三浦しをんさんの『神去なあなあ日常』を読み終えて真っ先に思ったのは「ここに描かれた深い部分の世界を映画化できるかな?」ということだった。とは言っても、文庫本の帯ではなく、カバーをすっぽり包み込む映画化の宣伝カバー。「WOOD JOB!」で2014.5.10公開とある。そうまもなく公開されるのである。
都会育ちの少年がだまし討ちみたいに林業で生計を立てる神去村に放り込まれ、文化の違いに戸惑い、林業の現場で悪戦苦闘しつつ成長していく物語として仕立てているならば小説の持つ味が半減されるだろう。
木を育てるという100年サイクルの時間が流れる山の生活で育まれてきた精神性、自然の力に対する畏怖の念など急速に失われつつある山の民の文化を三浦さんは実に軽やかなタッチで描いている。小説には行間という武器がある。読み手は明るく軽妙に書かれている文章を読みながら、行間に深く重い世界を自分の頭の中に同時に」描いていく。映画はこれができない。小説と映画は別物だと割り切らなければいけないのだが、いい小説だけに味がそこなわれるんが惜しいのである。
公開前から、、有川浩さんの「三匹のおっさん」のドラマ化と同様になるのではと勝手に決めつけてしまっている。根拠のない決めつけなので外れていたら申し訳ない。私は見ないので自分で確かめることはできない。小説から作り上げた自分のイメージを大切にしていくだけである。
フィクションとはいえ、丹念な取材で定評のある三浦さん、伊勢奥津駅(いせおきつえき)から三峯山方面の奥深い現場で取材されたのだろう。
冒頭の「神去村は三重県中西部、奈良との県境近くにあるので、住人は基本的に西のアクセントでしゃべる。・・・」や主人公の平野勇気が生まれ育った横浜から神去村に行く部分「名古屋で新幹線を降りた俺は、近鉄に乗り換えて松阪まで行き、そこから聞いたこともないローカル線に揺られて、山の奥へ奥へと入っていった。・・・・」とある。このローカル線はJR東海の名松線しかない。終点まで行ってから軽トラで川沿いの道を神去村まで連れて行かれたとなっている。となればこのあたりかと地図を見る。
前から名松線という名前には疑問を持っていた。松阪の「松」は分かるが「名」は何だろう?この線の終点は伊勢奥津駅である。今を機会に調べてみると計画した頃は松阪と名張を結ぶ予定だったが、現在の近鉄大阪線が先に開通したため途中で建設をやめたらしい。それでも名前だけは名張の「名」がそのまま残っている。小説でも、遊び、ショッピング、デイケアなどは松阪ではなく名張に行くと出てくる。
そして伊勢奥津は伊勢本街道が通っている。志摩の実家に帰る時、さまざまなルートを試したが、この伊勢本街道だけはまだ行っていない。かねてから行きたいと思っていたが、ますますその思いは強くなった。
都会育ちの少年がだまし討ちみたいに林業で生計を立てる神去村に放り込まれ、文化の違いに戸惑い、林業の現場で悪戦苦闘しつつ成長していく物語として仕立てているならば小説の持つ味が半減されるだろう。
木を育てるという100年サイクルの時間が流れる山の生活で育まれてきた精神性、自然の力に対する畏怖の念など急速に失われつつある山の民の文化を三浦さんは実に軽やかなタッチで描いている。小説には行間という武器がある。読み手は明るく軽妙に書かれている文章を読みながら、行間に深く重い世界を自分の頭の中に同時に」描いていく。映画はこれができない。小説と映画は別物だと割り切らなければいけないのだが、いい小説だけに味がそこなわれるんが惜しいのである。
公開前から、、有川浩さんの「三匹のおっさん」のドラマ化と同様になるのではと勝手に決めつけてしまっている。根拠のない決めつけなので外れていたら申し訳ない。私は見ないので自分で確かめることはできない。小説から作り上げた自分のイメージを大切にしていくだけである。
フィクションとはいえ、丹念な取材で定評のある三浦さん、伊勢奥津駅(いせおきつえき)から三峯山方面の奥深い現場で取材されたのだろう。
冒頭の「神去村は三重県中西部、奈良との県境近くにあるので、住人は基本的に西のアクセントでしゃべる。・・・」や主人公の平野勇気が生まれ育った横浜から神去村に行く部分「名古屋で新幹線を降りた俺は、近鉄に乗り換えて松阪まで行き、そこから聞いたこともないローカル線に揺られて、山の奥へ奥へと入っていった。・・・・」とある。このローカル線はJR東海の名松線しかない。終点まで行ってから軽トラで川沿いの道を神去村まで連れて行かれたとなっている。となればこのあたりかと地図を見る。
前から名松線という名前には疑問を持っていた。松阪の「松」は分かるが「名」は何だろう?この線の終点は伊勢奥津駅である。今を機会に調べてみると計画した頃は松阪と名張を結ぶ予定だったが、現在の近鉄大阪線が先に開通したため途中で建設をやめたらしい。それでも名前だけは名張の「名」がそのまま残っている。小説でも、遊び、ショッピング、デイケアなどは松阪ではなく名張に行くと出てくる。
そして伊勢奥津は伊勢本街道が通っている。志摩の実家に帰る時、さまざまなルートを試したが、この伊勢本街道だけはまだ行っていない。かねてから行きたいと思っていたが、ますますその思いは強くなった。