素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

三浦しをん「舟を編む」を読み終わる

2012年01月23日 | 日記
 主人公の馬締(まじめ)の妻である料理人の香具矢の言葉「料理の感想に、複雑な言葉は必要ありません。『おいしい』の一言や、召しあがったときの表情だけで、私たち板前は報われたと感じるのです。でも、・・・・・・」と同じように本の感想にも複雑な言葉は必要ない。読み進んでいるときの高揚感とか表情を言葉で表現することは不可能に近い。

 よく学校で、読書や映画、ビデオ、劇鑑賞などの後に感想文を書かされたが、とても嫌だった。これさえなかったらといつも思っていた。皮肉にも教師になってからは書かせる立場になるのだが、「でも」と香具矢は続ける。

 「・・・・。でも、修行のためには言葉が必要です。」「私は十代から板前修業の道に入りましたが、馬締と会ってようやく、言葉の重要性に気づきました。馬締が言うには、記憶とは言葉なのだそうです。香りや味や音をきっかけに、古い記憶が呼び起こされることがありますが、それはすなわち、曖昧なまま眠っていたものを言語化するということです。」「おいしい料理を食べたとき、いかに味を言語化して記憶しておけるか。板前にとって大事な能力とは、そういうことなのだと、辞書づくりに没頭する馬締を見て気づかされました。」

 自分にとって心地よい高まりを与えてくれる本というのは、登場する人々が語る言葉が心の琴線に触れながら展開していくのである。言葉を活かす構想力も大事なものである。料理でいえば一品一品(=語る言葉)をどういう順番にどのタイミング(=構想力)で出していくかである。「舟を編む」の中で心の琴線に触れた言葉。

 日本語研究に人生を捧げ、その集大成としての新しい辞書『大渡海』の完成を目指す老学者の松本先生の言葉「我々は、辞書にすべてを捧げねばなりません。時間も、お金も。生活するために必要な最小限を残し、あとはすべて辞書に傾注せねばならない。家族旅行。遊園地。言葉は知っていますが、わたしは実際を知らない。そういう生きかたを理解してくれる相手かどうかは、きみ、大変重要なことですよ」

 その松本先生を支えながら辞書づくりに会社人生を捧げてきた、定年間近のベテラン編集者荒木の言葉「辞書は、言葉の海を渡る舟だ」「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」

 だれかの情熱に、情熱で応えることを気恥ずかしくてずっと避けてきた西岡。『大渡海』発行の方針を会社に継続させるために出された編集部の人員削減の条件のために広告宣伝部への配置換えが決まった。見かけチャラ男の西岡が辞書編集部員として最後の仕事、原稿依頼をしている大学教授を訪問した時の述懐『俺は名よりも実を取ろう。荒木はしばしば、「辞書はチームワークの結晶だ」と言う。その意味がいまになって本当にわかった。教授のように、いいかげんな仕事をして辞書に形だけ名を刻むのではなく、俺はどの部署へ行っても、『大渡海』編纂のために全力で尽くそう。名前など残らなくていい。編集部に在籍した痕跡すら消え去って、「西岡さん?そういえば、そんなひともいましたっけ」と馬締に言われるとしても、かまわない。  大切なのは、いい辞書ができあがることだ。すべてをかけて辞書を作ろうとするひとたちを、会社の同僚として、渾身の力でサポートできるかどうかだ。』

 『大渡海』の最終段階に入った辞書編集部に、女性向けファッション誌“ノーザン・ブラック”編集部という花形部署から不本意にも配属された入社三年目の岸辺の述懐『辞書づくりに取り組み、言葉と本気で向きあうようになって、私は少し変わった気がする。言葉の持つ力。傷つけるためではなく、だれかを守り、だれかに伝え、だれかとつながりあうための力に自覚的になってから、自分の心を探り、周囲のひとの気持ちや考えを注意深く汲み取ろうとするようになった。』

 辞書にもっともふさわしい紙をという馬締の厳しい注文に応えるために、辞書編集部と製紙会社開発部との間で奮闘して来た、あけぼの製紙営業部の宮本の言葉「おっしゃること、なんとなくわかる気がします。俺は製紙会社に勤めているんですが、紙の色味や触感を言語化して開発担当者に伝えるのは、とても難しい。だけど話しあいを重ね、お互いの認識がぴたりと一致して、思い描いたとおりの紙が漉きあがったときの喜びは、なににも替えがたいです」

 資金難のため、何度も中断を余儀なくされ、企画から完成まで気の遠くなるような年月をかけていることを振り返り、もっと公金が投入されれば・・・と愚痴る馬締に、静かに言った松本先生の言葉「ですから、たとえ資金に乏しくとも、国家ではなく出版社が、私人であるあなたやわたしが、こつこつと辞書を編纂する現状に誇りを持とう。半生という言葉ではたりない年月、辞書づくりに取り組んできましたが、いま改めてそう思うのです」「言葉は、言葉を生みだす心は、権威や権力とはまったく無縁な、自由なものです。またそうあらねばならない。自由な航海をするすべてのひとのために編まれた舟『大渡海』がそういう辞書になるよう、ひきつづき気を引き締めてやっていきましょう」

 編纂作業の終盤にいたってもじりじりとしか進まない中での馬締の述懐『どんなに少しずつでも進みつづければ、いつかは光が見える。玄奘三蔵がはるばる天竺まで旅をし、持ち帰った大部の経典を中国語訳するという偉業を成し遂げたように。禅海和尚がこつこつと岩を掘り抜き、三十年かけて断崖にトンネルを通したように。辞書もまた、言葉の集積した書物であるという意味だけでなく、長年にわたる不屈の精神のみが真の希望をもたらすと体現する書物であるがゆえに、ひとの叡智の結晶と呼ばれるにふさわしい。』

 読後、家にある“広辞苑”“明鏡国語辞典”“角川漢和中辞典”“日本語 語感の辞典”のまえがきとあとがきを初めてゆっくり読んだ。そこにはフィクションではない、辞書をつくったひとたちの声があった。
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