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マラソン・スケート競技 -デン・ハーグ- 1985.2.21~22
ストックホルムを午後飛び立ったKLMオランダ航空機は、夕刻スキポール空港に着く。
機内アナウンスで「200km、スケーティング、22年」等々の断片的な言葉がブンブンうなるエンジン音に混じって聞こえてくる。何を言ってるのか良く分からないまま、ハーグのプロムナードホテルにチェックイン。
デン・ハーグの宿舎「プロムナードホテル」
(左)オランダ地図 (右)Elfstedentochtの11の市町村(左地図北部のLeeuwardenの位置を参照)
ホテルロビーに設置されたTVの前は黒山の人だかりで、画面には運河を利用したスケート競争が放送されている。実はこれはオランダ最北部フリースランド地方の11の町や村を凍結した運河や川、湖沼、池等を利用して周遊する200kmに及ぶ長距離マラソンスケート競技「Elfstedentocht」である。22年間暖冬で中断していた競技が今年の寒波が幸いし、実に1963年以来22年ぶりに開催されているのである。
競技の様子(Elfstedentochtのホームページより)
国中が大変なお祭り騒ぎである。午前5時にスタートし、優勝者は既にお昼にはゴールインしたらしいが、数万人に及ぶ参加者がゴールインするのは午後10時を過ぎるのではないかと放送している。参加者の家族、知人等が22年ぶりの競技にTVに釘付けとなり、ほとんどの店は店を閉め、休日状態である。どうりで街が閑散としているわけである。
マラソンスケート競技会のメダル
Den Haag(デン・ハーグ). 伯爵の生垣という意味だそうな。13世紀、オランダの国名の由来となったホラント伯爵の狩猟地であり、政府官公庁、大使館等がその時以来集まって、オランダの首都ではないがほとんどの公的行事はここハーグで行われている。
市内にはフェルメールの代表作「真珠の首飾りの少女」を収蔵するマウリッツハイス美術館やグラフィックアートのエッシャー美術館、平和宮(国際司法裁判所)、更に近郊にはライデン、シーボルトハウス、KLM機内で貰ったデルフト焼きの古都デルフト、等々見所も多い。
(左)平和宮(国際司法裁判所) (右)フェルメール「真珠の首飾りの少女」
夕食は数少ない開店している海鮮料理屋に足を運ぶ。マラソンスケート競技のお陰でレストランのお客はゼロ。貸切である。お店の前に魚、海老、貝類等、その日すぐそばの海岸の市場から仕入れたネタがいっぱい並べてある。みつくろいで串刺しや嬉しいことに塩焼きまでやってくれる。なんせ貸し切り状態だから、そのメリットを最大限活用、知らず知らずのうちに食欲も進み、気付いた時はテーブルのローソクも燃え尽きていた。
デザートにお隣の国のベルギーのチョコが出た。貝の形を精巧に模った白と茶のツートンカラーのチョコである。空港に売ってるからお土産に良いよとマスターが薦める。確かに日本ではまだ売っていない。結局、空港で2箱買ったが木箱に入った結構場所を取るお土産となった。
オランダと言えばデルフト焼き。KLM機内ではお土産に家の形の焼き物をプレゼント
食後、夜の町に繰り出すが、マラソンスケート競技の余波で9時だというのにゴーストタウン。所詮、政治都市である。予定ではここに2泊することになっているが、これでは面白くない。明日はアムステルダムに行って泊まることに予定を変更。アムスまではわずか63kmである。
そんな相談をしている居酒屋は、薄暗いランプの明かりの中に我々以外に一組のお客が見出せる小さな店。カンパリをジュースで割ったカンパリオレンジがいま流行っているので一度試してはというような話をしていると、10代と思しき女の子が数人入って来た。奥のビリヤード台でゲームを始めた。珍しい東洋人にちらちら視線を向けるが、それ以上の進展もなくホテルに戻る。
マラソンスケート競技の中継は、まだ延々と続くハーグの夜であった。
マラソンスケート競技会・Elfstedentochtの昔の写真
2009年に1963年大会を素材に映画化され、そのポスター。
〔参考:Elfstedentochtについて〕
11市周遊アイススケートマラソン大会は、公式には1909年から優勝者記録がある。
1985年の優勝者はEvert van Benthem氏で所要時間6時間47分。レース競技出場者が約300人、周遊ツアー目的参加者が約1万6千人、開催には最低15cmの厚さの丈夫な氷が必要で、毎年フリースランドの人たちは、今年は出来るか?とやきもきするそうだ。1985年以降開催された年は、1986年、1997年である。2009年にはこの大会を題材にした映画が制作された。題名は「DE HELL VAN ’63」。
