素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

♪京都フィルハーモニー室内合奏団with岩崎宏美スペシャルコンサート♪へ

2014年04月25日 | 日記
招待券が当たったのである。耐震工事の終わった枚方市民会館へ行って来た。外は塗り替えられてきれいになったが、中は相変わらずのまま。耐震工事よりも中核都市枚方市に相応しい設備の整った新しい文化ホールができないものかと思う。座席の列がイロハ順であることに戸惑っている人も結構見受けられた。

 16歳でデビュー、39年を迎えたとのこと。ちょうど今日4月25日がデビューの日にあたるという。1975年は私の結婚した年で、翌年長女が生まれたので公私ともに余裕のない日々で、私には、この年から10年間余りは芸能界の動きについての空白期間である。岩崎宏美に関して言えば、火曜サスペンス劇場のエンディングで流れる♪聖母たちのララバイ♪ぐらいしか印象がない。今回はアンコールで7年前に、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演した時のバージョンで歌ってくれた。京フィルの響きとマッチしてひと味違うものとなった。

 前半の3曲は京フィルの響きと今一つ馴染んでいないという感じがしていた。バンドとは違う室内合奏団の響きの違いを活かすのは編曲次第である。後半はグッと良くなった。全体の構成ももう少し工夫があればとも思った。

 前半、観客の一人に拍手のタイミングがズレル人がいて、それも会場全体が舞台に集中できない因となっていた。指揮者の井村さんの「枚方ははじめてですか?」という質問に、宏美さんが「いえ、違います」と答えたら間髪入れず「7年ぶりやあ」と声をかけたぐらいだから大ファンなのだろう。最前列の右端に座っていて嬉しさいっぱいに、話の腰を折る反応をしたり歌い終わった後の余韻をオケの演奏で楽しむ部分でいきなり大きな拍手を入れ、それにつられてパラパラと拍手のさざ波を起こしていた。悪気はないがもう少し全体の空気を読んで欲しいと思ったのは私だけではなかっただろう。

 15分の休憩にトイレに行くと、入口のところでその男の人に詰めよって話している人がいた。後半さんの最初に宏美さんが紹介したのでわかったが、前の2列中央に親衛隊が陣取っていて、詰め寄っていた人は、最後にステージの宏美さんに花束を渡したから、親衛隊長だろう。男の振舞いが許せないみたで説得しているという感じであった。男は「あんたは親衛隊か?」とか「悪気はない。自分も大好きや」みたいなことを訴えていた。親衛隊長さんは気持ちはわかるとばかり肩に手をかけてうなづいていたが、最後に一言「とにかく、拍手が早すぎる。もっとまわりに合わせてやってください」と強く念を押していた。印象に残るシーンであった。

 後半は親衛隊とその男の人の動きも楽しみながらのステージとなった。後半の始まる前席に着いた男の人が大きな声で親衛隊長さんを呼んだ。何が始まるのかと思ったら、近づいた親衛隊長さんに握手を求め、お互い後半盛り上げようということで和解した感じ。男の人は見事に全体に溶け込み応援オーラーを出していた。親衛隊諸君の統制のとれた拍手ぶりは某国の議会風景を連想した。

 そういうこともあり、後半は会場とステージが一体となった演奏会となった。

 
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枚方山草会『2014・春の山野草展』 準備を手伝う

2014年04月24日 | 日記
朝昼の温度差が15度近くもあると、衣服の調整がめんどうである。昼間は初夏を思わせるほどであった。明日から妻が所属する枚方山草会の『春の山野草展』が3日間、枚方の❝市民の森❞で開催される。午後から搬入と準備がある。朝から花が咲き切ってしまわないように日陰に避難していた展示用の花たちを妻がガレージに出して来た。思っていたより多くの花があった。鉢物は重ねて積み込むことはできないのでスペースをとる。運搬のほうを頼まれていたが、全部載るのかなと心配になったほどである。

