今日のジムは何と言っても小保方晴子さんの会見が話題の中心であった。12時前にローッカールームへ入ったが、午前中にトレーニングを終えた人たちが大きな声で「今日、何時からやったかな?」「1時やで、帰ってからビール飲みながら見よう」と話していた。ロッカールームの空気は、理研の広告塔ように使われた若き女性研究者への同情がしはいしていた。芸能プロダクションの戦略で実力もないのに仕立て上げられて売り出された少女歌手といったとらえ方である。天地真理や桜田淳子の名前には時代を感じた。
2階のトレーニングルームに上がると、企業の研究畑にいた人は「自分の研究成果を世に問う時は細心の注意を払うのは当然で、細かい字句とか引用文献の表記間違いは有りうるが核心部分の資料に取り間違いがあるなんて考えられないミスだ」と嘆いていた。研究成果を先を越されないように秘密を保持しながら世に出すまでの苦労話をひとしきり話していた。
70歳台と見受けるご婦人方は「若い小娘に、いい年の男たちが振り回されているに違いない」とロッカールームのおじさん達とは真逆の分析。「女は怖いでえ、男は阿保や」という言葉には妙に説得力があった。「会場費が2時間でざっと24万やて、テレビで言うてたわ」「誰が払うんやろ?」「自腹みたいやで、延長すると1時間に12万近く取られるんやて」「年金暮らしにはできんなあ~」「年収1000万ぐらいはあるって」STAP細胞の有無なんかそっちのけで好きなこと言っている。2時間30分におよんだ会見だったから36万近くかかったことになる。
私は、その世界のことはとんとわからないので研究の中身にも小保方さんがどういう人であるかも興味はないが、ただ「悪意のないまちがい」という言葉にはちょっとひかかった。捏造とか改ざんを否定する意味で使ったのだろうが、まちがいをまちがいとして認める潔さよりも開き直りを強く感じて違和感がある。「悪意のないまちがい」だから論文は撤回しない。ではなく、まちがいがあれば撤回し、正しくしてもう一度発表するというのが普通の対処じゃないかなと考える。
人間は誰しも失敗はする。その時、「そうするつもりはなっかった」とか「想定外だった」と言えば、「それは言い訳に過ぎない」と厳しくとがめられる。どんな意図であれ、失敗を失敗として認めることから成長できるように思う。正当化したい欲望は自分を振り返ってもよくわかる。でも、寅さんじゃないが「それをいっちゃおしまいよ」である。「悪意のないまちがい」という言葉が堂々と存在感を持つ世の中にしてはいけない。
2階のトレーニングルームに上がると、企業の研究畑にいた人は「自分の研究成果を世に問う時は細心の注意を払うのは当然で、細かい字句とか引用文献の表記間違いは有りうるが核心部分の資料に取り間違いがあるなんて考えられないミスだ」と嘆いていた。研究成果を先を越されないように秘密を保持しながら世に出すまでの苦労話をひとしきり話していた。
70歳台と見受けるご婦人方は「若い小娘に、いい年の男たちが振り回されているに違いない」とロッカールームのおじさん達とは真逆の分析。「女は怖いでえ、男は阿保や」という言葉には妙に説得力があった。「会場費が2時間でざっと24万やて、テレビで言うてたわ」「誰が払うんやろ?」「自腹みたいやで、延長すると1時間に12万近く取られるんやて」「年金暮らしにはできんなあ~」「年収1000万ぐらいはあるって」STAP細胞の有無なんかそっちのけで好きなこと言っている。2時間30分におよんだ会見だったから36万近くかかったことになる。
私は、その世界のことはとんとわからないので研究の中身にも小保方さんがどういう人であるかも興味はないが、ただ「悪意のないまちがい」という言葉にはちょっとひかかった。捏造とか改ざんを否定する意味で使ったのだろうが、まちがいをまちがいとして認める潔さよりも開き直りを強く感じて違和感がある。「悪意のないまちがい」だから論文は撤回しない。ではなく、まちがいがあれば撤回し、正しくしてもう一度発表するというのが普通の対処じゃないかなと考える。
人間は誰しも失敗はする。その時、「そうするつもりはなっかった」とか「想定外だった」と言えば、「それは言い訳に過ぎない」と厳しくとがめられる。どんな意図であれ、失敗を失敗として認めることから成長できるように思う。正当化したい欲望は自分を振り返ってもよくわかる。でも、寅さんじゃないが「それをいっちゃおしまいよ」である。「悪意のないまちがい」という言葉が堂々と存在感を持つ世の中にしてはいけない。