素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

半身浴とうつ伏せで寝ること

2014年04月04日 | 日記
 自分の身体を通して試してみるをモットーとしている。『半身浴』についても雑誌や新聞などの健康特集などで時々取り上げられていたので試すことにした。夏場はともかく冬場はどうかな?という疑問があった。2年近く続けてきたがすっかり定着してきた。肩までつからなくても1年を通じて全く問題がないことを納得した。旅行に行って温泉に入る時だけはゆっくりと湯船に沈む。そのことで日常を離れた解放感を味わうのである。

 『うつぶせで寝る』ということは103歳になられた日野原さんが実行していると書かれていたのを読んで試すことにした。1年と少しになる。呼吸のことが一番気になったが慣れてくると適当にうまくやっている。『仰向けで寝る』場合と比較してみると気分が落ち着きやすいのではと思う。

 島崎敏樹さんが「心で見る世界」(岩波新書)で空間の感じ方は等質的ではなく、心で感じる空間があると言っている。前の方は見わたしが十分きいて、明るくて安心できる空間に対して背後は「うしろめたく」こころもたない不安な空間である。横の空間は自分と並ぶものがいる伴侶的な性格のある空間である。上の空間は「私が仰ぐ」空間であり「私を威圧する」空間でもある。

 まとめると、私という主体の前方は明るい認識と行動の場である知的空間、上方は神秘的空間、側方は情的空間そして背後は無の空間となる。

 そして、下の方向は空間ではなく地盤だと島崎さんは言う。その地盤がゆらいだ時不安が起り、めまいが発生する。めまいには医学的な要因以外に足元の地盤がぐらつくためのめまいがある。それは地震などで大地がぐらつくという物理的なものだけではなく、自分がたよりにしていた人を失くした時、自分の生きるよすがとなってきた信念に疑問を生じた時、想定外のハプニングで予定が狂った時など安定をもたらしていた精神的な地盤のゆらぎも含まれる。

 この視点で考えてみると、「仰ぐ」という行為には前向きに決意を込めて考えるという交感神経を活性化させる要素がある。一方「伏せる」には沈思黙考という鎮める働きがある。ため息でも仰いでする場合と伏せてする場合では同じ「フ~」でも違う。1年余りでわかったが、脳が興奮状態で眠りに入った時、仰向けだと、さらに思考が拡がり目が冴えて寝られないということがしばしば起る。そういう時うつ伏せのポーズにしてみると結構早く鎮静する。

 また違った見方をすると、寝るという行為は敷布団に向かって落ちる行為である。その時落ちる方向に背を向ける(仰向け)より前を向く(うつ伏せ)方が安心できるという理屈も成り立つ。

 そして、空間の感じ方とは関係ないことで、呼吸に関しても仰向けのほうが不自然になる。以前はいびきをかくということで妻から苦情をよく言われていたがうつ伏せになってからはいびきもなくなったようである。無呼吸症候群も仰向けのポーズで生じているのでは?と考えている。

 一晩のうちに、人は寝返りを打ったりいろいろとポーズを変えているので自分のトータルの寝姿ははっきりしないが、少なくても眠りに入る時と寝覚め時はうつ伏せになっている。膝に違和感を持ってわかったが、膝関節にとっても仰向けよりうつ伏せの方が楽である。おそらく腰もそうじゃないかと思っている。
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