素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

山本兼一著「火天の城」より今日の一言

2014年04月07日 | 日記
 朝から近くのスーパーの朝市に行った。途中、交野三中と藤が尾幼稚園の前を通ると入学式の立て看板。緊張気味の新入生、入園児の姿がチラホラ、変わらぬ風景である。ここ2,3日の雨にも風にも負けず桜が残っていて良かった。

 ジムの方も月曜日の担当であるMさんとKさんがいない。2人とも下の子供が小学校をようやく卒業したと言っていたから三中の入学式へ行っていることになる。

 MさんとKさんとはジムでは挨拶をかわす程度であったが、広報の孫請けで2010年9月25日に交野三中へ体育祭の写真を撮りに行った時にバッタリと会った。向こうもビックリであったろうが、私も二人に中学生の子供がいるとは思わず驚いた。以来、不思議なもので電車の中や自転車で走っている時などによく会うようになった。こういう人を「ご縁のある人」と呼ぶ。当然ながら私的な話題もするようになる。

 すると、MさんとKさんの間にも不思議な縁があるという。ジムで働くまでは面識がなかったが、上の子供が同学年であるということから親しくなったという。その子達は今、高校生になったが同じ高校へ通っているし、下の子供も同学年で小学校は同じクラス。しかもKさんの子供の名前が漢字は違うがMさんと同じ、誕生日もお互いの家族で同じ日があるみたいで先日、二人でケーキを買っている店の前でバッタリ会った。これで、中学校でも同じクラスだったら切っても切れぬ仲、間違いなしである。

 いつもの二人がいないということで、ジムの話題も入学や入園、入社のことが主流となった。それぞれにフレッシュな頃があったのだとあらためて思った。

 同時に、1日から始まって7日の入学式、8日の始業式までに、新年度の体制をつくる大変さに思いを馳せた。1日(火)から4日(金)までの4日間で決めていかなければいけないことが膨大にある。今、読んでいる山本兼一さんの「火天の城」(文春文庫)も資材集め、図面づくり、石垣、骨組みの組み立ての部分である。信長の苛酷な要求に応えるべく総棟梁の岡部又右衛門をはじめとする大工、石工の奮闘ぶりがいきいきと書かれている。それぞれに腕に自信を持ちプライドの高い多くの棟梁を束ねて大プロジェクトを進めていく総棟梁の又右衛門には心ざわつく、不快な声も聞こえてくる。学校という組織を立ち上げ軌道に乗せていく4月当初の感じとよく似ていると思った。ちょうどジムで運動しながら読んでいた部分で今日一番印象に残った部分。

 『山は大勢の人足や番匠で騒々しいが、それでもなお天地は寂としている。目を見開いて、しばらく空を仰いでいた。蒼穹の青さが瞳に染みた。なんの雑念も感じなくなった。

 どのみち、生きて働いているということは、煩わしい雑事の連続である。いちいち腹を立ててなどいられない。』


 新聞も入学式、入社式のことが掲載されていた。本格的な始まりである。
コメント
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