 市民の森に着くと会員の人たちが駐車場に自分の作品をおろし運んでいる最中であった。道路は2階に面しているので1階の展示室にはスロープを台車を使って運ばなければいけない。高齢の方が増えてくるとこの搬入の作業が手間である。自分のだけではなく他の人のものも手伝うことになる。私が駆り出されるのはそのためでもある。繊細な作品なので花を折らないように気を遣う。1階展示室の前庭では日本さくらそうとボタンの展示がされていた。そこから見る楠葉の町方面の景色はなかなか良い。時間に余裕があったので反対側にまわり展示棟を。楠葉中学が道を挟んですぐ後ろにありチャイムの音をちょっと懐かしく感じた。
   テーブルのセッティングが済むと各自の割り当てられた所に自分の作品を並べながらお互いの作品について語らうこの時間が一番楽しいらしい。
  妻の鉢、全部展示できるか微妙な感じだったが、4鉢だけは無理だということで日の目を見ずに持ち帰りとなった。何はともあれ14の鉢がおさまりホッと一安心である。
   15時過ぎにほぼ全体が出来上がったので私は一足先に帰らせてもらった。
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テレビの未来

2014年04月23日 | 日記
 昨日、新しいテレビが届いた。古いテレビの撤去と新しいテレビのセットの間、馴染みのKさんなのでいろいろと話をした。消費増税の影響はテレビに関してはあまりなかったという。アナログ放送からデジタル放送への切り替え前が忙しく、その後は反動でテレビ需要は激減したという。ところが最近、切り替え時期に購入した家庭で不具合が出てきて買い替える人が多くなってきたので結構忙しいとのこと。我が家も例外ではなかったらしい。

 もう少しすると、4Kテレビが大々的に売り出されるので、画面の美しさにこだわらなければ今が良いタイミングとのこと。4Kテレビはやはり高くついてしまうらしい。ゆくゆくは4Kだけになるのではないかという予測をされていた。

 「4Kはいいけれど、それに対応した番組作りも大事なんと違う?」と素朴な疑問を。「そうなんですよね、業界との話し合いもあって一社だけではなく業界としての取り組みも必要でむずかしいみたいです」「3Dが余り伸びなかったのもそのあたりにあったのと違うの?」「ボチボチとは出てるんですけどね」「でも出始めた時の勢いはない?ブームとまでは行ってないのでは?」「やはりソフト面がね。でもメガネは軽くなって、楽になりましたよ」「画面が美しくなったら、アップの時なんかそれに耐えられるメイキャップも必要になってくるやろね」「デジタル放送になってから格段にそのあたりは進化したみたいなので、きっと大丈夫でしょう。」「近視でぼやけた世界での生活からメガネをかけたようなものやからね」「私は経験ないのでわからないんですが」「肌の汚さがもろに見えてしまって幻滅したな」などととりとめない話をしながらも慣れた手つきでセットアップをしていく。

 以前のプラズマテレビに比べて液晶テレビは薄くてコンパクトな感じがする。ラーメンで言えばこってり味からあっさり味に変えたようなもの。画面に重量感がない。しばらくしたら慣れるだろうが。

 
 「4Kの次は何が登場するやろ?」と最後に尋ねたら「さあ?もう終わりかなと思っても、また開発してきますからね」「でもテレビ本体の未来はそろそろなくなりつつあるのでは?」「ウ~ン?それよりは番組づくりの方がマンネリ化してこのままでは未来はないですね」「それは同感」というところで作業完了。

 1週間近くほとんどテレビを見ない生活をしてきたのでテレビをつけているとうるさく感じる。人間の感覚というのは面白いものだと改めて思った。

 その夜、NHKEテレの「趣味Do楽」で『籔内佐斗司流 ほとけの履歴書』を美しい画面でゆったり楽しむ。仏像拝観手引入門編・日本列島巡礼編に続いての3回目となる。テキストも含めて値打ちのある番組だと思う。
 
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寝屋川公園往復の新・10㎞コース 4月の目標達成する!

