東京オリンピックも無事に終了し、インドは金メダル1、銀2、銅4という結果でした。終わってみれば史上最多のメダル数で、インドとしては善戦したと言えるでしょう。過去、世界第二位の人口のわりに、オリンピックではメダル獲得が少なく、スポーツ弱小国と蔑まれていたインドでした。
インドのメダル数は2004年のアテネでは1、2008年の北京では3、ロンドンで6、リオで2でした。金メダルは2008年の北京以来、獲っていなかったので、今回の東京で獲れたことは素晴らしい成果だったと思います。
インドは5月上旬に感染者数が1日40万人を越える事態となり、その後急速にピークアウトしていったものの、インドで発見されたデルタ株が世界に蔓延し、インドは世界中から警戒される国となってしまいました。
5月前後には、競技によってはオリンピックに参加するためのアジア予選が開催されたのですが、インドからの入国を禁止する国が多く、予選に参加できず、オリンピック参加を諦めざるをえなかった選手も数多くいました。
例えば、カヌーは5月にタイでアジア選手権が開催されたのですが、インドのカヌー選手の男女9人は、インドからタイへの入国が認められず、オリンピックへの夢がその時点で潰えたのです。また、バトミントンも5月にマレーシア・オープンが開催され、国際大会での実績が必要不可欠だった選手も、マレーシアに渡航できず、結果、オリンピックへの切符を手にいれなかった選手もいました。これ以外にも同様のケースはあったかもしれません。
事前の海外での試合に参加できずに涙を吞んだ選手もいれば、感染がピークを迎えていた5月のインドは、思うように練習ができない状況でした。一時はインドからは、オリンピック選手団を東京に送りこむことはできないのではないかとさえ言われたりしていました。
日本はインドから選手団の入国を認めましたが、インドからの選手には三日間の隔離を義務付けました。ワクチン接種完了や、毎日の検査という条件もあり、また、選手村に入るには5日前からという制約もある中で、三日間の隔離はさらなる障壁でした。
しかしながら、そんなハンディを乗り越えて、インドからは18競技で115選手が参加することになります。
オリンピックの開会式に登場したインド選手団の旗手を務めたのは、女子ボクシングのメアリー・コム選手(Mary Kom, 1983年3月1日生まれ)と、インドホッケーチームのキャプテンのマンプリート・シン選手(Manpreet Singh, 1992年6月26日生まれ)でした。
女子ボクシングの女子フライ級に出場したメアリー・コム選手に期待をしていました。ロンドンで銀メダルに輝いた彼女はすでにインドでは大スターでした。インドの東端のマニプル州出身のメアリー・コム選手は、キリスト教徒でもあり、インドの中では少数民族に属しているので、インド人から人種差別の対象にもなっていたようですね。2014年に彼女の半生が映画化されたのですが、プリヤンカ・チョープラが主演した感動的な作品でした。
現在4人の子供の母親でありながら、東京オリンピックに参加して、惜しくも判定で負けてしまったのですが、是非勝って欲しかったです。
金メダルに輝いた男子やり投げのニーラジ・チョプラ選手
8月7日の男子やり投げで、87.58mという記録を出したニーラジ・チョプラ選手(Neeraj Chopra, 1997年12月24日生まれ)は金メダルを獲得。陸上ではインド初で、今回初めての金であり、10年以上金メダルを獲得していなかったインドには待望の金でした。すでに、チョプラ選手は地元ハリヤナ州パニパットだけでなく、インド全体のスーパー・ヒーローになっていています。
インドのモディ首相もチョプラ選手に祝福の電話もしているし、ツイッターでも賛辞を送っています。
銀メダルを獲得した女子重量挙げのミラバイ・チャヌ選手
オリンピックが始まってすぐの競技、女子重量挙げ49キロ級で、マニプル州インパール出身のミラバイ・チャヌ選手(Mirabai Chanu, 1994年8月8日生まれ)が銀メダルに輝きました。ピザ好きの彼女に対し、ドミノピザは生涯無料のピザを贈ることにしたというニュースが出ていましたね。メアリー・コム選手と同じマニプル州出身ですが、新たなスターの出現です。
レスリング57キロ級で銀を獲得したラヴィ・クマール選手
ラヴィ・クマール・ダヒヤ選手(Ravi Kumar Dahiya, 1997年12月12日)は、ハリヤナ州ソニパットの出身ですが、レスリング57キロ級で銀メダルを獲得しました。
女子バドミントンのシンドゥー選手が銅メダル
女子バドミントン・シングルスで、PVシンドゥー選手(1995年7月5日生まれ)は銅メダルを獲得しました。ハイデラバード出身のシンドゥー選手は、リオで銀を獲得していて、すでに有名人。東京では金メダルが期待されていましたが、銅メダルでした。
