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旅行記、世相独言

役割を放棄したテレビ局の存在

2013年12月06日 23時48分04秒 | 世相独言
 今現在、参議院で特定秘密保護法案の審議、採決がされようとしている。

 新聞メディアは、各紙ともこの法案について熱心に取り上げ、国民の意見聴取、各紙の論説を展開している。

 それに引き換え、テレビ局はこの法案に関する取り上げ方が、極めて希薄である。

 最近のテレビ局が報道を扱う局と言えるのかどうか、いささか疑問ではあるが、日本各地で反対デモや決起集会が行われている今現在、
この国の行く末に大きな影響を与える可能性のある法案審議の国会中継すらやらず、ただただ視聴率確保のためのコストをかけない
番組制作と放映を繰り返すテレビ局に、果たして報道の自由だ!何だ、かんだと声高に主張する権利があるのだろうか?

 私には、もはや報道機能の役割を放棄したテレビ局としての存在にしか見えない。
世界中の通信会社からネタを買い集め、自らは積極的に情報収集、分析、問題提起を行わないテレビ局に、国民の財産である沢山の
電波を割り当てる必要があるのだろうか?

 日本の官僚たちは、悪賢さにかけては世界一である。知ったかぶりの国会議員を掌で弄ぶのは朝飯前、今までも多くの法案に
巧みなまでに抜け道をビルトインし、自らに責任の及ばぬよう、何とでも対応可能なように屁理屈の世界で生き延びてきた人種である。

 この法案が、将来どのように運用されるのか、終戦直後の憲法解釈と現時点でのそれとが大きく変わってきていることを見ても、
今議論している運用方法とは全く別人のごとく、一人歩きする危険性があるのは、人生経験豊かな人たちであれば実感できることである。
が故に、しっかり時間をかけて国民が納得できるその運用方法までを含めた議論がなされなければならない。