素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『六十の手習』

2012年01月01日 | 日記
 昨日、TSUTAYAに行った。毎週火曜日に発行される「週刊・パーツ付きクラフトマガジン“和時計をつくる”」を受け取るためである。9月中旬が創刊なので17号まできている。2012年になったらつくり始めようと楽しみにしていたものである。
 当然、週1回のTSUTAYA行きとなる。“本2冊でポイント2倍”というキャンペーンにつられて、店内をぶらつき目に留まったもの本や雑誌を買うことになる。“氷川清話”もそうして買ったものであった。昨日は新潮文庫の本棚で白洲正子さんの文庫本が並んでいるのを見つけた。今まで持っているのは講談社文芸文庫のものばかりなので「へえ~新潮文庫にもけっこうあるんや」といくつか取り出してみた。その中で引力のあったのが『私の百人一首』である。何が書いてあるのか興味を覚えたので“和時計をつくる”とペアで買った。
 「序にかえて」の標題が『六十の手習』である。こう書き出している。

 昔、私の友人が、こういうことをいったのを覚えている。
・・・六十の手習とは、六十歳に達して、新しくものをはじめることではない。若い時から手がけて来たことを、老年になって、最初からやり直すことをいうのだと。
 
 まだ若かった私は、そんなものかと聞き流していたが、この頃になってしきりに憶い出される。幼い時から親しんだ百人一首について、改めて考える気になったのもその為だが、さて机に向ってみると、まったく無知であることに驚く。かるたをとるということと、百人一首を鑑賞することは、ぜんぜん別の行為なのだ。一々歌の意味や心を味わっていて、かるたがとれる道理はない。そんなことはわかり切っているが、わかり切ったことに案外人は気がつかないものである。


 ということから、66歳の白洲さんは嵯峨野あたりを歩き、その体験を元に“私の百人一首”を書き始めた。この『六十の手習』の話、今の私にはストンと落ちるものがある。“知れば知るほど無知を知る”時にはそれで落ち込み、自分の浅さを恥じたりもするのだが、そういう私への「それでいいのだ!」という励ましの声として聞こえた。

 和時計づくりもけっこう時間がかかるだろう。そのペースで、白州さんの感じた百人一首も味わっていこうと思っている。
コメント
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