青竹をくりぬいて鉢入れにする作業も今日が5つ目。試行錯誤で4つばかり作ってくると、穴の大きさと鉢の関係、竹の材質の感じ、家にある道具の有効な使い方などがだんだんわかってくる。最後なので集中もした。自己満足かもしれないが納得の鉢入れができた。
昨夜19時からサンテレビで“佐藤しのぶ出逢いのハーモニー”をたまたま見ることになった。詩人の長田 弘さんがゲストであった。話の中で長田さんは“ひらがな”へのこだわりにふれていた。「うつくしい」とひらがなで書かれたものを「美しい」と漢字にすると感じが変わる。「みなみ」と「南」でわかるように“ひらがな”は曲線的で響きが主に対して“漢字”は直線的で意味が主となる。と話されていた。そこから発展して“曲線”は“日本の原風景=ふるさと”をつくり“直線”は“都会”を形作ると指摘されていた。
直線を求めてひた走って来た現代社会において長田さんは曲線にこだわりたいと話されていた。その話を聞いていてなぜか青竹での鉢入れづくりのことを思った。青竹も鉢も曲線でできている。私はそれをのこぎりを多く使って何とかしようとしていた。早く形にしたいというあせりもあった。しかし、のこぎりは直線的な道具。どうしても鉢との接点で凹凸が生まれる。ネットでごまかしたが満足はしなかった。曲線を生み出す道具は“のみ”。もっとのみを使ってゆっくりていねいにやらないと曲線の世界にならない。というようなことを漠然と考えた。
ピッタリおさまった鉢を見た時パズルが解けた時のようなスッキリ感に満たされた。
昨夜19時からサンテレビで“佐藤しのぶ出逢いのハーモニー”をたまたま見ることになった。詩人の長田 弘さんがゲストであった。話の中で長田さんは“ひらがな”へのこだわりにふれていた。「うつくしい」とひらがなで書かれたものを「美しい」と漢字にすると感じが変わる。「みなみ」と「南」でわかるように“ひらがな”は曲線的で響きが主に対して“漢字”は直線的で意味が主となる。と話されていた。そこから発展して“曲線”は“日本の原風景=ふるさと”をつくり“直線”は“都会”を形作ると指摘されていた。
直線を求めてひた走って来た現代社会において長田さんは曲線にこだわりたいと話されていた。その話を聞いていてなぜか青竹での鉢入れづくりのことを思った。青竹も鉢も曲線でできている。私はそれをのこぎりを多く使って何とかしようとしていた。早く形にしたいというあせりもあった。しかし、のこぎりは直線的な道具。どうしても鉢との接点で凹凸が生まれる。ネットでごまかしたが満足はしなかった。曲線を生み出す道具は“のみ”。もっとのみを使ってゆっくりていねいにやらないと曲線の世界にならない。というようなことを漠然と考えた。
ピッタリおさまった鉢を見た時パズルが解けた時のようなスッキリ感に満たされた。