先日シンガポールの地下鉄に乗ろうとしたら、プラットホームのホームドア脇にある一つの広告が目にとまりました。” “Who’s the fairest of them all?”というキャッチコピー。おとぎ話の鏡のようなイラストにレイアウトされたその言葉は、「白雪姫」の中に登場する意地悪な継母が魔法の鏡に向かって投げかける言葉でした。
日本語では「鏡よ、鏡よ、鏡さん、この世で最も美しいのは誰?」と訳されたりしています。原文では、「美しい」という意味でこの”fair”という単語を使っています。鏡に向かって自分の評価を問うというのは、今の時代では、SNSでフォロワーの数を気にしたり、ツイッターでの自分の評価を気にしたりする、いわゆるエゴサーチの象徴のような気もしますね。エゴサーチの結果は、優越感の自己満足あるいは、嫉妬のどちらかになる場合が多く、両者は紙一重です。白雪姫の物語では、嫉妬が大きなテーマになっています。
「美しい」という意味は今や古語となってしまっていて、現在では、「色白の」という意味で使われるようになっていますが、昔話の体裁の白雪姫の物語の中では、美しいという意味で使われています。継母の嫉妬のため、みすぼらしい外見にさせられてもなお、白雪姫は王子様を魅了するというのは、外見だけでなく、内面の美しさも意味しているのではないかとも思います。
実は、“fair”という言葉にはいろいろな意味があって、「公正な」という意味や、”fair wind”(順風)などの「順調な」という意味や、天気が「晴れ」という時にも使います。ゴルフなどで”fairway”といえば、ティーとグリーンの間の芝生区域を言います。”Fair Play”という言葉は、スポーツマンシップに則り、道徳を守ったきちんとした行いという意味で使われますね。何か揉めた場合、よく「それはフェアじゃない」とか言ったりもします。シンガポールのスーパーマーケットに”FairPrice”というのがありますが、適正な値段(のお店)というような意味です。
人格という点では、白雪姫が汚れのないフェアな心を持っているというのに対し、継母はプライドが高く、ひねくれていて、嫉妬心が強く、自分のためならどんな悪いことでもしてしまいます。白雪姫の対極のアンフェアの象徴です。そういう意味で、鏡に「この世で最もフェアなのは誰か」と問いかける継母に、鏡は外見という意味で継母だと答えていますが、でも内面を含む総合点では白雪姫だと答えているのは当然です。
この物語の世界は、お城と小人たちが住む森だけという小さな世界なのですが、継母が広い世界を知ってしまったら、さらに衝撃を受けて、立ち直れなくなるでしょう。狭い世界の中では人と比べて優越感を感じることはできますが、世界が広がれば広がるほど、競争相手は増えていき、どこかで挫折をすることになります。
ところで、学校でレポートなどを評価する時にも”Fair”という言葉が使われます。これは、実はそれほどいいわけではなく、優良可で言えば「可」あたりに相当する雰囲気です。「落第点」や「不可」ではないけど、それほど優れているわけではない。「とりあえず合格点」という感じです。優れている場合の評価は、”Excellent”とか”Very Good”などになります。
ちなみに、コロナ感染者の統計で有名なJohns Hopkins Universityの評価によれば、5=Excellent, 4=Very Good, 3=Good, 2=Fair, 1=Poorという順位付けになります。下から二つ目なので、あまり喜べない感じですね。この基準はこの大学だけでなく、いろんなところで使われているようです。
さて、この鏡の広告では、「公正な」という意味で”Fair”を使っています。もちろん、「白雪姫」の継母の台詞を踏まえているのですが、ダブルミーニングで、「最も公正な(サービスを提供する)のは誰?」という意味になります。英語のコピーライティングでは、こういう言葉をもじった表現がよく好まれ、このジョークがわかった読者は思わずニヤリとしてしまうのです。
英語では、”tongue-in-cheek”という言葉があります。「冗談めかして」というような意味です。若い頃勤めていた海外向けの広告代理店のフィリピン人のコピー部長がよく言っていました。「コピーは、真面目にストレートに表現するのではつまらないし、結局メッセージが伝わらない。ちょっと距離を置いて、冗談めかして、ユーモアを交えて表現するのがよいのである」と。この白雪姫の鏡のコピーはまさにそれです。日本では「オヤジギャグ」と紙一重で、興ざめしてしまう人もいるかもしれませんが、こういう英語のコピーは私は大好物です。
