1993年って、もう13年前なんですよね。 当時、結構泣いた覚えがありますわ。
良かった、良かった、思い出せて!(^^)!
そして、例の「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」を早速、市内では五指に入るであろう大きさの書店に見に行き、検索機械で探しましたら、「在庫なし」とのことでした(T_T)/~~~
もちろん注文しましたんで、5日後くらいには送られえてくるそうです。
楽しみです。
その前に、事務所の先輩からお借りしている藤原正彦氏著の「国家の品格」を読まねば!
IDからして「makotoさん」という方?のブログ、「我家はプチ大家族」の中にある、「返信コメントなんだけど長くなりそうなのでこちらに 」からのトラックバックです。
自己紹介欄には「二年前病気の後遺症で車椅子の身になりましたが6人の子供達とドタバタ大騒ぎにぎやか過ぎる我家の日常を覗いていってくださいね^^」
と、明るくかかれてありますが、日常の中で大変なご苦労がおありかではないかと拝察いたしております。
最近、家庭内でも、色々と考えさせられることが多くてねぇ・・・(@_@;)
日本語には、「ありがたい」、「おかげさまで」、「すまんこと」など、良い言葉がありますよ。
日々生活を送っていく中で、当たり前に思っていることに感謝し、色んな方々や事象のお蔭様で、健康にて笑顔の溢れる日々を送らせていただいている「あたりまえの日常」に、心から「ありがたい」と思わなければならないのですよ。
「あたりまえ」色々とネットでググってますと、上記のブログや、「KEN'S DIARY」さんのブログ中の「あたりまえ」にたどり着いたりしました。
とても深く考えさせられる、井村和清さんの詩でありますね。
「あたりまえ」
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを お父さんがいるお母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある 行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる 音が聞こえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない あたりまえだ、と笑ってすます
食事が食べられる 夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる 走りまわれる
みんなあたりまえのこと こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない そのありがたさを知っているのは、
それを失くした人たちだけ なぜでしょう
あたりまえ
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」井村和清
これを読みますよ!DVDも見たいけど!
まずは今日!本屋に買いに行きますよ!
レビューは後日!((^-^ゝ