素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

負うた子に教えられる

2015年01月30日 | 日記
 今週の「マッサン」のタイトルは『負うた子に教えられる』である。熟達した者であっても、時には自分より経験の浅い者や年下の者に、物事を教わることもあるという意味だが、もう少し長かったような記憶があるが思い出せない。いろはかるたにあったのでは?と森田誠吾さんの書かれた『いろはかるたの本』(文春文庫)を本棚から取り出した。

 上方いろはにあった。『負うた子に教えられて浅瀬を渡る』であった。昔の人にとっては川を渡るということは難事の1つであったに違いない。子供を背負って足場の悪い川底に注意しながら一歩一歩慎重に歩を進めている親の背中から見張り番よろしく、安全そうなルートを探して指で指し示す子の姿が浮かんでくる。これが江戸いろはでは『鬼に金棒』である。

 今日はインフルエンザにかかった孫と1日付き合った。私も妻も息子もインフルエンザの予防接種を受けていないので二次感染しないことに気を遣う。使っていない娘の部屋に隔離して、原則、抵抗力の一番ありそうな私が世話をすることに自然となった。小4だから状況も理解でき、一人で過ごしているのだが退屈すると頻繁とトイレに通い出す。ドアの開け閉めの音がやたらとうるさくなる。そういう時は少しだけお付き合いをする。

 小型のゲーム機で遊んでいたみたいなので使い方を解説してもらった。『負うた孫に教えられてゲーム器を操る』である。しかし、あの細やかな指先の動きはどだい無理である。「何やっているのだ」とばかりのため息をつかれることしばしば。長居は禁物と退散する。

 次に部屋へ行った時は孫も考えたみたいで「大人用のソフトも持ってきた」と漢字検定をするように誘ってきた。しぶっていると「母ちゃんかてしたで、ほら七段までいってるやろ」と娘の成績を画面に出してきた。競争心を煽る作戦に乗ることにした。

 初段から初めて各段20問中8割の正解で昇段していける。ついつい夢中になってしまう。孫のする咳は気になるが娘を越えておかなければという意地がついつい働く。九段まで行って面目はほどこしたが名人にはなれなかった。孫にとっては良い時間つぶしになったみたいである。熱も平熱にもどり、体も楽になってきたみたいでヤレヤレである。

 夕方は『負うた孫に教えられて妖怪ウォッチを見る』となった。妖怪ウォッチが大流行をしているとは聞いているが実際には見たことがなかった。保育所に勤めている娘からは、音楽が鳴りだすと園児がいっせいに踊りだし、まるで宗教みたいだとこの正月に話を聞かされていた。

 正直新鮮味もないし、なぜこれが大流行しているのか、さっぱりわからなかった。大人だけの生活では味わえないものをちょっと味わった。これも病気の功名? 


 

 
コメント
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