素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

”いろは歌”からちょっと寄り道

2015年01月31日 | 日記
 『負うた子に教えられて』がきっかけで本棚から取り出された「いろはかるたの本」(森田誠吾著・文春文庫)をあらためて読んでみると、日本人の知恵の結晶であるという指摘もあながち外れていないように思われた。

 糸井重里さんや和田誠さんから「ことばの名人」「名コピーライター」「言葉遊びの達人」と呼ばれた土屋耕一さんも「かるた、イロイロ」というエッセイの中で次のように書いている。

 きわめて安直な着想ながら。ま、いろはがるたのひと通りをきちんと覚えていると、この世の中を渡っていくのに、かなり重宝するのではないか。というのは、たとえば結婚式で突然に指名されたりしたとき、あまりドギマギするのも見苦しい話で。その苦しまぎれを言いわけにしても親戚一同は聞いてもくれないからね。ほら、赤ん坊は泣きはじめるし。

 こういうときは、いろはがるた、だ。石の上にも三年とか。一寸先は闇、とか。嫁さんがさほど美形でなければ、花よりダンゴのたとえもありますとおり、などと切り抜けるとか。はじめの一句で、会場の空気を文鎮のごとくに押さえることが大切でありますね。

 年頭の挨拶、これまたよろしい。井の中の蛙、などという句をまず思い浮かべたら、あとは蛙の腹を勝手にふくらませていけばいい。新聞の見出し、これもいける。花見の公園の写真を見つつ、あまり考えることもない。花よりダンゴ、があるでしょう。広告のキャッチフレーズとか、五か年計画の標語の類い、あと社内報にちょっと頼まれて書く、冬休み日記の書き出しとか。なにを書くか、などとタバコに火をつける前に、もう大胆に第一行目に、腐っても鯛、などと書いてしまって、あとから足していくのね。

 いろはがるたとは、結局、幼少の折りそれでどう遊んだか、ではなくて。大人になってから、それでどう救われたか、を問題にしなければならぬ、そういうかるたなのです。


 よく考えてみれば私もずいぶんお世話になった”いろは歌”がある。「油断大敵」「笑う門には福来る」「総領の甚六」「楽あれば苦あり」「のど元すぐれば熱さ忘るる」「負けるは勝」「身から出た錆」「縁は異なもの味なもの」などなど

 
コメント
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