玄徳道

道を語るブログです。

令和六年三月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(三月八日示し)

2024-04-15 18:10:00 | 神示道
始め、和歌山県の熊野灘の波が寄せる、七里浜や、熊野川の河口が見え、新宮速玉大社の神谷体山中に坐す、神倉神社のコトブキ岩が拝され、次に那智の滝、そして、熊野本宮の故地、大斎原と熊野三山の聖地が次々に拝されました。

そして、大斎原には、朱塗りの大きな舞台が設けられ、その上で素戔嗚尊が八岐大蛇退治の大神楽が舞われており、その様を出口聖師が眺めておられました。

(注 熊野と地名は、丹後、出雲、紀伊と各地にあるが、熊野とは、隈野であり、遠く奥まった聖き地で、神や祖霊を祀る隠り国の音が変化したものであろう。

神倉神社には、彦火明命の御子、高倉下命(天香語山命)が祀られ、熊野を開いた、神とされている。大斎原は、熊野本宮の故地であり、本宮主祭神は、家都御子神(素戔嗚尊)である。

八岐大蛇は、大本教のお筆先に、「現の世は、七王八王あっては治らぬ、末は一つの王で治める。」ような意で示されている。

いまの世は、八岐の大蛇のごとくら世界を自在にせんとする、国々の頭が何人も相争っている。

それを、言向け和し、末は、世界を一王で、治める世となる事が、示され、それを為す救世神が素戔嗚尊であり、その霊統にあるが、出口聖師であり、日本の使命である。)

最後、白山の加賀(三馬場)、越前、美濃の三社が拝されました。

(注 白山の菊理姫により、八岐の大蛇の荒ぶる如き今の世を、頭を括り、結び、世界一家と治る日が来るのであろう。

されど、それは、未だ未だ先の事であり、この地球が世界一家と治るまでには、人類の試練浄化が未だ未だ続くであろう。)


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令和六年二月 三六九神示

2024-03-25 19:10:00 | 神示道
(注 いま、人類の欲望に九尾が入り込み緑の地球を焼野ヶ原にせんとしている。

九尾=金権主義。

金を自己主張の為に悪用する。

🔵物金を皆の為、善用するのが、龍宮経済である。)

龍宮水火土伝授

爆撃で荒れる世界の瓦礫の跡にも、地震の山崩れ、地割れ隆起、津波と跡にも春なれば、緑は芽吹き、花も咲くのじゃぞ。


火の中、水の中も神の生命は不滅じゃぞ。

人は切格築いた、文明も争いを繰り返し破壊しておるぞよ。

九(現)の世は六の数で成り、六の数は、建設と破壊を繰り返しつつ、時を進めてゆくのであるぞ。

禍い転じて福と為す、この意に狂いは無いぞよ。

戦災や、地震にあいし者は、可哀想であれど、必ず芽吹き花咲く春は、来るのじゃ。

人は、この地球に住むのでは無く、住まわさせてもらっている事を忘れず、地球を大切に守らねばならぬのじゃ。

我が身の主義主張を通さむ為や、身勝手な領土の奪い合い。

また、宗教の違いの為に争いて、無益な戦争を起こして、殺し合っておる、愚かさに気づき、早く改心いたさねば、ならぬぞよ。

東北十和田湖の青龍をして、能登の珠洲に地震を起こし、世替わりの烽火(のろし)を上げて知らせたが、〇九十(まこと)の神意の判った者は少なくないぞよ。

(注 能登半島先端には、須須神社が坐す。

天津彦火瓊瓊杵命、美穂須須美命、木花咲耶姫命を祀る。美穂須須美命の須須美は、烽(とぶひ、のろし)の古州、のろしを上げる場所。
昭和五十二年九月十五日須須神社参拝する。)

