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初体験は痛いもの? -ストックホルム- 1985.2.19~21
夏のストックホルム旧市街(絵葉書より)
またしても冬のスウェーデン、しかも今年のスウェーデンは前回と違って強烈な寒波の真最中である。
ストックホルムの街の北東の公園に一際聳え立つ150m高さの放送タワーがある。名をカクネスタワーと言い国営TVと市とが管理している。空港からそのタワーに直行する。
150mのカクネスタワー(放送タワー)とタワーからの白銀世界の眺望
冬の白銀の世界(左)と夏の森と湖の世界(右:参考写真)
冬のこの時期、展望台に来る物好きは我々以外にいるはずもない。しかし、ここから見下ろす銀世界一色の景色は圧巻である。メーラレン湖、サントショーン湖、バルト海等の湖沼海と真下の公園に続く街並みが、境界のない白一色の一体世界を創りだし、その間に針葉樹の森、一筋の足跡、かなたの街並み等をはさんで、澄み切った北欧の空とが絶妙なコントラストを描いている。
街の高台から見渡した景色、寒さに慣れず5分が限度
案内役の髭のおじさんがソルトショーン湖をはさんで市の中心街を見渡せる高台も、最高の景色を見ることが出来ると薦めるので早速行ってみる。流氷に覆われた水面には船が通った跡をしのばせるクラックが入り、市街地が澄み切った空にくっきりと浮かんでいる。なんとも旅情を掻き立てる風情なのだが、ものの3分も立っていると足の先から凍っていくのではないかと恐怖感が沸いてくる。最年長のN氏はいち早く車に戻って手を擦り、足踏み状態。
多くの湖沼を持ちバルト海に面したスウェーデンは、1600年代初頭強大な勢力を誇っていた。当時建造された戦艦ヴァーサ号は処女航海への出航直後に突風に襲われ、あえなく沈没。その後海底に眠ること330年、1961年海底から引揚げられ、ほぼ当時の姿のままで博物館に展示されている。現存する世界最古の完全船である。一人用の海中ステーションとでもいうべき鉄のお椀に空気を送り込み作業をした当時のサルベージ技術にも興味は尽きない。
1631年突風で出航直後に沈没する様子と引き揚げられたヴァーサ号
メーラレン湖に面した市庁舎は、1923年に建造され「黄金の間」の正面の壁に「メーラレンの女王」が金のモザイクで描かれており、壁面の金箔と床のブルー大理石のコントラストが異様な雰囲気を生み出している。この広間でノーベル賞受賞祝賀パーテイが開催される。
市庁舎前の湖は一面氷結し、スケートする人も。
有名な市庁舎内「黄金の間」、ノーベル賞の受賞記念パーティ会場となる
夕刻、ホテル周辺の散策と前回買い忘れた1600年代の海図を買うべくハムンガーター通りに歩を進める。
アクリルと綿の混紡下着に厚手のセーター、ジャケット、オーバーコート、皮の手袋、イヤーバンドの完全装備にもかかわらず、自然は厳しいものである、夕刻ともなれば風も出てきて気温はぐんぐん下がる一方。頭髪はたっぷりあるが頭の先から湯気が出て、毛編み物のイヤーバンドは効果なし。2分もすれば耳が痛くなり、続いて頭が痛くなってくる。しかし、負けてはおられない、海図を買うまでは。
(左)外はマイナス40℃の世界 (右)地図屋さんで見つけた大航海時代の海図、永らく我が家の玄関を飾る
目指す地図屋さんに駆け込んで手頃な大きさのものを物色し購入。日本に持って帰ると言うと、なんと長さ1.5m、直径10cmの硬い筒に入れてくれて、さあ、持って帰れと言う。お陰でこの後3週間続く世界一周の旅はこの筒がずっと相棒となったのである。
翌日聞くと、昨夜は氷点下40℃であったとか、この温度は小生にとって初体験である。なるほど、初体験とはかくも痛いものか!