この広告の広告主は、EndowUsというシンガポール発のフィンテックの会社で、資産や年金のコンサルティングをする会社のようです。この分野では新進気鋭の会社で、数々の賞も受賞していて、シンガポールから海外にも拡張しているようですね。この広告を通して、「私たちのコンサルテーション費用は他のどの会社よりも公正です」というメッセージ。私はこの広告のターゲットに該当しないのですが、この広告のメッセージは非常によく伝わってきます。
で、ここまでこの広告に惹きつけられてしまった私ですが、この”Fair”という単語のことをいろいろと考えてしまいました。
シェイクスピアの時代、「美しい」という意味で、やたら”Fair”が登場します。例えばロミオとジュリエットで、一時的に眠りに入ったジュリエットを死んでしまったものと誤解したロミオが語る台詞があります。
Ah, dear Juliet, why art thou yet so fair?
「おお、親愛なるジュリエットよ、お前は何故まだそんなに美しいままなのか?」
この時は実際にはまだ死んではいないので、綺麗なままであるのは当然ですが。
“My Fair Lady”という映画もあります。オードリー・ヘップバーンが主演したミュージカル映画。ここで使われている”Fair”も「美しい」という意味です。薄汚れた下町の花売り娘が、言葉を特訓することで、上流階級の淑女に変身してしまうというストーリーですね。
現代英語では、理由はわかりませんが、「色白の」という意味になってしまいました。主観的な美しさという判断ではなく、物理的な皮膚の色の比較の問題になってしまいました。「白雪姫」(Snow White)という物語のタイトルにはぴったりになってしまいましたが、よく考えてみると、これは人種差別表現であり、”Black Lives Matter”などが叫ばれる昨今では、時代に逆行する表現になってしまっています。
「白雪姫」はもともとドイツのグリム兄弟が書いた童話だったのですが、ドイツ語では、"Wer ist die Schönste im ganzen Land?”という原文で、「最も美しい」という単語になっています。これが英語に翻訳された際に、”Fairest”と訳されたようです。
「最も美しい」としても、今のダイバーシティとインクルージョンとコンプライアンスの現代には問題になりかねません。人を外見で差別するということにつながります。「美女と野獣」のようなストーリーのほうが今の時代には求められれいると言えるでしょう。
さらに英語圏では、”Fair”が皮膚の色の物理的な白さを意味するようになったため、よりややこしくなってしまいました。インドなどでも、女性は白っぽいほうが美人と思われる傾向はあります。
以前、私は、広告の仕事でインドのボリウッド女優を起用した仕事に関わったことがありました。インドでの撮影に立ち会ったのですが、メイク前の素顔はやや黒かったのに、メークをバッチリしたらかなり白っぽくなったのを覚えています。女優の素顔は企業秘密(?)なので、本当は目撃してはいけなかったのかもしれませんが。
日本やアジア圏でも、日焼けは嫌なので、日焼け止めをし、日傘をさして紫外線を避け、美白効果のスキンケアを行い、肌の色が明るく見えるような化粧をしたりしています。色白に見えることが美の基準の一つになっています。
しかしながら、同時に、人を肌の色で差別することはますます忌避されるようにもなっています。
“Fair”という言葉だけでもこれだけの問題を抱えている「白雪姫」ですが、この物語をよく見ていくと、問題がいくつか出てきます。
そもそも、継母が白雪姫の美貌に嫉妬して部下に暗殺を命じるということだけで重大犯罪だし、さらに毒リンゴを使って白雪姫を殺害しようとしたことは、殺人罪になってしまいます。このような犯罪を周囲の関係者たちが全く知らなかったとは考えられず、継母の犯行を食い止められなかったことで、周囲の責任も問われることでしょう。特にこの物語にはほとんど登場しない王様の責任は重大だと思います。自分の娘が命を狙われているというのに何も気づかなかったというのは何と鈍感なのでしょう。父親として、お城の責任者として、継母の暴走を食い止めることはできなかったのでしょうか?