戦争の度に知恵をしぼり、科学を発展させ、その御陰で人民は、楽な暮らしを致しておるが、地震や噴火の自然の災害を受けると、文明に頼っておる故、昔より苦労せねばならぬ事となるのじゃぞ。

今は水道や電気が無ければ、御手上げであるが、自然災害と人民の言う物は、神の修理固成(つくりかため)の業であり、汚れを浄め、歪みを正す為であるから、その災いの困窮の中から、生き延びて行く為の生命の力が起こり、皆で助けあう、共生の大事なる事も、湧いて来るのじゃぞ。

人間には、災と思へる自然活動、即ち、神の活動により起きた事は、禍い転じて福と為す道の開きとなるのじゃぞ。

縄文の昔から様々の苦難を、耐えて来た、御魂の力が、次の道へ導くのじゃぞ。

(注 鬼雷述べる。天と地と、人。三才をもって、お互いに、干渉している真理があり。

確かに、雷台風動震は、地球の活動でありますが、相互に干渉する以上、お互いに影響しあっております。

蓋し、日本人の大和心、皇室の斎庭が調っておれば、一月一日なる、大安息の日に、地震起こらず、四日に起きていたと、鬼雷は考えます。私的考えです。)

どんな苦難の時もあわてず、騒がず、目の前の事を一つ一つ、改善の努力をすれば、闇の中にも、光が差してくるぞよ。

それが、立て直しの道であるぞよ。

これからの世界は未だ未だ浄め祓い修理固成をせねば、地球の生命が弱るから、自然災害も重なり、愚かな戦争災禍も越えてゆかねばならぬのじゃぞ。

神も佛も、あるものかというような、苦難の節目もあるから…………,…………〜 。

一山、一山、越えてゆかねばならぬぞよ。

越すに越されぬ大井川のような事もある。

富士の山も何時とは、申さぬが、噴火する時も来る。

南海の地震も起こる。

個人に於いても.思いがけぬ不幸も起こる。

何事も無く、平穏無事にありたいと思うが、万民の顔(ねがい)であるが、修理固成の神業は、人間の力で止める事はできず……。

この地球の上に住まわせてもらっておる、人の身である事、忘れてはならぬぞよ。

この地球の様々の、恵みを受けて生きておると、人間の為のみにある、地球と思ってしまい、この地球を人間の自由にしてしまおうと、好き勝手の事をいたすが、禍い転じて福を為す道の開けるのも、この地球あっての事であり、その感謝を忘れず、この地球の守りに尽くさねば、ならぬぞよ。

(鬼雷、再度のべる。かつて、昭和六、七年頃、出口尋仁聖師は、駿河大地震(東京大震災の二倍の被害が出たとされる)を未然に軽減、弭化され、その勢いを太平洋へと逃がし、三陸方面(岩手県)が海嘯により、大被害を受けられた事がありました。大難を小難にする為とは、いえ、大神人であっても、如何しようも無き事がございます。

そして、天と地、人は、常に繋がっています。

天地は何時でも何処でも躍動します。

その天地軸をあんてさせる、法の一つが、先天坐であると考えます。

人が坐し、坐軸により、地球軸と繋がれば、多少なりとも、地球軸に影響を及ぼし、安寧の道へと至るかと考えます。)