女子ウォルター級ボクシングのロブリナ選手も銅メダル
アッサム出身のロブリナ・ボルゴハイン選手(Lovlina Borgohain, 1997年10月2日生まれ)は女子ウォルター級ボクシングで銅メダルを獲得しました。
男子ホッケーで銅メダル獲得
インドは世界ランキング3位でありながら、ホッケーでメダルを獲得したのは、1980年のモスクワ大会が最後ということで、今回のメダル獲得は41年ぶりの大ニュースでした。インドはクリケットがダントツの人気スポーツなのですが、2021年8月に入ってから、Google検索で、ホッケーがクリケットを抜いたとのことです。
またメダルに届かなかったのですが、女子のホッケーチームも善戦し、モディ首相は、ホーッケーチームに祝福のツイッターを送っています。
レスリング65キロ級のバジャラン・プニア選手も銅メダル
ハリヤナ州出身のバジャラン・プニア選手(Bajarang Punia, 1994年2月26日生まれ)は男子レスリング65キロ級で銀メダルに輝きました。
惜しくもメダルを逃した女子ゴルフのアディティ・アショク選手
女子ゴルフで最終日までメダル圏内かと思われたアディティ・アショク選手(Aditi Ashok, 1998年3月29日生まれ)は惜しくも4位となり、メダルに今一歩のところで届きませんでした。一打差で二位タイのプレイオフに入れたので実に惜しい。世界ランク200位でありながら優勝争いに絡んだのはすごいです。
バンガロール出身で、5才からゴルフを始めたというアディティ・アショク選手は、リオにも参加しているのですが、5年間コーチに付かず、自力でトレーニングしていたというのがすごいです。
また、キャディーを務めていたのは母親のマヘシュワリ(Maheshwari)さん。さらに、今年の5―6月にコロナに感染していて、病み上がりで練習もほとんどできていなかったようです。飛距離があまり出なかったのもそんな理由があるようです。そんなハンディを抱えていながら、4位に入賞できたのはすごいですね。メダルを取らせてあげたかったです。
モディ首相は、インドは今後スポーツに力をいれて、もっとメダルを取れるようにすると言っているようです。これまで国もあまりアスリートを応援してこなかったし、設備も、指導陣も、国の支援も十分でなかったことを問題視しているようです。インドが本気を出してオリンピックに挑戦してきたら、すごい選手が続々と出てくるのではないかと思います。頑張れ、インド!
インドのメダル数は2004年のアテネでは1、2008年の北京では3、ロンドンで6、リオで2でした。金メダルは2008年の北京以来、獲っていなかったので、今回の東京で獲れたことは素晴らしい成果だったと思います。
インドは5月上旬に感染者数が1日40万人を越える事態となり、その後急速にピークアウトしていったものの、インドで発見されたデルタ株が世界に蔓延し、インドは世界中から警戒される国となってしまいました。
5月前後には、競技によってはオリンピックに参加するためのアジア予選が開催されたのですが、インドからの入国を禁止する国が多く、予選に参加できず、オリンピック参加を諦めざるをえなかった選手も数多くいました。
例えば、カヌーは5月にタイでアジア選手権が開催されたのですが、インドのカヌー選手の男女9人は、インドからタイへの入国が認められず、オリンピックへの夢がその時点で潰えたのです。また、バトミントンも5月にマレーシア・オープンが開催され、国際大会での実績が必要不可欠だった選手も、マレーシアに渡航できず、結果、オリンピックへの切符を手にいれなかった選手もいました。これ以外にも同様のケースはあったかもしれません。
事前の海外での試合に参加できずに涙を吞んだ選手もいれば、感染がピークを迎えていた5月のインドは、思うように練習ができない状況でした。一時はインドからは、オリンピック選手団を東京に送りこむことはできないのではないかとさえ言われたりしていました。
日本はインドから選手団の入国を認めましたが、インドからの選手には三日間の隔離を義務付けました。ワクチン接種完了や、毎日の検査という条件もあり、また、選手村に入るには5日前からという制約もある中で、三日間の隔離はさらなる障壁でした。
しかしながら、そんなハンディを乗り越えて、インドからは18競技で115選手が参加することになります。
オリンピックの開会式に登場したインド選手団の旗手を務めたのは、女子ボクシングのメアリー・コム選手(Mary Kom, 1983年3月1日生まれ)と、インドホッケーチームのキャプテンのマンプリート・シン選手(Manpreet Singh, 1992年6月26日生まれ)でした。