マラソン・スケート競技 -デン・ハーグ- 1985.2.21~22
ストックホルムを午後飛び立ったKLMオランダ航空機は、夕刻スキポール空港に着く。
機内アナウンスで「200km、スケーティング、22年」等々の断片的な言葉がブンブンうなるエンジン音に混じって聞こえてくる。何を言ってるのか良く分からないまま、ハーグのプロムナードホテルにチェックイン。
デン・ハーグの宿舎「プロムナードホテル」
(左)オランダ地図 (右)Elfstedentochtの11の市町村(左地図北部のLeeuwardenの位置を参照)
ホテルロビーに設置されたTVの前は黒山の人だかりで、画面には運河を利用したスケート競争が放送されている。実はこれはオランダ最北部フリースランド地方の11の町や村を凍結した運河や川、湖沼、池等を利用して周遊する200kmに及ぶ長距離マラソンスケート競技「Elfstedentocht」である。22年間暖冬で中断していた競技が今年の寒波が幸いし、実に1963年以来22年ぶりに開催されているのである。
競技の様子(Elfstedentochtのホームページより)
国中が大変なお祭り騒ぎである。午前5時にスタートし、優勝者は既にお昼にはゴールインしたらしいが、数万人に及ぶ参加者がゴールインするのは午後10時を過ぎるのではないかと放送している。参加者の家族、知人等が22年ぶりの競技にTVに釘付けとなり、ほとんどの店は店を閉め、休日状態である。どうりで街が閑散としているわけである。
マラソンスケート競技会のメダル
Den Haag(デン・ハーグ). 伯爵の生垣という意味だそうな。13世紀、オランダの国名の由来となったホラント伯爵の狩猟地であり、政府官公庁、大使館等がその時以来集まって、オランダの首都ではないがほとんどの公的行事はここハーグで行われている。
市内にはフェルメールの代表作「真珠の首飾りの少女」を収蔵するマウリッツハイス美術館やグラフィックアートのエッシャー美術館、平和宮(国際司法裁判所)、更に近郊にはライデン、シーボルトハウス、KLM機内で貰ったデルフト焼きの古都デルフト、等々見所も多い。
(左)平和宮(国際司法裁判所) (右)フェルメール「真珠の首飾りの少女」
夕食は数少ない開店している海鮮料理屋に足を運ぶ。マラソンスケート競技のお陰でレストランのお客はゼロ。貸切である。お店の前に魚、海老、貝類等、その日すぐそばの海岸の市場から仕入れたネタがいっぱい並べてある。みつくろいで串刺しや嬉しいことに塩焼きまでやってくれる。なんせ貸し切り状態だから、そのメリットを最大限活用、知らず知らずのうちに食欲も進み、気付いた時はテーブルのローソクも燃え尽きていた。
デザートにお隣の国のベルギーのチョコが出た。貝の形を精巧に模った白と茶のツートンカラーのチョコである。空港に売ってるからお土産に良いよとマスターが薦める。確かに日本ではまだ売っていない。結局、空港で2箱買ったが木箱に入った結構場所を取るお土産となった。
オランダと言えばデルフト焼き。KLM機内ではお土産に家の形の焼き物をプレゼント
食後、夜の町に繰り出すが、マラソンスケート競技の余波で9時だというのにゴーストタウン。所詮、政治都市である。予定ではここに2泊することになっているが、これでは面白くない。明日はアムステルダムに行って泊まることに予定を変更。アムスまではわずか63kmである。
そんな相談をしている居酒屋は、薄暗いランプの明かりの中に我々以外に一組のお客が見出せる小さな店。カンパリをジュースで割ったカンパリオレンジがいま流行っているので一度試してはというような話をしていると、10代と思しき女の子が数人入って来た。奥のビリヤード台でゲームを始めた。珍しい東洋人にちらちら視線を向けるが、それ以上の進展もなくホテルに戻る。
マラソンスケート競技の中継は、まだ延々と続くハーグの夜であった。
マラソンスケート競技会・Elfstedentochtの昔の写真
2009年に1963年大会を素材に映画化され、そのポスター。
〔参考:Elfstedentochtについて〕
11市周遊アイススケートマラソン大会は、公式には1909年から優勝者記録がある。
1985年の優勝者はEvert van Benthem氏で所要時間6時間47分。レース競技出場者が約300人、周遊ツアー目的参加者が約1万6千人、開催には最低15cmの厚さの丈夫な氷が必要で、毎年フリースランドの人たちは、今年は出来るか?とやきもきするそうだ。1985年以降開催された年は、1986年、1997年である。2009年にはこの大会を題材にした映画が制作された。題名は「DE HELL VAN ’63」。
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