素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

親と子・記憶のズレ

2015年01月22日 | 日記
 今週から朝ドラの「マッサン」を見ている。「どうしたの?」と妻は不思議がるが、北海道余市に舞台が移ったことで惹きつけられるものがある。としか説明できない。

 今週は熊虎さんとその息子一馬との関係で考えさせられていることがある。逆賊という汚名を着せられて北海道の地へ追いやられた会津藩藩士を祖に持つ熊虎さんやその親戚が今のような生活ができるようになるまでは不毛な地での過酷な生活があったことは容易に推察できる。

 『江戸300藩の意外な「その後」』(PHP研究所)によれば、公称二十八万石、実質六十七万石あったといわれる会津藩は、その二十分の一以下二万石にも満たない現在の青森県上北、下北、三戸あたりの土地へ一万七千人近い人数で移住し斗南藩として再出発した。

 同じ賊軍の仙台、盛岡、庄内、二本松、長岡などの諸藩に比べて段違いの罰の重さだった。さらに斗南領を与える代わりに、新政府が目をつけていた蝦夷地への開拓民の供出も強要され、七百人を超える藩士たちが北の未開の地へ送られた。

生活苦の中から酒に溺れるようになった父に反抗して故郷を捨てた熊虎さんが必死で働いてきた姿は息子の一馬さんは知らない。物心ついた彼が知っているには家族を顧みず自由気ままに暮らす父の姿である。そしてそのことで苦労する母の姿。そこに両者の間で齟齬が生じる。

 両親にも出会うまでの歴史と出会ってからの歴史がある。子どもが持つのは物心ついてからの両親の姿である。一緒に暮らしていながらわかっているみたいで実は何も知らないということがある。そこに「一人で大きくなったと思うな」「頼んでう産んでもらったわけではない」というやりとりが生じる遠因がある。

 私にしても、生まれる以前の両親についtれの話を聞くようになったのはここ2年ぐらいである。ちょっとした会話の中に盛り込まれるようになってきた。また、叔父叔母から間接的に聞くことも増えた。そのことで小さい時から感じていた「?」の解消がなされる。

 お互いに生きるのに忙しくなくなってきたからかなあと考える。

 そのことを番組化したのが著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、「アイデンティティ」や「家族の絆」を見つめる『ファミリーヒストリー』ではないかと思う。

 「歴史の記憶のズレ」を意識することが、親子、夫婦などの問題を解決する1つの鍵になるのではないかなどと考えている。

 
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