また、白雪姫にも罪があります。7人の小人たちが住む家に勝手に侵入してしまうのですが、現在の法律で言えば、住居不法侵入罪です。運良く小人たちが善良な性格で、ややこしいことを言わなかったので問題なかったですが、邪悪な心の人たちだったらどうなっていたことでしょう。
王子様が、死んだ白雪姫にキスをして目覚めさせるというのは、グリム童話のオリジナルにはなく、ディズニーの創作とのことです。毒リンゴの魔法を解く手段として、「恋人のファーストキス」と継母が参照したマニュアルには記載されているのですが、王子様がこれを認識していたとは思えず、偶然です。王子様は、死体だと思ってキスをするのですが、変態的行為です。死体だとはいえ、女性に同意なく(死体なので同意を求めることは不可能ですが)キスをしてしまうというのは、現代ではセクハラの問題になりはしないか心配です。悪くすれば強姦未遂です。
王子様がたまたまハンサムな若者だったので、目覚めた白雪姫は喜んだのですが、もしもその王子様が醜悪で肥満で変質者だったらどうだったのでしょう。目覚めた白雪姫は、死んだほうがマシだと思い、再びかじりかけのリンゴをかじって自殺しようと思ったかもしれません。
こんな感じで、掘り下げれば次々と問題が出てくるお話しです。偶然にも結果オーライになったのですが、白雪姫はただただ運がよかったのだと思います。一つ間違えば不幸になる可能性は随所にありました。しかし、彼女は何とかフェアウェイをキープして、幸せに到達してしまうのです。そういう順風満帆の人生って、なんかフェアじゃない気もします。
物語としては、評価をつけるとしたら、まあ「フェア」ということになるのかもしれません。
日本語では「鏡よ、鏡よ、鏡さん、この世で最も美しいのは誰?」と訳されたりしています。原文では、「美しい」という意味でこの”fair”という単語を使っています。鏡に向かって自分の評価を問うというのは、今の時代では、SNSでフォロワーの数を気にしたり、ツイッターでの自分の評価を気にしたりする、いわゆるエゴサーチの象徴のような気もしますね。エゴサーチの結果は、優越感の自己満足あるいは、嫉妬のどちらかになる場合が多く、両者は紙一重です。白雪姫の物語では、嫉妬が大きなテーマになっています。
「美しい」という意味は今や古語となってしまっていて、現在では、「色白の」という意味で使われるようになっていますが、昔話の体裁の白雪姫の物語の中では、美しいという意味で使われています。継母の嫉妬のため、みすぼらしい外見にさせられてもなお、白雪姫は王子様を魅了するというのは、外見だけでなく、内面の美しさも意味しているのではないかとも思います。
実は、“fair”という言葉にはいろいろな意味があって、「公正な」という意味や、”fair wind”(順風)などの「順調な」という意味や、天気が「晴れ」という時にも使います。ゴルフなどで”fairway”といえば、ティーとグリーンの間の芝生区域を言います。”Fair Play”という言葉は、スポーツマンシップに則り、道徳を守ったきちんとした行いという意味で使われますね。何か揉めた場合、よく「それはフェアじゃない」とか言ったりもします。シンガポールのスーパーマーケットに”FairPrice”というのがありますが、適正な値段(のお店)というような意味です。
