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旅行記、世相独言

カタルーニャ・モデルニスモと飛蚊症-バルセロナ-(異文化体験30 灼熱のアンダルシアの旅7)

2013年06月01日 21時59分04秒 | 異文化体験_西欧
(写真はクリックで拡大します)

カタルーニャ・モデルニスモと飛蚊症 -バルセロナ- 97.07.27-07.29

    
             バルセロナのホテル「アポロホテル」とそのルーム・キイ

 夕刻のグラナダからバルセロナへ。今宵の宿はアポロホテル。モンジュイックの丘やバルセロナ港に近く、パラレル通りの地下鉄パラレル駅が最寄り駅である。
明日は、市内観光の後自由行動、夕食も自由である。スペイン最後の晩餐、さてどうするかなあ?


           
  バルセロナの眺望(左手にサグラダファミリア、右手の港は世界3大美港の一つ)

 1888年バルセロナで万国博覧会が開催され、モデルニスモ建築の幕開けとなった。スペインの近代建築は鉄骨構造をガラスと煉瓦でふさいだ「動物学博物館」を先駆けに、カタルーニャ・ルネサンスと言う民族主義の高揚の中で、伝統を生かした独自の建築表現を生み出した。

  
(左)カタルーニャ・モデルニスモの祖「動物学博物館」  (右) 装飾美が圧巻、カタルーニャ音楽堂

 カタルーニャ音楽堂の見事な装飾を生み出したモンタネール、イスラムもゴシックも全ての伝統を消化し全く独自の空間を創造したガウディといった建築家たち、更に旧市街の市壁を壊し近代都市へ生まれ変わらせるグエル(ガウディのパトロン)のような資本家たち(ちなみに「都市計画」という言葉は、このバルセロナ拡張の際に生まれたそうだ。)、今日のバルセロナの街に名建築家たちの作品は見事に溶け込んでいる。

 モンジュイックの丘のオリンピックスタジアム

 午前の市内観光は、まずモンジュイックの丘にのぼりオリンピックスタジアムやバルセロナ市内を展望、次にグラシア通りのカサ・バトリョ、カサ・ミラといったガウディの作品を車窓にグエル公園へ。グエルがガウディへ依頼した最初の作品がグエル別邸で、1887年のこと。初期のガウディの作品はスペイン・イスラムの影響が色濃く残っている。1914年に完成した12haに及ぶグエル公園の様々な幻想的な造形美と色彩はガウディ芸術の集大成である。

 ガウディ代表作「グエル公園」

グエル公園にて 


 最後の観光はサグラダ・ファミリア聖堂。ガウディがビリャールの後を継いで2代目の建築家となったのが1883年。グエル公園が完成した1914年以降この聖堂の仕事に専念し、1925年に聖堂の最終案が決定、ガウディ最後の傑作と言われる鐘塔華頂も完成したが、その翌年市電にはねられ死去した。

      
             (左・右)市民の浄財で遅々着々と建設の進む聖家族教会

北ファサード、イエスの誕生を表す東ファサード、イエスの受難を表す西ファサードはほぼ完成しているが本来は屋根がかかる予定である。またイエスの栄光を表すメインファサードのある南側は未完成である。完成すればイエスの12使途を象徴した12本の塔が立ち並ぶ、いや18本の尖塔が建つという説などあり、何が本当やら。完成予定はガウディ没後100年の2026年とまことしやかに言われているが、建造と修復が同時並行の大プロジェクト、無事完成を祈るのみである。

     
  (左)建設開始初期の参考写真           (右)完成予想モデル、この通りになるかどうか?

       
(左)建設中の塔の上からモンジュイックの丘方面を望む   (右)聖家族教会_受難のファサード

それにしてもこのカタルーニャという土地は、ガウディのみならず、奇才、天才を数多く世に送り出している。ピカソ、ミロ、ダリ、タピエス、カザルス・・・・。


 観光後は自由行動。息子に頼まれた財布を買いにカタルーニャ広場近くのロエベの本店に。リュックを背負ったラフな格好の日本人が入ってきてドアマンもあまりいい顔をしていないが、まあ、お許しあれ。

        
(左)バルセロナ1の繁華街ランブラス通り(参考写真)(右)コルドバ「花の小道」で見かけたサングラス犬

 ランブラス通りで遅めの昼食を済ませ、港の方向に歩こうと天を仰いだその時、目にはじけた様な閃光と闇が走り、右目に黒いものが浮遊している。
 何度も瞬きするがなかなか取れない。極めて不快な違和感がする。こりゃ、帰ってすぐ目医者に行かなくては。(帰国後、近所の眼医者で飛蚊症と判明。治るものではなく、気にならなくなるまで数週間かかると言われ、とりあえず一安心)
コルドバの「花の小道」にいた犬がサングラスをしていた理由?が分かった次第である。

 バルセロナ港のWF開発、レストランやショッピング等賑わい空間
 
 今夕は、スペイン最後の夜。再度フラメンコというのも考えたが、時間帯の早いフラメンコではいまいち。ホテルで聞くと最近ポルト・ベルやバルセロネータ等のウォーターフロントに雰囲気の良い美味しいシーフードレストランが沢山出来ているというので、そこに決定。バルセロナ港は世界3大美港のひとつ。海辺のレストランのテラス席で灼熱のアンダルシアの思い出を振り返りながら久々のシーフード料理を堪能し終えた頃には、すっかり夜の帳がスペイン旅行の終わりを告げていた。
  
翌日はKLMオランダ航空で11時25分バルセロナ発、アムステルダム乗換、関空30日午前9時35分着。
早速、目医者に行かなくては!!(以来、紫外線防止のサングラスをゴルフ等には常用するようになった次第)


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