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旅行記、世相独言

初秋のコモ湖とドゥモの尖塔 -ミラノ-(異文化体験20 童話の国の旅4)

2012年03月17日 15時22分55秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

初秋のコモ湖とドゥモの尖塔 -ミラノ-  1994.9.11~9.13

  夏のバカンスを終え、人影の少ないコモ湖

 日曜日、パリからミラノに移動する。6月の世界ガス会議で協力してもらったハイヤー会社を経営するファビオ氏に連絡して、リナーテ空港に車を廻して貰っていた。ミラノ北部山岳地帯の麓、湖水地方のコモ湖を目指す。

 湖畔から見るブルナーテ山のケーブルカー(右斜め)

 世界ガス会議の際に多くの知人が訪れ風光明媚な素晴らしい所だと聞いて、今回初めて訪れることにした。案内書によるとコモの町の近くからケーブルカーがあるというので、運転手に待って貰ってブルナーテの山頂まで上がる。しかし、これは間違いであった。薄曇りのせいでもあるが大した眺望も開けず、わずかに湖面が覗ける程度で失意で下山する。

           
(左)ブルナーテ山へのケーブルカーチケット   (右)山上からの景色(眺望はいまいち)

 人の形をしたコモ湖は長さ46km、最大深度420mもあり、夏は欧州の避暑地として人でごった返すようであるが、夏休みを終えたばかりの湖周辺は閑散としている。 土産物屋も店を閉じ、楽しみにしていた特産の絹のスカーフを安く手に入れることも出来そうにない。


 
(左)チェルノッビオの最高級ホテル「ビッラ・デステ」  (右)見事なイタリア式庭園
 
 ゆっくり落ち着ける所はないかと運転手に聞くと、湖の左岸の先にいい所があるというので、走ること30分ばかりで大きなホテルに着く。宿泊客専用のプライベートガーデンと湖面の上に専用プールを持っている。観光客は入れないようだが、お昼もまだなので庭園で昼食をと思い、車を乗り入れる。綺麗な花々で装飾された広大な庭園は、良く手入れされた濃緑の芝生と見事なコントラストを醸し出している。湖畔のテラスでサンドウイッチをつまみながら季節はずれの水上スキーを楽しむ人や、専用プールで過ぎ行く夏を楽しむ若者達をぼんやりと眺め、コモの一時を過ごす。
後でわかった事だが、このホテルはチェルノッビオの最高級ホテル「ビッラ・デステ」で、映画「舞踏会の手帳」の舞台ともなった16世紀(1568年)の建造で、現在国の重要文化財だそうな。

 
(左)湖上のホテルプールで行く夏を惜しむ若者達   (右)映画の舞台ともなった国の重要文化財の建造物


 3ケ月ぶりにプリンシペ・ディ・サヴォイアホテルを訪れると、ホテル・スタッフが懐かしがってくれた。夕刻、ホテルで落ち合ったU氏と共にホテルのレストランで夕食。注文したパスタ料理はいまいちであった。斜め前の席に一人の熟女が何故かこちらににこやかな目線を送ってくる。なんとも気持ち悪いものである。


 翌日、イタリア最大のガス会社スナムにM氏を訪ねると共に、腰を痛めたという巨大コングロマリットENIの総裁に昇格したL.M氏を見舞う。ミラノ世界ガス会議は10数億円の予算で運営されたが、1週間で20億円近い金を消費する国際会議。果たしてバブルのはじけた日本で今後どのようにお金を集めるのか、頭の痛い問題である。

           
(左)ミラノ・ドゥモの屋上から見る尖塔群    (右)屋上から見たエマニュエル2世アーケードの入口

 夕刻、158段の階段を避けてドゥモの屋上に裏側のエレベーターで上がる。アマデオ作の素晴らしい外被と天を突き刺す数々の尖塔や彫刻が、下から見上げただけでは分からない様々な表情で迫ってくる。白い大理石も長年の風雨や排気ガスにさらされて、薄黒く汚れている。屋上からは教会前に広がる大広場越しに、遠くロンバルデイア平原まで見渡せる。  
 都市の発展過程が一目でわかるその景色に、日本の城下町、門前町も正に同様の歴史的展開を重ねることが出来る。

 数々の歴史を見てきたドゥモ前広場


 さあ、明日からは改革開放政策を進める中国への旅が始まる。急成長を続けるアジア経済、その中で牽引車の役割を果たす巨大市場を有する中国。面白いぞ!!


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