ったものだという。市有形文化財)
三田氏軍旗および兜前立 ( 市有形文化財)-小峰峯真墓 - 江戸時代中・後期の書家(小峰家は地元の商家)

    

          乗願寺から徒歩で青梅駅の次の駅「東青梅駅」に
     

多摩川を下ります。