科学の力で月まで何とかたどりつき、広大無辺なる、宇宙まで、人間の自在になると、思い上がっておる人類であるぞ。

はてしなき、宇宙には、人間以外の生物が住まう星もある。

その生き物からいろいろな、通信を受けておる人間もあるが、汚れ穢れた地球を捨てて他の星へ逃げれば、良いような考えは、神は許さぬ事も記しておくぞよ。

神人和楽の地上天国開きの為に、人類を住まわせた、この緑の地球であるぞ。

この地球を汚し穢し、恵みをむさぼり、築きた文明であるぞ。

その地球を見捨てるわけにはゆくまいぞ。

まず、この地球を大切に守りてゆかねば、ならぬのが、今、地球に住まう、人間の役目であるぞ。

海山河野にも、又、宇宙の星にも、それぞれ霊魂(たましい)があり、神界があるのじゃぞ。

霊なる世界の事が、この地球の様々の形に現れ、人類は、結構な暮らしをさせてもらっておるのであるぞ。

されど、一端、地震や噴火、風水の災害を、受ければ、恵みを受けていた、自然から思いかけぬ災いを受ける事もあるのじゃぞ。

神の和魂は、恵みと優しく、有り難いものであるが、荒魂は、時に厳しく、人類に対し、災いとも現れる事も忘れてはならぬぞ。

それ故に、常ならぬ世は、建設と破壊の六の数の働く世であり、その建設と破壊の変転の中に、生成化育の神業は、進めてある事を知らねばならぬぞ。

その変転の中に、禍いの転じて福と為す、神の愛の言霊、鳴りひびくのであるぞ。

万象崩壊建設と破壊の中に、人間の成長を願う親神の心があるのじゃぞ。、

まず、世界の要(かなめ)とならぬ、この日本から政治も経済も自他共生益福の姿と、立直してゆかねばならぬ時になりたのであるぞ。

まず、日本の上に立つ者から、真言誠(まこも)の改心を急ぐぞよ。

言霊神也 ン。

令和六年二月二十七日拝写

龍華斎修聖。














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令和六年二月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(二月八日示)

2024-03-24 11:31:00 | 神示道
丹後の冠島(男島)と沓島(女島)の海中より、大なる、金龍が現れ南に向かって飛んでゆきました。

(注 男島は、籠神社本社の主宰神 天照国照彦火明命降臨の神島であり、女島はその妃、瀬織津姫命(又之名は、市杵島姫命))降臨の神島であり、龍宮乙姫神谷鎮まる、神島であるが、大本教の主宰神、艮金神国常常立尊、三千年隠棲された、島と伝えられる。

男島、女島の辺りの海を龍宮海と称し、出現こ金龍は、龍宮乙姫の龍体であろうか。

地球を七回り半する龍体と言われている。

男島 女島は籠神社や大本教の神の出現の神島であり、国常立大神の大望の御経綸、実現の為、龍宮神界の活動が活発になる、御示しであろう。)

次に、爆撃か地震の跡か、瓦礫の山のそばに少しずつ、緑の草が、芽吹き始めのその中に、一輪、日本タンポポの花が咲いていました。

(注 建設と破壊を繰り返す人間の文明であるが、タンポポの花言葉は.「愛の神託、神託、真心の愛」であり、瓦礫のような世界にも地球がある限り、神の愛を信じて行けば、新しい世界の光が差し芽吹くのである。)

次に紅白の梅の花咲き、清い小川の流れる庭を七福神が遊行され、その後の紅白の梅の枝を持った出口直様、白梅を持った出口聖師が歩いておられまたした。

(注 三千世界一度に開く梅の花、艮金神の世になりたぞよ。が大本筆先のはじまりであり、七福神は、弥勒神の神徳を七変化して示された姿である。)

次に大隈一ノ宮鹿児島神宮の上空を青龍が舞っていました。

(注 鹿児島神宮は正八幡宮とも称し、彦火火出見命を祀る。

彦火火出見命は海部系図で彦火明命の亦の名、又御子と伝えられている。

青龍は瀬織津姫神である。)




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令和六年一月 三六九神示

2024-02-27 20:44:00 | 神示道
コロナ(五六七)コロナ(五六七)で振り回された、その上に、太平の夢を醒まさせと震いたる、能登の地震であるぞ。

(鬼雷が述べる。私的には、皇室に於ける祭祀への真心に因るに縁り、天皇祭祀に於ける、伊勢神界のあり方が破られたと。天皇が天皇たる、由縁は一重に、日本国の霊的族長なり。地震は天地自然のありかた。しかしだ、霊的族長が真剣に日夜、日の本御国の天照鳴る神に祈っておられれば、一月一日の国民を堕とします、災害は未然に防げたと、悪人鬼雷は妄想するなり。これは、三六九神示に関係なく、我が思う悪念なり。これは天皇廃止を目論むものでは無く、君臣として、忠諫である。そして、霊的族長は、民草を護らねばならぬ。

