「秩父宮殿下」 1902-1953 大正天皇第二皇子 母貞明皇后 ・昭和天皇の弟 身位 親王、陸軍少将
昭和天皇独白録によると、日独伊三国同盟の締結が議論されていた1939年の昭和14年、同盟に消極的な兄・昭和天皇に対して週に3度参内して締結を勧めたが、「この問題については直接宮には答えぬ。」と天皇に突っぱねられている。
昭和13年、大本営戦争指導班参謀に、同年3月に陸軍中佐に、昭和14年、陸軍大佐に昇進した。
闘病生活ー昭和15年、肺結核と診断され、翌年より、ここ、静岡県・御殿場で療養生活。
昭和16年、参謀本部附、昭和20年、陸軍少将に昇進したが、戦時中は御殿場別邸にて療養を余儀なくされ、戦後は、療養生活を送りながら皇族として執筆を含む活動・昭和21年、貴族院議員を辞職。
昭和27年、静岡県御殿場市から神奈川県藤沢市鵠沼別邸に移り、同年暮に病状が悪化し、1953年の昭和28年、に薨去した。
秩父宮記念公園 有料
キャシー中島家族の家ーキルトミュージアム近くにある。
秩父宮殿下の住んだ茅葺屋根の母屋が、 庭には四季折々の草花が
美しい日本の歩きたくなる道500選に。
富士仏舎利塔のある平和公園は、箱根裏街道沿い。
御殿場出身の三徳社長が私財を投じて作られた公園(インドの故ネール首相からお釈迦様の分骨が塔に)
昭和天皇独白録によると、日独伊三国同盟の締結が議論されていた1939年の昭和14年、同盟に消極的な兄・昭和天皇に対して週に3度参内して締結を勧めたが、「この問題については直接宮には答えぬ。」と天皇に突っぱねられている。
昭和13年、大本営戦争指導班参謀に、同年3月に陸軍中佐に、昭和14年、陸軍大佐に昇進した。
闘病生活ー昭和15年、肺結核と診断され、翌年より、ここ、静岡県・御殿場で療養生活。
昭和16年、参謀本部附、昭和20年、陸軍少将に昇進したが、戦時中は御殿場別邸にて療養を余儀なくされ、戦後は、療養生活を送りながら皇族として執筆を含む活動・昭和21年、貴族院議員を辞職。
昭和27年、静岡県御殿場市から神奈川県藤沢市鵠沼別邸に移り、同年暮に病状が悪化し、1953年の昭和28年、に薨去した。
秩父宮記念公園 有料
キャシー中島家族の家ーキルトミュージアム近くにある。
秩父宮殿下の住んだ茅葺屋根の母屋が、 庭には四季折々の草花が
美しい日本の歩きたくなる道500選に。
富士仏舎利塔のある平和公園は、箱根裏街道沿い。
御殿場出身の三徳社長が私財を投じて作られた公園(インドの故ネール首相からお釈迦様の分骨が塔に)