syuの日記・気まま旅

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大手町から神田橋

2017-09-21 | 四季折々 syuのふた旅
「関東平野」 ー日本最大の平野・本州太平洋岸中央部にあるー
茨城・栃木・群馬・埼玉・千葉・神奈川(6県)とーきその中央に「東京」
北に阿武隈山地・奥羽山山脈南部火山群・足尾山地ー西に関東山地ー南に三浦、房総半島ー東に鹿島灘、九十九里浜で地形は沖積低地と洪積台地、丘陵
第三紀末以降に関東平野の中心部が沈降し、周辺部が隆起する関東造盆地運動が活発になったために出来た平野。
平安時代中期に開発が始まっている。特に江戸・明治に入り東京を中心に交通網が整備された。
東京湾には、京浜工業地帯・京葉工業地帯の重化学工場・近代産業が集中し全国第一の都市化した。

「神田川」
水源は、三鷹市井之頭池の湧水ー武蔵野台地に谷を刻み東流し、善福寺川と妙正寺川を合流して中央区東日本橋で隅田川に注ぐ。
本来は、飯田橋付近で南流し、大手町付近で日比谷入り江(日比谷公園)に注ぎ、船運に利用されていた。
江戸時代は、江戸城外堀を兼ねて「御茶ノ水」駅付近の開削し、神田川に流路で隅田川へ。外堀は現在文京区と千代田区の境界部に。

                秋葉原駅周辺と電気街は、外神田


      内神田は、武家、大名屋敷が多かったが、外神田は、下級幕臣・御家人・徒組・組屋敷が


    江戸初期に始まった神田明神天下祭は内神田にあった。神社は外神田に移り現在の5月神田祭に。


「内神田」
千代田区の北部に位置し、神田地域 (旧神田区)に属する。
町域北部は、神田警察通りに接しこれを境に千代田区神田美土代町・神田司町・神田多町・神田鍛冶町にそれぞれ接する。
東部はJR中央線の線路に接しこれを境に千代田区鍛冶町に接し、南東部は中央区日本橋本石町に接し、南部は日本橋川に接し、これを境に
千代田区大手町に接する。
西部は、本郷通りに接しこれを境に神田錦町に接し、内神田はは商業地であり、高層建造物が多く見られ、西部の内神田一丁目は東側を本郷通りに西側を外堀通りに挟まれた区域である。
中部の内神田二丁目は東側を外堀通り、西側を内神田中央通りに挟まれた区域、東部の内神田三丁目は東側を内神田中央通り、西側をJRの線路に挟まれた区域を云う。
内神田の名称は、広義には江戸府内・総構え内(外堀にあたる神田川以南)の神田全域、現在の神田川・日本橋川・竜閑川跡に囲まれた逆三角の区域を指す名称である。対して江戸府内の外れであるものの、神田明神移転後に門前町として栄えた地区を指す名称として「外神田」が用いられた。



                 昔と変わらない「丸の内ビル」


丸の内は、我が国のビジネスセンターである。
江戸時代初期は波打ち際であった。後大名屋敷・明治に陸軍練兵場・三菱の岩崎弥太郎氏が買収され、三菱は、ここにロンドンのロンバート街をまね赤煉瓦のビルを次々建てた。今の丸の内は、年々東京海上ビル等高層ビルが。





「本郷通り」 都道403号線・455号線・国道17号線。
文京区本郷を通ることから、この名が付けられた。
国道17号線内(湯島聖堂前交差点 - 東大弥生キャンパス前)は、都内で震度6弱以上が観測される地震が発生した場合、発生直後は緊急自動車専用路(第一次交通規制)となる。
その後も、緊急交通路(第二次交通規制)となる。
国道17号線内は中山道、都道455号線内は日光御成街道(岩槻街道)の道筋である。現在でも国道17号の一部区間
(都内では豊島区の西巣鴨交差点以北が「中山道」と呼ばれ、本郷通りの延長線上にある国道122号の一部区間が「岩槻街道」)



「神田橋」
千代田区を流れる日本橋川に架かる橋。
右岸は、大手町一丁目、左岸上流側は神田錦町二丁目、同下流側は内神田一丁目となる。
橋名は、かつてこの付近にあった神田明神に由来。
江戸城の増築により外神田に移転した神田明神跡には神田御門と土井大炊頭利位の屋敷が設けられた。
寛永時代の地図では「大炊殿橋」の名で記されている。
神田橋から上野広小路を通り寛永寺へと通じる道は、歴代の徳川将軍が寛永寺に参詣する際に通ることから「御成道」と呼ばれた。
現在でも、天皇皇后両陛下が車で北関東方面に向かう際にここを通ることから、「御成道」の名は残っていると云う。
1923年の大正12年、関東大震災で崩壊し、現在の橋は
1925年に架け替えられたものである。
新たな橋は単純鈑桁橋で、石灯籠を思わせる親柱と、橋のたもとには復興に尽力した太田圓三の碑がある。
橋の左岸上流側にはバスケットボールのコートなどを備えた神田橋公園が、(常磐橋修復工事の資材運搬に使用するため一時閉鎖中)









散歩コースー大手門・平川門・田安門・牛ヶ淵・千鳥ヶ淵・半蔵濠・桜田濠・桜田門・皇居外苑(30年前の話)

「外堀通り」
都道405号外濠環状線、都港区新橋一丁目を起点にし、都港区新橋二丁目を終点。
皇居(旧江戸城)外濠に沿った環状の特例都道である。本線の通称は「外堀通り」、延長12,375m。環状道路であるが、その形は中央通りとの重複を避けるべく少し歪んでいる区間がある。
(開通区間の新橋四丁目から虎ノ門二丁目(特許庁前付近)までの支線と、特許庁前付近から昌平橋交差点までの本線は環状第2号線の一部を構成する)



                        御宿稲荷神社






「出世不動尊」
第二次世界大戦後、神田鎌倉町の要請を受けて、出世不動通りが管理し、都内でも由緒ある不動尊として知られており、明治の頃には毎月二日、十五日、二十日、二七日に縁日が行われ、植木商などが市を出し盛況であった。
後に縁日は毎月二七日のみとなるが、縁日と歳末の羽子板市には多くの人が集まり大変にぎわったという。
現在の本堂は、ビルの谷間に昭和63年、完成した。
出世不動とは、相撲取りが信心すれば出世すると言い伝えられたことが始まりと言う説も

                           不動尊


「JR神田駅」
1919年の大正8年、鉄道院中央本線の駅として開業。大正14年、東北本線の駅が開業。乗り換え駅に。昭和6年には東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)の駅が開業し歴史がある。現在は、中央本線、京浜東北線、山手線、地下鉄銀座線が停車。

           昭和35年頃上野駅前とここ神田駅前に純喫茶「千代田苑」があった。


     父の実家が日本橋小伝馬町にあり、戦後、お正月になると父に連れられこの駅で下車した。


昭和25年・1950年頃ー朝鮮戦争勃発・警察予備軍令公布・山本富士子第一回ミス日本に・湯川秀樹、ノーベル物理学賞、中間子論で受賞。
内閣、民自党、自由党ー吉田茂(26年に、サンフランシスコ講和会議開催・日米安全保障条約調印)

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