君が君たる由縁は、社稷あるのみ。)

寝ぼけ眼(まなこ)で飛び起こされた。

令和の五六七(みろく)の六の年のめぐりであるぞ。

これからも、日本も立直し、世界に善き鏡を見せてまいらねばならぬ。

この時の政界は、金毛の策に自在にされて、腑抜けになりた今の有様。

これも夜の世の帷(とばり)が晴れて、かくれておりた何かの事ありやかに見えて来る。

天照国照日の出の神の守護の昼の世となりた、故であり、まず世界の縮図の日本が清く正しく立て直らぬと荒れる世界も治らぬぞよ。

平和惚けの目を醒さねばならぬような事が日本にも起こると前から申してありたぞよ。

扨も令和五年を送り迎えし令和六年新年早々一月一日能登地震の起こりとなり、明けて一月二日には羽田空港にて、日本航空機と海上保安庁の航空機の衝突事故が起こりたぞよ。

六の数は、現の世を形成する数であり、万象崩壊、建設と破壊の働きがあり、神人和楽の五六七世を開く為、一段と世の立替立直し、厳しくなる事を示しておるのであるぞ。

能登の珠洲とは、煤の意であり、世替わりの、のろしの能登の地震でありたぞよ。

大難を小難にと願うのが人民の思いであり、一度にこの地球、修理固成いたしたら、人民絶えられぬから、神界も、風水火地震雷噴火と荒神を使いて、この地球を守り保ちてゆく為、浄めも歪みを直すのも、少しづつ行っておるが、修理固成(つくりかため)を進めば地上に荒事災い起こるから、人民には、気の毒なれど、やむえぬ事であるぞよ。

この度の能登の地震は、青龍の水氣きを持ちての活動でありたぞよ。

その源(もと)は、十和田湖であると示すぞよ。

説いても聞かせても、金に目をくらませられ、体主霊従(からたま)の道をつつ走り、自ら、滅びの道を近めておる人類であるから、原案結果(めぐり)の道をはっきりいたして、ちと厳しき警告(きづけ)をいたして、目を醒まさせ、皆が助け合う共存共生の世を開かんとするのであるぞ。

神とは人間の都合勝手事を何でも適(かな)えて助けてくれるものと、思いておるが、それは思凝霊の業でありて、〇九十(まこと)の神は、誠の者には願わずとても、守護いたし、それぞれの使命を果たさせつつ人類が亡びぬよう、この地球が滅びぬよう、万物万民共存共生の五六七(みろく)の世開かむと、四九三(仕組み)、導きてゆくのであるぞ。

この地球を滅亡に向かうような事を人類が重ねて行けば神はだまっておらず、今以上に厳しき警告(きづけ)をいたすぞよ。

その昔、道を外れて体主霊従の道を歩みはじめた人類を厳しくいたした為に、艮の方角に悪神邪神と押し込められた世の元の国常立大神を始め、世の元からの神を世の裏にありても、この地球の生命を守りて来た、親心判らぬか。