オペラハウス兼レストランの「オペラ・チューラレン」、天井の高い空間で本場のサーモンを。
ホテルは前回と同じく「ホテル・シェラトン・ストックホルム」。そのホテル近くのレストラン「オペラ・チェーラレン(OPERAKALLAREN)」で夕食を取ることに。1787年にグスタヴ3世によって建てられたオペラハウス兼レストランで出演者たちの憩いの場となってきたようだ。バロック式のインテリアが美しく、天井の高い広大な空間を持つ最高級レストランだ。
今はレストランだけ、昔は出演者の憩いの場であったとか。
本場のサーモンを食ベて見る。サーモンピンクとはこういう色を言うのかと形容しがたく、かつ日本ではお目にかかれない色であった。
初体験は痛いもの? -ストックホルム- 1985.2.19~21
夏のストックホルム旧市街(絵葉書より)
またしても冬のスウェーデン、しかも今年のスウェーデンは前回と違って強烈な寒波の真最中である。
ストックホルムの街の北東の公園に一際聳え立つ150m高さの放送タワーがある。名をカクネスタワーと言い国営TVと市とが管理している。空港からそのタワーに直行する。
150mのカクネスタワー(放送タワー)とタワーからの白銀世界の眺望
冬の白銀の世界(左)と夏の森と湖の世界(右:参考写真)
冬のこの時期、展望台に来る物好きは我々以外にいるはずもない。しかし、ここから見下ろす銀世界一色の景色は圧巻である。メーラレン湖、サントショーン湖、バルト海等の湖沼海と真下の公園に続く街並みが、境界のない白一色の一体世界を創りだし、その間に針葉樹の森、一筋の足跡、かなたの街並み等をはさんで、澄み切った北欧の空とが絶妙なコントラストを描いている。
街の高台から見渡した景色、寒さに慣れず5分が限度
案内役の髭のおじさんがソルトショーン湖をはさんで市の中心街を見渡せる高台も、最高の景色を見ることが出来ると薦めるので早速行ってみる。流氷に覆われた水面には船が通った跡をしのばせるクラックが入り、市街地が澄み切った空にくっきりと浮かんでいる。なんとも旅情を掻き立てる風情なのだが、ものの3分も立っていると足の先から凍っていくのではないかと恐怖感が沸いてくる。最年長のN氏はいち早く車に戻って手を擦り、足踏み状態。
多くの湖沼を持ちバルト海に面したスウェーデンは、1600年代初頭強大な勢力を誇っていた。当時建造された戦艦ヴァーサ号は処女航海への出航直後に突風に襲われ、あえなく沈没。その後海底に眠ること330年、1961年海底から引揚げられ、ほぼ当時の姿のままで博物館に展示されている。現存する世界最古の完全船である。一人用の海中ステーションとでもいうべき鉄のお椀に空気を送り込み作業をした当時のサルベージ技術にも興味は尽きない。
1631年突風で出航直後に沈没する様子と引き揚げられたヴァーサ号
メーラレン湖に面した市庁舎は、1923年に建造され「黄金の間」の正面の壁に「メーラレンの女王」が金のモザイクで描かれており、壁面の金箔と床のブルー大理石のコントラストが異様な雰囲気を生み出している。この広間でノーベル賞受賞祝賀パーテイが開催される。
市庁舎前の湖は一面氷結し、スケートする人も。
有名な市庁舎内「黄金の間」、ノーベル賞の受賞記念パーティ会場となる
夕刻、ホテル周辺の散策と前回買い忘れた1600年代の海図を買うべくハムンガーター通りに歩を進める。
アクリルと綿の混紡下着に厚手のセーター、ジャケット、オーバーコート、皮の手袋、イヤーバンドの完全装備にもかかわらず、自然は厳しいものである、夕刻ともなれば風も出てきて気温はぐんぐん下がる一方。頭髪はたっぷりあるが頭の先から湯気が出て、毛編み物のイヤーバンドは効果なし。2分もすれば耳が痛くなり、続いて頭が痛くなってくる。しかし、負けてはおられない、海図を買うまでは。
(左)外はマイナス40℃の世界 (右)地図屋さんで見つけた大航海時代の海図、永らく我が家の玄関を飾る
目指す地図屋さんに駆け込んで手頃な大きさのものを物色し購入。日本に持って帰ると言うと、なんと長さ1.5m、直径10cmの硬い筒に入れてくれて、さあ、持って帰れと言う。お陰でこの後3週間続く世界一周の旅はこの筒がずっと相棒となったのである。
翌日聞くと、昨夜は氷点下40℃であったとか、この温度は小生にとって初体験である。なるほど、初体験とはかくも痛いものか!
オペラハウス兼レストランの「オペラ・チューラレン」、天井の高い空間で本場のサーモンを。
ホテルは前回と同じく「ホテル・シェラトン・ストックホルム」。そのホテル近くのレストラン「オペラ・チェーラレン(OPERAKALLAREN)」で夕食を取ることに。1787年にグスタヴ3世によって建てられたオペラハウス兼レストランで出演者たちの憩いの場となってきたようだ。バロック式のインテリアが美しく、天井の高い広大な空間を持つ最高級レストランだ。
今はレストランだけ、昔は出演者の憩いの場であったとか。
本場のサーモンを食ベて見る。サーモンピンクとはこういう色を言うのかと形容しがたく、かつ日本ではお目にかかれない色であった。
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