本の中程までは空いた時間に軽く読んでいく感じであったが、段々と物語の世界に引き込まれ残り三分の一となった今日は取りつかれたように『火天の城』を読むことが中心になった。こういう風に本の世界に引き込まれていったのは久しぶりであった。映画化もされていたがあえて見なかった。今は正解だと思っている。木曾の檜を育て守る杣の頭、上松の大庄屋甚兵衛と総棟梁の岡部又右衛門とのやりとり、大丸太を木曽川の急流を使って流す命がけの仕事、穴太の石工頭戸波清兵衛の「石」への思い、木挽き頭の庄之介の「木」への思い、瓦職人一官や絵師狩野永徳の心意気など安土城築城という大プロジェクトに取り組む職人魂を表現することは不可能だろう。それぞれの立場にある職人たちの意地、情熱、こだわり、創意工夫を文字の力で書きあげている。
築城のシーンのイメージづくりを助けてくれたのはNHKBSプレミアムで1月早々に放映された「よみがえる江戸城」であった。あの番組で城を見る視点ががらりと変わったような気がする。あの映像を重ねながら読むと、頭の中に安土城のイメージが浮かびあがってくる。その時代の技術、文化の粋の結晶が安土城である。奈良の大仏建立など各時代ごとにそういうものは存在する。それが日本の伝統というべきもので大切にしたい。
それに比べると侍に関してはマイナーなイメージを持つ描き方になっている。ここに著者のこだわりのようなものを感じた。
最後に、けがのため現場に立てなくなった又右衛門に代わって棟梁として番匠たちをまとめていった息子の以俊(もちとし)の悪戦苦闘の結果たどり着いた境地の部分も強く心に残ったので紹介しておきます。
『・・・つい怒鳴りつけたくなる気持ちをおさえ、一歩さがって、みなの仕事ぶりを見た。
それだけのことで、見なれていた作事場風景が、新鮮に感じられた。
番匠たちはいろいろだ。経験だけの差ではない。熟練工でも手の遅い者、早い者がいるし、人によって得意な仕事、不得手な仕事がある。熱心にやっ ている者がいれば、上の空で鋸を握っている者もいる。無口な男、冗談ばかり口にしている男、理詰めの男、直感の男、なにも考えていない者、やる 気はあっても鈍い者、怠けたがっている者、疲れている者、ごまかそうとしている者。いろんな男たちが集まって天主を建てているのだ。
その当たり前のことに、以俊はあらためて気がついた。
木を組むのが番匠の仕事で、人を組むのが棟梁の仕事か。
棟梁のなすべき仕事がすこしだけ、わかった気がした。そう思えば、作事場にひびく槌音さえ、かろやかに聞こえた。番匠たちの輪のなかに、自分が 立っている実感があった。』
築城のシーンのイメージづくりを助けてくれたのはNHKBSプレミアムで1月早々に放映された「よみがえる江戸城」であった。あの番組で城を見る視点ががらりと変わったような気がする。あの映像を重ねながら読むと、頭の中に安土城のイメージが浮かびあがってくる。その時代の技術、文化の粋の結晶が安土城である。奈良の大仏建立など各時代ごとにそういうものは存在する。それが日本の伝統というべきもので大切にしたい。
それに比べると侍に関してはマイナーなイメージを持つ描き方になっている。ここに著者のこだわりのようなものを感じた。
最後に、けがのため現場に立てなくなった又右衛門に代わって棟梁として番匠たちをまとめていった息子の以俊(もちとし)の悪戦苦闘の結果たどり着いた境地の部分も強く心に残ったので紹介しておきます。
『・・・つい怒鳴りつけたくなる気持ちをおさえ、一歩さがって、みなの仕事ぶりを見た。
それだけのことで、見なれていた作事場風景が、新鮮に感じられた。
番匠たちはいろいろだ。経験だけの差ではない。熟練工でも手の遅い者、早い者がいるし、人によって得意な仕事、不得手な仕事がある。熱心にやっ ている者がいれば、上の空で鋸を握っている者もいる。無口な男、冗談ばかり口にしている男、理詰めの男、直感の男、なにも考えていない者、やる 気はあっても鈍い者、怠けたがっている者、疲れている者、ごまかそうとしている者。いろんな男たちが集まって天主を建てているのだ。
その当たり前のことに、以俊はあらためて気がついた。
木を組むのが番匠の仕事で、人を組むのが棟梁の仕事か。
棟梁のなすべき仕事がすこしだけ、わかった気がした。そう思えば、作事場にひびく槌音さえ、かろやかに聞こえた。番匠たちの輪のなかに、自分が 立っている実感があった。』