仕事を離れて時間があるから当たり前だけど読書量が前とは比べ物にならないほど増えました。
以前は通勤電車の中、休憩時間に、寝る前にくらいであまり捗らなかったのです。
長編小説は挫折してしまい、その結果細切れ時間で読み終えられるようなものばかり読んでいました。
・・集中力ないなー、私。
と嘆かわしく思っていました。
ところが、時間に余裕ができると気持ちにもゆとりができるのでしょう、ゆっくり椅子に座って本を読む、ということができるようになったんです。
何気ないことなのに、それができるようになってすごくうれしい☆
文庫本の『1Q84 BOOK1』、『永遠の夫』は読み終えました。
『永遠の夫』はドストエフスキーの中編小説なんですが、独特の言い回しやストーリー展開もなんとか乗り越えました。
このタイトルから「妻に寄り添う愛情深い夫」といったよいイメージを抱いてしまいますが、まったく違いました。
そもそも「永遠の」という言葉の意味合いがちがうんですね、きっと。
日本だったら良いイメージで使いますけどね。
「永遠の妖精 オードリー・ヘップバーン」みたいに。
この『永遠の夫』、読み終わった私がタイトルを付け直すとしたら『濡れ落ち葉な男』です。こんなタイトルじゃ売れないか。
文豪にも世の中から評価される作品もあれば、そうでないのもある。
私はなぜか後者にひかれることが多いのです。
本音が隠されているような気がして。
『永遠の夫』に出てくるヴェリチャーニノフとトルソーツキーのやりとりのなかでも、人としてどうふるまうべきか、など「ふむふむ・・」と興味深いのです。
そして、シベリアの収容所に入れられたドストエフスキー、賭け事にはまったドストエフスキー本人の心理がこの二人に投影されているのかな、という描写。
ここに思いが及ぶのは昨年シベリアのオムスクという街に行き、ドストエフスキー博物館を訪れたことが大きいです。
展示物を見たり、実際に手に取ったりしながら彼の生涯を知ることができました。
これはオムスクの通りに建っているドストエフスキーの銅像。
ちょっと知る機会があると食わず嫌いを乗り越えられるような気がします。
話は前後しますが、『1Q84』。
これは出版当初、あまりにも騒がれ過ぎてスルーしてしまったのですが、文庫本になって初めて手に取ってみたところ今頃ようやく面白いと気が付いたという、お粗末な私です。
この作品はたしか単行本で3冊に及ぶ長編だったと思います。文庫本1冊目はまだまだ導入部ですが、1冊目を読み終えて思うことは、ちょっとセックスのくだりが多すぎない??ということですね(苦笑)。
青豆も天吾もごく健康的な一般人ですよということを伝えるためなのか、1980年代の風俗を書き記すためなのか・・。
さらっと描かれているのでイヤらしくはないですけどね。読んでて正直ちょっと辟易しました~。最初だけかな。
二人の登場人物が別々のところでそれぞれの生活をしている。そこで何か違和感を感じ始めて・・。読者にはきな臭い事件が絡んでいることがわかってきたところで文庫本1冊目は終了です。
やっぱり気になる!2冊目が読みたくなる!!
うまいわ、新潮文庫さん。
文庫も3冊構成で良かったかもしれないけど、あえていいところで半分こ。
「あなた、今頃なに言ってるの~?」と呆れられそうですね。