女子ボクシングの女子フライ級に出場したメアリー・コム選手に期待をしていました。ロンドンで銀メダルに輝いた彼女はすでにインドでは大スターでした。インドの東端のマニプル州出身のメアリー・コム選手は、キリスト教徒でもあり、インドの中では少数民族に属しているので、インド人から人種差別の対象にもなっていたようですね。2014年に彼女の半生が映画化されたのですが、プリヤンカ・チョープラが主演した感動的な作品でした。
現在4人の子供の母親でありながら、東京オリンピックに参加して、惜しくも判定で負けてしまったのですが、是非勝って欲しかったです。
金メダルに輝いた男子やり投げのニーラジ・チョプラ選手
8月7日の男子やり投げで、87.58mという記録を出したニーラジ・チョプラ選手(Neeraj Chopra, 1997年12月24日生まれ)は金メダルを獲得。陸上ではインド初で、今回初めての金であり、10年以上金メダルを獲得していなかったインドには待望の金でした。すでに、チョプラ選手は地元ハリヤナ州パニパットだけでなく、インド全体のスーパー・ヒーローになっていています。
インドのモディ首相もチョプラ選手に祝福の電話もしているし、ツイッターでも賛辞を送っています。
銀メダルを獲得した女子重量挙げのミラバイ・チャヌ選手
オリンピックが始まってすぐの競技、女子重量挙げ49キロ級で、マニプル州インパール出身のミラバイ・チャヌ選手(Mirabai Chanu, 1994年8月8日生まれ)が銀メダルに輝きました。ピザ好きの彼女に対し、ドミノピザは生涯無料のピザを贈ることにしたというニュースが出ていましたね。メアリー・コム選手と同じマニプル州出身ですが、新たなスターの出現です。
レスリング57キロ級で銀を獲得したラヴィ・クマール選手
ラヴィ・クマール・ダヒヤ選手(Ravi Kumar Dahiya, 1997年12月12日)は、ハリヤナ州ソニパットの出身ですが、レスリング57キロ級で銀メダルを獲得しました。
女子バドミントンのシンドゥー選手が銅メダル
女子バドミントン・シングルスで、PVシンドゥー選手(1995年7月5日生まれ)は銅メダルを獲得しました。ハイデラバード出身のシンドゥー選手は、リオで銀を獲得していて、すでに有名人。東京では金メダルが期待されていましたが、銅メダルでした。
女子ウォルター級ボクシングのロブリナ選手も銅メダル
アッサム出身のロブリナ・ボルゴハイン選手(Lovlina Borgohain, 1997年10月2日生まれ)は女子ウォルター級ボクシングで銅メダルを獲得しました。
男子ホッケーで銅メダル獲得
インドは世界ランキング3位でありながら、ホッケーでメダルを獲得したのは、1980年のモスクワ大会が最後ということで、今回のメダル獲得は41年ぶりの大ニュースでした。インドはクリケットがダントツの人気スポーツなのですが、2021年8月に入ってから、Google検索で、ホッケーがクリケットを抜いたとのことです。
またメダルに届かなかったのですが、女子のホッケーチームも善戦し、モディ首相は、ホーッケーチームに祝福のツイッターを送っています。
レスリング65キロ級のバジャラン・プニア選手も銅メダル
ハリヤナ州出身のバジャラン・プニア選手(Bajarang Punia, 1994年2月26日生まれ)は男子レスリング65キロ級で銀メダルに輝きました。
惜しくもメダルを逃した女子ゴルフのアディティ・アショク選手
女子ゴルフで最終日までメダル圏内かと思われたアディティ・アショク選手(Aditi Ashok, 1998年3月29日生まれ)は惜しくも4位となり、メダルに今一歩のところで届きませんでした。一打差で二位タイのプレイオフに入れたので実に惜しい。世界ランク200位でありながら優勝争いに絡んだのはすごいです。
バンガロール出身で、5才からゴルフを始めたというアディティ・アショク選手は、リオにも参加しているのですが、5年間コーチに付かず、自力でトレーニングしていたというのがすごいです。
また、キャディーを務めていたのは母親のマヘシュワリ(Maheshwari)さん。さらに、今年の5―6月にコロナに感染していて、病み上がりで練習もほとんどできていなかったようです。飛距離があまり出なかったのもそんな理由があるようです。そんなハンディを抱えていながら、4位に入賞できたのはすごいですね。メダルを取らせてあげたかったです。
モディ首相は、インドは今後スポーツに力をいれて、もっとメダルを取れるようにすると言っているようです。これまで国もあまりアスリートを応援してこなかったし、設備も、指導陣も、国の支援も十分でなかったことを問題視しているようです。インドが本気を出してオリンピックに挑戦してきたら、すごい選手が続々と出てくるのではないかと思います。頑張れ、インド!