ルパング島で30年戦っている 小野田少尉(横井軍曹など関係書類50点)
「28年間戦争だとおもっていた。・・・・日本兵 横井庄一」
恥ずかしながら生き長らえて、帰って参りましたが第一声。
横井さんが保護されたのは、1972年の昭和47年1月24日。
28年間もの長期間、密林での潜伏生活を送っていた横井さん。なぜ、彼はグアム島の密林に潜伏しなければならなかったのだろうか?
横井庄一は、大正4年、愛知県海部郡で生まれ、昭和16年に2度目の招集を受け、昭和19年戦死の公報が母「つる」のもとに届いたと云う。
2度目の召集では満州に送られ、1944年、部隊は、釜山から安芸丸にすし詰めにされて、南を目指した。3月、輸送船はグアムに到着している。グアム島には2ヶ月ほどの間に、2万を越える兵隊が島に配置された。
横井氏の部隊は、アメリカ軍が上陸するアガット(昭和町)を中心に陣地を作っていた。
7月、横井氏は、初めてアメリカ艦艇を有羽(アリファン)山から眺めている。
米軍が上陸した7月、の様子も、横井は目撃、輜重兵である。つまり、物資の運搬業務がその中心である。
したがって、持たされた小銃弾も30発足らずであったと云う。
明治・大正・昭和・などの紙幣・雑誌・書籍・世界最初の四駆動ジープ(米・中国軍へ)・日露戦争の旅順28cm攻城砲・零戦戦闘機のエンジン
軍艦志賀船首など見ごたえある。
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