Anchor

旅行記、世相独言

トロイ遺跡とシュリーマン -エーゲ海沿岸①-(異文化体験31 東西文明十字路の旅2)

2013年06月14日 18時08分55秒 | 異文化体験_中・東欧
(写真はクリックで拡大します)


トロイ遺跡とシュリーマン -エーゲ海沿岸①- 1998.08.18

 本日未明にホテルチェックインして、朝8時には出発という強行スケジュール。
 イスタンブールを出たバスは、ヨーロッパ側を南下してエセアバートへ、ここでヨーロッパとアジアを隔てるダーダネルス海峡を30分ほどフェリーに乗って対岸(アジア)のチャナッカレに至る。
 チャナッカレはトロイ観光の基点として多くの観光客が訪れる町。イスタンブールからの所要時間は5時間ほど。

     
(左)ダーダネルス海峡を渡るフェリー(30分ほど)   (右)夏の日差しの強いアジア側エーゲ海

 昨年の真夏のアンダルシアもお鍋の底と言われる地域だけに暑さにうんざりしたものだ。ここトルコも特にこれから行く中部アナトリア地方も同様と聞いてきたが、早くもその片鱗がうかがえる。しかし、日本のような湿気がない分、日陰に入ると爽快でもある。

    
(左)トロイの街(想像図:立地環境の良さから同じ所に9回再建されている)  (右)トロイ最盛期の城壁跡
 
 トロイ文明は紀元前3000年頃から始まるが、紀元前2500~2000年にエーゲ海岸の交易の中心地として栄えた。トロイの栄枯盛衰は9層(第1市から第9市)にわたる都市遺跡を形成している。

        
(左)トロイの木馬(復元物)    (右)何度も映画化されたトロイの戦争 
 
 トロイの木馬といえば、今やコンピュータウィルスの代名詞だが、我々の世代では子供の頃見た木馬の映画が鮮明によみがえるが、ホメロス作といわれる800年頃のギリシャ最古最大の英雄叙事詩「イーリアス」全24巻のトロイ伝説が有名。

 トロイの王子パリスがスパルタ王の妃ヘレネを奪ったことに端を発するトロイ軍対ギリシャ軍の10年に及ぶ戦争を描いたもの。パリスの放った矢がギリシャの英雄アキレウスの唯一の弱点であるかかとを射てアキレウスが倒れる話も有名である。

1975年に復元の木馬(イダ山の松で作られ、中に入れる)

 なかなかトロイを落とせないギリシャ軍はオデュッセウスが、ただ一人の生贄と巨大な木馬を神に捧げる形で残し、全員船に引き返させる。トロイ軍はこの木馬を場内に引き入れ大宴会を始める。寝静まった頃合に木馬内からギリシャ兵が次々と出て城に火を放ち、ついに10年戦争に決着が、ヘレネもめでたくスパルタ王の許に戻るという話。

    
  (左)トロイの町の周辺の風景             (右)オデオン(ローマ時代の小劇場)  

 ドイツ人シュリーマンは、この「イーリアス」が忘れられず、史実と信じて41歳から自費でトロヤ(トロイ)遺跡の発掘を始める。そしてヒサルルクの丘を発見し、彼自身第2市をトロイと断定、「プリアモスの財宝」を発見する。その後の発掘で第7市がトロイと判明したが、幼少期に聞いた叙事詩が忘れられず、史実と信じて取り組んだ執念には感服する。

              
(左)シュリーマンは第2市をトロイと断定(実際は7市) (右)儀式に使われた聖域

 シュリーマンという人、18ヶ国語を自在に操る人だったようで、シュリーマンの6週間独習法が以下の内容。執念というか、根気強さというか、人柄が偲ばれる。
「声を出して読むこと、訳さないこと、毎日勉強すること、毎日作文を書くこと、それを先生に添削してもらい、誤りを正しくしたら次のレッスンを暗唱すること」

      
(左)チャナッカレ近郊のホテル「Iris Otel」 (右)ホテルの前のきれいな海岸とプールで一泳ぎ

 ホテル前のエーゲ海に沈む夕日

 トロイ遺跡の見物後は一路ホテルへ。チャナッカレから15kmほど離れた大きなプールを持つ海辺のリゾートホテル「Iris Otel」が今夜の宿舎。早速水着に着替えて、プールで一泳ぎ。時差ぼけ解消も兼ねてしっかり泳げば今夜はよく眠れるだろう。折りしも水平線に赤く燃えた太陽が、明日の暑さを約束するようにゆっくり沈んでいく。