人格という点では、白雪姫が汚れのないフェアな心を持っているというのに対し、継母はプライドが高く、ひねくれていて、嫉妬心が強く、自分のためならどんな悪いことでもしてしまいます。白雪姫の対極のアンフェアの象徴です。そういう意味で、鏡に「この世で最もフェアなのは誰か」と問いかける継母に、鏡は外見という意味で継母だと答えていますが、でも内面を含む総合点では白雪姫だと答えているのは当然です。
この物語の世界は、お城と小人たちが住む森だけという小さな世界なのですが、継母が広い世界を知ってしまったら、さらに衝撃を受けて、立ち直れなくなるでしょう。狭い世界の中では人と比べて優越感を感じることはできますが、世界が広がれば広がるほど、競争相手は増えていき、どこかで挫折をすることになります。
ところで、学校でレポートなどを評価する時にも”Fair”という言葉が使われます。これは、実はそれほどいいわけではなく、優良可で言えば「可」あたりに相当する雰囲気です。「落第点」や「不可」ではないけど、それほど優れているわけではない。「とりあえず合格点」という感じです。優れている場合の評価は、”Excellent”とか”Very Good”などになります。
ちなみに、コロナ感染者の統計で有名なJohns Hopkins Universityの評価によれば、5=Excellent, 4=Very Good, 3=Good, 2=Fair, 1=Poorという順位付けになります。下から二つ目なので、あまり喜べない感じですね。この基準はこの大学だけでなく、いろんなところで使われているようです。
さて、この鏡の広告では、「公正な」という意味で”Fair”を使っています。もちろん、「白雪姫」の継母の台詞を踏まえているのですが、ダブルミーニングで、「最も公正な(サービスを提供する)のは誰?」という意味になります。英語のコピーライティングでは、こういう言葉をもじった表現がよく好まれ、このジョークがわかった読者は思わずニヤリとしてしまうのです。
英語では、”tongue-in-cheek”という言葉があります。「冗談めかして」というような意味です。若い頃勤めていた海外向けの広告代理店のフィリピン人のコピー部長がよく言っていました。「コピーは、真面目にストレートに表現するのではつまらないし、結局メッセージが伝わらない。ちょっと距離を置いて、冗談めかして、ユーモアを交えて表現するのがよいのである」と。この白雪姫の鏡のコピーはまさにそれです。日本では「オヤジギャグ」と紙一重で、興ざめしてしまう人もいるかもしれませんが、こういう英語のコピーは私は大好物です。
この広告の広告主は、EndowUsというシンガポール発のフィンテックの会社で、資産や年金のコンサルティングをする会社のようです。この分野では新進気鋭の会社で、数々の賞も受賞していて、シンガポールから海外にも拡張しているようですね。この広告を通して、「私たちのコンサルテーション費用は他のどの会社よりも公正です」というメッセージ。私はこの広告のターゲットに該当しないのですが、この広告のメッセージは非常によく伝わってきます。
で、ここまでこの広告に惹きつけられてしまった私ですが、この”Fair”という単語のことをいろいろと考えてしまいました。
シェイクスピアの時代、「美しい」という意味で、やたら”Fair”が登場します。例えばロミオとジュリエットで、一時的に眠りに入ったジュリエットを死んでしまったものと誤解したロミオが語る台詞があります。
Ah, dear Juliet, why art thou yet so fair?
