「島崎藤村」 1872年明治5年-1943年昭和18年 自然主義文学・詩人・作家 本名島崎春樹
明治学院、明治女学校教師、北村透谷らと文学界を創刊・若菜集でロマン派詩人として出発
「破壊」は、田山花袋の蒲団と並び自然主義文学が開幕した。 春・家・新生(肉体関係を題材で物議を)、、大歴史小説「夜明け前」完成。
東方の門途中で倒れている。
「千曲川旅情の歌」
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ みどりなすはこべはもえず 若草も籍くによしなし しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る
あたたかき光はあれど 野に満つる香も知らず 浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青く 旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間もみえず うたかなし佐久の草笛 千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばしなぐさむ
「島崎藤村」と小諸
明治32年に、木村熊二に招かれ「小諸義塾」に赴任、以降7年間に「雲・千曲川スケッチ・落梅集」などが生まれ、「破壊」の大作が起稿された。
街並みと浅間山
藤村は馬場裏に居を。
井戸跡
ゆるべ式の井戸、冬子夫人も使っている。
藤村と冬子夫人(夫人は函館の網問屋三女)
栖の地碑
三人の子を
小諸駅舎
「小諸義塾」跡
明治26年創立・塾長 木村熊二~明治39年廃校
「記念館には」 遺墨・遺品・・資料が展示、茶器や灰皿など。
小諸駅拡張のため駅構内に入る 記念館は、平成8年開館した。
「惜別の歌」碑
遠き別れに耐えかねて この高殿にのぼるかな 悲しむなかれ我が友よ 旅の衣をととのえよ
別れと云えば昔より 二人の人の世の常なるを 流るる水をながむれば 夢はずかしき涙かな
君がさやけき日の色も 君くれないの唇も 君がみどりの黒髪も またいつか見んこの別れ
明治学院、明治女学校教師、北村透谷らと文学界を創刊・若菜集でロマン派詩人として出発
「破壊」は、田山花袋の蒲団と並び自然主義文学が開幕した。 春・家・新生(肉体関係を題材で物議を)、、大歴史小説「夜明け前」完成。
東方の門途中で倒れている。
「千曲川旅情の歌」
小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ みどりなすはこべはもえず 若草も籍くによしなし しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る
あたたかき光はあれど 野に満つる香も知らず 浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青く 旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間もみえず うたかなし佐久の草笛 千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ 濁り酒濁れる飲みて 草枕しばしなぐさむ
「島崎藤村」と小諸
明治32年に、木村熊二に招かれ「小諸義塾」に赴任、以降7年間に「雲・千曲川スケッチ・落梅集」などが生まれ、「破壊」の大作が起稿された。
街並みと浅間山
藤村は馬場裏に居を。
井戸跡
ゆるべ式の井戸、冬子夫人も使っている。
藤村と冬子夫人(夫人は函館の網問屋三女)
栖の地碑
三人の子を
小諸駅舎
「小諸義塾」跡
明治26年創立・塾長 木村熊二~明治39年廃校
「記念館には」 遺墨・遺品・・資料が展示、茶器や灰皿など。
小諸駅拡張のため駅構内に入る 記念館は、平成8年開館した。
「惜別の歌」碑
遠き別れに耐えかねて この高殿にのぼるかな 悲しむなかれ我が友よ 旅の衣をととのえよ
別れと云えば昔より 二人の人の世の常なるを 流るる水をながむれば 夢はずかしき涙かな
君がさやけき日の色も 君くれないの唇も 君がみどりの黒髪も またいつか見んこの別れ
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