Anchor

旅行記、世相独言

ジョージタウンのガールハント -ワシントン- (異文化体験7 世界一周の旅8)

2010年07月26日 15時35分53秒 | 異文化体験_北米
(写真はクリックで拡大します)

ジョージタウンのガールハント -ワシントン-  1985.2.27~3.1


ワシントンの中枢部(議事堂、ワシントンモニュメント、リンカーン記念堂と続く)

 N.Y.からシャトル・イースタンで約1時間。3つある空港で市内に5kmと一番近いナショナル空港に到着。このエア・シャトル、朝のラッシュ時はお客が一杯になった時点で運航するシステムと定時便の組合せ。我々が空港に到着した時は満席便が出た直後で、お客は少なく定時便として約1/3の乗客でN.Y.を飛び立ったのである。

 シェラトンホテル

 ワシントンは既に春の兆しが感じられる暖かさ。コートを脱ぎ身軽に動けることの嬉しさは、厳寒の欧州を体験しただけにより一層のものがある。シェラトンホテルにチェックイン、ここはカードロック式のキイ、初めての体験である。


  
            (左)ホワイトハウス            (右)高さ169mのワシントンモニュメント

  連邦議会議事堂を背景に 

 ワシントンを象徴する景色と言えば、ホワイトハウス、広大なポトマック公園にそびえる169mのワシントンモニュメント、その反対側に位置するリンカーン記念堂、そして連邦議会議事堂まで、延々と芝生の公園が延々と続く。


 スミソニアン博物館航空宇宙博物館の案内パンフ

  
(左)スミソニアン博物館の総合案内書  (右)リンドバーグが大西洋横断飛行に成功した「スピリット・オブ・セントルイス号」

 目の前に建物がありながら入口のわからない化け物のように大きなスミソニアン博物館。20分ほどかかって航空宇宙博物館に入る。ライト兄弟の複葉機、リンドバーグの大西洋横断機、月面着陸ロケットと見るものに事欠かない。


  
    (左)アーリントン墓地を警護する海兵隊員        (右)JFケネディ大統領のお墓

 ポトマック河畔のアーリントン墓地へは熊のようなタクシードライバーにやや恐怖感を覚えながら閉園間際の駆け込みとなった。夕刻迫る墓地には人影もなく、野生のリスが駆け巡る。24時間海兵隊員が警護する無名戦士の墓。故ケネディ大統領の墓標には「What can we do for the country.」と刻まれている。ロバート・リー将軍が住んでいたアーリントンハウスのフラッグポールから星条旗が降ろされるのを横目に熊の運転手にホテルまで送ってもらう。

 ウォーターフロントのレストラン「FLAGSHIP」 牡蠣にあたる!

 今夕はウォーターフロントにあるレストラン「FLAGSHIP」で、日本には無い大きさの牡蠣とジャンボ・ロブスターとの格闘となった。今まで牡蠣にあたったことがなかった小生であったが、この時食したジャンボ牡蠣におおあたり。以降、牡蠣を受け付けない身体とあいなってしまった。

 翌日、米国エネルギー省や国際機関等での仕事の後、夕食は全員一致で寿司に決定。ぼつぼつ和食が恋しくなる時期である。
 食後は、H氏、O氏と共にジョージタウン探訪に出掛ける。ワシントンの北西の一角にジョージタウン大学がある。政治関係者の多いこの街でも比較的若者の多い一帯である。

 1789年創設の名門私立大学、ジョージタウン大学

 既に午後9時を廻りメインストリートのWisconsin Ave.のほとんどの店が閉まっている。街角のRECORD SHOP(店の情報によると、Rock SingerではWhamのCareless Whisper, Sheene EastonのSugar Walls, MadonnaのLover Boyが上位独占)の隣にカフェバーがある。

  
 ジョージタウンの街並み(左:Oストリートのコンデュイット式トラム・カーの跡)

 中に入ると外の寂しさとは打って変わって結構沢山の人が立ちながら談笑している。他人の会話に割って入るのは少し勇気がいるもの。若い女性4人組に接近を試みるも、会話も長続きせず、もう帰らなきゃ!とお店を出て行ってしまった。お次は我々に興味がありそうな男女4人グループと意気投合。歳は外見から全くわからない。他愛もない雑談で2時間ほど過ごす。確かにお喋りを楽しむ、そこに人と人の相互理解が生まれる。これほど楽しいことはない。しかし、ここは六本木ではなく合衆国なのだ。夜も遅くなればタクシーもなくなる。もう1軒というO氏をなだめ、またの機会にがんばろうとガールハントの散歩を終える。