「おお、親愛なるジュリエットよ、お前は何故まだそんなに美しいままなのか?」
この時は実際にはまだ死んではいないので、綺麗なままであるのは当然ですが。
“My Fair Lady”という映画もあります。オードリー・ヘップバーンが主演したミュージカル映画。ここで使われている”Fair”も「美しい」という意味です。薄汚れた下町の花売り娘が、言葉を特訓することで、上流階級の淑女に変身してしまうというストーリーですね。
現代英語では、理由はわかりませんが、「色白の」という意味になってしまいました。主観的な美しさという判断ではなく、物理的な皮膚の色の比較の問題になってしまいました。「白雪姫」(Snow White)という物語のタイトルにはぴったりになってしまいましたが、よく考えてみると、これは人種差別表現であり、”Black Lives Matter”などが叫ばれる昨今では、時代に逆行する表現になってしまっています。
「白雪姫」はもともとドイツのグリム兄弟が書いた童話だったのですが、ドイツ語では、"Wer ist die Schönste im ganzen Land?”という原文で、「最も美しい」という単語になっています。これが英語に翻訳された際に、”Fairest”と訳されたようです。
「最も美しい」としても、今のダイバーシティとインクルージョンとコンプライアンスの現代には問題になりかねません。人を外見で差別するということにつながります。「美女と野獣」のようなストーリーのほうが今の時代には求められれいると言えるでしょう。
さらに英語圏では、”Fair”が皮膚の色の物理的な白さを意味するようになったため、よりややこしくなってしまいました。インドなどでも、女性は白っぽいほうが美人と思われる傾向はあります。
以前、私は、広告の仕事でインドのボリウッド女優を起用した仕事に関わったことがありました。インドでの撮影に立ち会ったのですが、メイク前の素顔はやや黒かったのに、メークをバッチリしたらかなり白っぽくなったのを覚えています。女優の素顔は企業秘密(?)なので、本当は目撃してはいけなかったのかもしれませんが。
日本やアジア圏でも、日焼けは嫌なので、日焼け止めをし、日傘をさして紫外線を避け、美白効果のスキンケアを行い、肌の色が明るく見えるような化粧をしたりしています。色白に見えることが美の基準の一つになっています。
しかしながら、同時に、人を肌の色で差別することはますます忌避されるようにもなっています。
“Fair”という言葉だけでもこれだけの問題を抱えている「白雪姫」ですが、この物語をよく見ていくと、問題がいくつか出てきます。
そもそも、継母が白雪姫の美貌に嫉妬して部下に暗殺を命じるということだけで重大犯罪だし、さらに毒リンゴを使って白雪姫を殺害しようとしたことは、殺人罪になってしまいます。このような犯罪を周囲の関係者たちが全く知らなかったとは考えられず、継母の犯行を食い止められなかったことで、周囲の責任も問われることでしょう。特にこの物語にはほとんど登場しない王様の責任は重大だと思います。自分の娘が命を狙われているというのに何も気づかなかったというのは何と鈍感なのでしょう。父親として、お城の責任者として、継母の暴走を食い止めることはできなかったのでしょうか?
また、白雪姫にも罪があります。7人の小人たちが住む家に勝手に侵入してしまうのですが、現在の法律で言えば、住居不法侵入罪です。運良く小人たちが善良な性格で、ややこしいことを言わなかったので問題なかったですが、邪悪な心の人たちだったらどうなっていたことでしょう。
王子様が、死んだ白雪姫にキスをして目覚めさせるというのは、グリム童話のオリジナルにはなく、ディズニーの創作とのことです。毒リンゴの魔法を解く手段として、「恋人のファーストキス」と継母が参照したマニュアルには記載されているのですが、王子様がこれを認識していたとは思えず、偶然です。王子様は、死体だと思ってキスをするのですが、変態的行為です。死体だとはいえ、女性に同意なく(死体なので同意を求めることは不可能ですが)キスをしてしまうというのは、現代ではセクハラの問題になりはしないか心配です。悪くすれば強姦未遂です。
王子様がたまたまハンサムな若者だったので、目覚めた白雪姫は喜んだのですが、もしもその王子様が醜悪で肥満で変質者だったらどうだったのでしょう。目覚めた白雪姫は、死んだほうがマシだと思い、再びかじりかけのリンゴをかじって自殺しようと思ったかもしれません。
こんな感じで、掘り下げれば次々と問題が出てくるお話しです。偶然にも結果オーライになったのですが、白雪姫はただただ運がよかったのだと思います。一つ間違えば不幸になる可能性は随所にありました。しかし、彼女は何とかフェアウェイをキープして、幸せに到達してしまうのです。そういう順風満帆の人生って、なんかフェアじゃない気もします。
物語としては、評価をつけるとしたら、まあ「フェア」ということになるのかもしれません。
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