我が身等の栄耀栄華の為に、この大事な地球を汚し穢し段々と地球の力を弱らせておる今の有様であると、くどい程申してあるぞよ。

それによりて、科学文明が進みても、それを喜んではおれぬ、神界であるぞよ。

この度の能登地震の事だけでは無い。

福島や神戸の地震と人民には気の毒だが、荒事が続いておるが、富士の事や、南海の事もある。

人民を改心させ、地球を守ってたゆく為にやむえぬ、修理固成の神業であり、人間が造りた地球や万物であれば、人民の自由にするのも良いが、髪の毛一本造れぬ人間であるぞ。

その事は神からの御魂を授かりた人間であれば、判るであろう。

草木や禽獣虫魚をこの地球に産みなして、そこに人類を住まわせたのも、地上の天国を開かん為であり、それぞれの御魂も、その事が判っておるはずじゃ。

どうしても利己主義に走る人民を導く為に孔子や釈迦やキリスト、マホメット等の教祖を現したが、教祖亡き後は、宗教も、我が最高の宗教と他宗と争い、我良しとなり、戦争まで起こす有様。

現の世を金の力で自在にせんとする金毛九尾や人間の自我や欲の思凝霊(しこりがみ)は、太陽の光をさえ切る黒雲の如く、神意をも封じてしまっているのであり、神授の御魂も岩戸閉めとなりておるのであるぞ。

扨も、令和六年一月一日、能登地震に示し、世替わりの、のろし、を先駆けに荒れる世界を根底から改め.立て直してゆかねば、ならぬ事が次々世界に起こるぞよ。

世界中の国の頭の改心急ぐぞよ。

掻き混ぜ掻き混ぜ、底の底から誠の御魂の神民を浮かび上がらせ、新しき神人和楽の世を、かならず、開きてまいるぞよ。

まずは、瀬織津姫の神、青龍と化し、令和五六七(みろく)の世の始まりの、のろし、を上げたぞよ。

これから立替立直しの、荒事も激しくなるから、時の流れに身をまかせ、恐れるより、大難を小難に祈りて、それぞれ我が魂の使命の果たしに、つとめゆけよ。

災い厳しき時も、皆が助けて合い、辛い中にも、希望の光、忘れる事無く、歩みゆけば、必ず神が善き道へと導くぞよ。

禍い転じて福と為す、神の助けであるぞよ。

荒事は新事の始まりであるぞよ。

神の現れる道であるぞよ。

言霊神也 ン。

令和六年一月九日拝写

龍華斎修聖






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令和六年一月 小長谷修聖 三六九神示霊視篇(令和六年一月八日示)

2024-02-26 17:48:00 | 神示道
始め、青森県の十和田湖が見え、湖の水がぐるぐる回転を始め、竜巻の如くなり、空に昇りました。

すると、その水氣の渦巻きは、大なる青龍と化し、火炎を吹きながら、日本列島を南西の方へ向かい、鹿児島の開聞岳の上空を旋回していました。

(注 この霊視は一月一日の能登半島地震の経路を示されたものであろう。

十和田湖から、南西(坤方)へ線を引くと、その下に能登地震の震源地の能登の先端や、丹後半島の上を通り、開聞岳に到る、艮坤線である。

十和田湖には青龍神が坐すと言われ、青龍神は、刷新の氣、即ち全く改新する意であり、また、地震の氣を起こすとも、言われている。

令和六年の六の数は、万象崩壊、建設と破壊の変転、極まり無く、繰り返す意義がある。

旧(ふる)き世の過りを破壊し、新しき道を建設する動きである。

十和田より、艮坤の線は艮金神国常立大神の世の立替立直しの神業厳しくなる時のめぐりを示し、能登の珠洲のスズは煤、即ちノロシの意である。

世替わり合図である。

煤=煙に含まれている黒い粉末=狼煙=熢火=のろし。)

次に出口聖師が陶芸の工房で、三つに割れた松の図柄の茶碗を苦心して金接しておられましまた。

(注 梅で開いて松で治める、みろくの世と言われているが、みろくの世、成就の為働く神民の御魂の器の育成に苦心されている様であろう。)

次に鳴門の渦の上をたくさんの烏(からす)がとびかっていました。

(注 カラスは、熊野の神、素戔嗚命の使いとも言え、鳴門で浄化された、人々や物事を救ってゆかれる、素戔嗚尊の働きであろう。)
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