2014年04月22日 | 日記
 今日は99%走ることができた。完走まであと一歩である。スタート時がまだ駄目である。500m位はコンスタントに走ることができない。体が温まるまではひざ下に痛みが走る。歩いたり走ったりしているうちに痛みは消えてしまう。1週間前は最後の上り坂の連続部分はほとんど歩いたが、今日はイーブンペースで走ることができた。上り切った時に時計を見たら、4月の目標時速8kmのペース、1時間15分が達成できるかどうかが微妙だったので、さらにペースアップができた。これは進歩である。タイムはズバリ当てましょうなら大当たりの1時間15分00秒。これでしばらくは新・10kmコースの時間のしばりから離れることができる。

 自分自身を客観的に見る手段としての「数値」は有効であるが、逆にそれにとらわれてしまい目的化することはいけないと思う。数字の持っている魔力には注意を要する。ジムではトレーニングの前に、簡易血圧計で血圧を測ることになっている。時々、自分の意にそわない値が出ると何度も測り直して納得の値が出るまで粘っている人がいる。それでもダメなときは「器械が故障している」と他の人にも同意を求めてくる。あくまで簡易測定器だから数値がぶれるのは仕方がない。普段より高めの数字が出ても、自分自身の体の具合がいつもと変わりなければ気にしなくてもいいのである。

 学校のテストでも言える。テストの点数はあくまでも、自分の学習への取り組みを見直す1つの手段に過ぎない。それを絶対視して目的化してしまうとカンニングとか答案の改ざんという不正行為に走ってしまう。

 全国学力テストも今の数字絶対主義の風潮が強まると、半世紀前と同じような不正行為で点数を上げる学校が必ず生まれる。数字のノルマはモチベーションを上げるのに有効な手段ではあるが強い副作用を持つ劇薬であることを忘れてはいけない。

 そのさじ加減がむずかしいのである。うまくできない場合は使わない方が良い。

 体重管理や走る時も、一定の期間は徹底的に数字を出して記録していくことをするが、ある程度の段階に達したら一度離れて、数字以外の側面から見つめ直すということを心がけてきた。「アッ自分は数字に囚われてきているぞ」と感知するセンサーは常にONにしておきたいものだ。

 今、学力テストの結果を学校別に公表するかどうか問題になっているが、公表すると意気盛んな行政の長の発言を聞いていると、『人間の持っている力』への視野狭窄と『学校教育』への誇大妄想を強く感じる。

 視野狭窄と誇大妄想という言葉は、明日国賓として来日するオバマ大統領と安倍首相の日米首脳会談に寄せて同志社大教授の浜矩子さんが、19日(土)の朝刊で使っていたのを拝借した。一刀両断こう切り捨てている。

 時代逆行的誇大妄想(安倍)と自信喪失的視野狭窄(オバマ)が出会っても、そこから生産的な認識が生まれ出てくるとは思われない。親しい国の首脳同士であるならば、セレモニーもさりながら、少し我に返って、現状を素直におさらいする時間を共有してはどうかと思う。

 警備のすごさに驚いている。明日からの3日間、どうなることか。
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『gacco』を受講する

2014年04月21日 | 日記
 すべての人へ 学びの機会を届けたいという主旨で、大学教授陣による本格的な講義を、誰でも無料で受けられるウェブサービス『gacco』が開始された。

 今、各大学では一般向けの公開講座を実施している所が多いが、日程、場所、時間などの物理的な条件で、興味のあるテーマでも受講ができないことが多い。大阪府立大学の公開講座にも何度か応募したが希望者が多く抽選で外れてしまった。

 そういう意味では、『gacco』という新たな試みは意義あるものだと思う。うまく発展していけば教育環境に風穴をあけることになると思う。テレビの歴史番組で時々見かける東京大学史料編纂所教授本郷和人さんの講座「日本中世の自由と平等」があった。この歳になって自分自身が受けてきた歴史の授業が受験のための暗記に終始し、実は何もわかっていないということを痛感しているので、受講することにした。

 講座は4月14日に公開され、4月21日、28日、5月5日と4週に渡り展開されていく。とりあえず今日week1の「歴史学とは何か」の講義と課題をクリアした。講義はYouTubeで10分前後のものが9つ。いつ、どこでも、何回でも見ることができ、しかもわかりやすく編集されているので興味深く取り組めた。
 
 ホッとしたのも束の間、今日week2の「歴史のべき・ある論」が公開された。

 ちょうど新潮45の5月号でも、愛知県立大学と朝日カルチャーセンターの提携講座「若手研究者と学びなおす、いま、いちばん新しい日本史」という対談形式で行われた講座の内容が掲載されている。愛知県立大学准教授の與那覇潤さんと若手中世史家である立教大学兼任講師呉座勇一さんの対談"書き直される日本中世史”も刺激的な内容だった。

  
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