「幕山 626m」
幕山浄水場、しとど庵という茶店、道を少し進むと左に「幕山公園」、右に4000本の梅林がある。
登山口。山頂まで2200m、右へ入って戻るように梅林の中の砕石道をいく、左手幕山の急斜面に露出した岩壁、梅や桜が植栽された道から松林、コナラの林に変わり、登山口から30分ぐらいで休憩舎のある展望所。
真鶴半島、城山方面の展望が、砕石の敷かれた丸太の段が、ゆるやかにジグザグと上っている。
上るにしたがい湯河原の街や真鶴半島、伊東方面の展望が広がって、休憩舎から40分くらいで幕山の山頂を周回する歩道に出る。
直に上れば山頂はすぐ。
幕山は丸い草山で、遠く東に房総、西に伊豆半島、近くに城山の山並み、これから登る南郷山方面など360度の大展望が得られる。弁当を広げるには絶好の場所である。
山頂からの展望を楽しんだら周回コースを一周してこよう。
周辺展望のよさに加えて四季折々の草花が咲き、楽しい散歩になるはずだ。
南郷山へ向かおう。北斜面の防火帯を下っていく。右が桧林、左がカヤトの草原である。途中から防火帯を左に入る。
右が桧林で左がカヤトの明るい道ですぐに自鑑水(じがんすい)への分岐。
まっすぐ行けば大石ケ平から一の瀬橋を経て五郎神社(鍛冶屋バス停)へ戻るコースである。
右のうっそうとした桧林の中に入る。白銀林道を突っ切って桧、箱根竹などの道を行くと、すぐに自鑑水に着く。
自鑑水は、源頼朝が石橋山の合戦に敗れ、水面に映る自分のあわれな姿を見て、自害しようとしたのを、湯河原の豪族 土肥実平に引き止められたところといわれ、自害水ともいう。
桧や箱根竹の展望のない山道で自鑑水から10分足らずで再び白銀林道に出る。
ゆるやかに下って、左に南郷山500メ−トルの案内標から箱根竹の繁る急坂を登る。
尾根に出たら右へ行けば南郷山の頂上だ。
頂上といっても山の頂に来た感じがしない所だが、展望は良い。
下りは真鶴半島を目の前にしてジグザグと下ると白銀林道に出る。右に少し歩けば五郎神社への分岐。うっそうとした箱根竹の急な道を下る。
松が目立つようになるとゴルフ場の脇に出る。ゴルフ場に沿ってぐんぐん下る。10分ほどでゴルフ場を端の簡易舗装された道に出る。
ゴルフ場を左にし、右下に大島、初島、真鶴半島の展望を楽しみながら下る。
梅の名所「幕山公園」
「正宗屋敷跡・製鉄遺跡」看板が
梅梅林へは道路を西方に、「新崎川」にかかり、幕山橋から展望すると前面の幕山の裾野一面が梅林。
橋の袂には、「正宗屋敷跡と製鉄遺跡」の説明版が建てられてあり、これによると「昔正宗屋敷跡と呼ばれ金山堂が祀られていたという」
関東大地震により壊滅的な被害を受け瑞應寺屋敷内に移転、平成16年試掘したところ多量の鉄滓が出土して、調査により西暦940年~985年頃の
(平安時代中期頃)の遺物と分析され、古代製鉄が営まれていたことがわかったと云う。(湯河原教育委員会から)
「鎌倉の正宗の井」は、
正宗が自分をいじめる意地悪な継母の病気治癒を祈って、水垢離をした井戸だという伝説が残る井戸。
井戸の近くから、刀に使われるはがねの断片やふいごの破片が発掘された。
しかし、それが正宗の時代のものか宗右衛門綱広の時代のものかは不明という。
正宗から9代目の宗右衛門綱広は小田原にいて、北条氏に仕えていた。
北条氏滅亡後は 徳川家康によって召し出され、扇ヶ谷に屋敷をもらった。それがこの辺りである。
そしてこの付近に地名が綱広谷と呼ばれていることから、宗右衛門綱広の屋敷跡ではないかといわれている。
また、この辺りは、鎌倉時代は「千葉常胤」の屋敷跡といわれており、 正宗とは関係がないという説もある。
正宗の屋敷は、刃稲荷の北側にあったといわれ、(JR鎌倉駅徒歩約5分。市役所近く)がある信号を右折。
新崎川
城山方面のハイキングコース・登山入り口でも
幕山
頼朝が、石を投げた運試した「自鑑水の窪地」長さ7~8m・幅5~6mは、山の中腹。
頼朝軍の逃走経路ー小田原石橋山から土肥の大杉~幕山中腹・自鑑水ーしとどの窟。
「幕山梅まつり」は、2月から3月11日まで
4000本の紅白梅が山一面に
1月末の幕山
「村社 五郎神社」
幕山の里山に鎮座
これで、湯河原は終了し、次回は「熱海」方面へ。
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