素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

相撲の魅力は生身感覚

2015年01月27日 | 日記
小学校時代からずっと相撲は好きだった。家の中でもたたみ2畳を土俵に見立てて弟相手に遊んでいた。小中学校では砂場が土俵となり休み時間のたびに興じていた。おかげでよくズボンのお尻を破いたものである。

 大相撲を見るのも楽しみで、中学生の頃が栃若の時代から柏鵬の時代に移る時である。明武谷のつり出し、もぐってしぶとい岩風、琴ヶ浜の内掛け、房錦の突進など個性的な力士の姿はいまだに覚えている。

 魅力は、1対1の生身のぶつかり合いであろう。今場所の白鵬と稀勢の里戦の取り直しについての白鵬の抗議が物議を呼んでいるが、基本的には勝負の決まり方はシンプルである。ルールや勝負の決まり方が複雑になればなるほど没頭できない要素が増える。また道具類を一切用いないのもいい。

 こういう生身感覚を小さい頃に養っておくことは大切ではないかと思う。最近はバーチャルな世界でのゲームで楽しむことがどんどん低年齢化しているように思う。時代の趨勢といえばそれまでだが、ふと不安を感じることが孫などを見ていてもある。

 10日ほど前の「余録」に高齢者の自動車事故に関連して、芳賀繁さんの書かれた「事故がなくならない理由」という本から「人間は原始時代から高いところから落ちるリスクを直感できる能力を身につけた。しかし、100年余の経験しかない自動車のリスクはうまく知覚できない」を引用して、時速100㌔で車を走らせる危険に人は鈍感すぎるかもしれないと警鐘を鳴らしている。

 先日のNHKスペシャル「ネクストワールド」のように、不足している能力を機械によって補うことはどんどん増えていくことは間違いない。そのことが筋萎縮症のような難病を持つ人々に光明を与えることも事実だが、軍事面などへの転用などで思いもよらない事態を引き起こすことも十分考えられる。

 若い時に野坂昭如さんがゴキブリを殺すときはハエ叩きなどを使って自分の手で殺したという感覚を持つべきだと言ったのを聞いた。ちょうどベトナム戦争でアメリカ軍の枯葉作戦とかナパーム弾使用などが問題になっていたことと重なり、ゴキブリホイホイとかシューと一発などという方法は「殺す」という感覚を薄める意味で良くないのではないかと共感した。

 そのことを祖母に話すと「私なんかハエ叩きも使わない」とちょうど姿を現したゴキブリをティッシュ1枚手に持ち、居合抜きのように掴んで潰した。この技には肝を潰した。その時に、この生身感覚が逆に「命」というものを言葉ではなくストレートに体に教えてくれるのかも知れないと思った。

 戦争の歴史を見る時、相手と対峙する距離がどんどん長くなっている。その分、「殺している」感覚を持たないで済むようになってきている。無人戦闘機までやってきた。やがて人工知能を装着した戦闘ロボットが現れる確率は大である。

 もし、相撲の世界もそうなったらなんて考えるとゾッとする。神代の頃より裸にふんどしといういでたちで大きく変わっていない化石のような相撲の世界がいつまでも続くことを願っている。

 
 
コメント
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