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旅行記、世相独言

薩摩・島津家と大阪の深~い関係のおはなし

2012年08月02日 18時23分36秒 | コーヒーブレイク
薩摩・島津家と大阪の深~い関係のお話



過日、薩摩・島津家第33代当主、島津忠裕氏から表記テーマについて面白い話しをお聞きしたので、3つの話題を紹介します。

1) 島津家発祥の地は大阪(平安後期から鎌倉時代の話)
島津家初代当主、島津忠久氏(1179-1227)は、源頼朝の庶子(側室の子)で嫉妬深い北条政子の許から親子で逃れ、住吉大社で忠久氏が生まれた。今も誕生石が境内に祭られ、歴代藩主は住吉大社参詣を行ない、かの篤姫も薩摩から京に上る際、堺で下船し住吉大社に詣でたそうだ。門前町のお店で「さつま焼き」が今も売られているとか。
(12世紀末、島津家は源頼朝から薩摩国・大隈国・日向国の三国の統治を委ねられた)

2) 堺商人と島津家と中国・琉球の三角関係(15世紀 室町時代)
島津家の事情:中国へ硫黄を輸出し、大陸から様々な商品を輸入、販路拡大をしたい。
  堺商人の事情:貿易船の航路の安全を確保したい、寄港地が欲しい。
  両者の間に密接な信頼関係が構築されて行く。

3) 第16代当主 島津義久 関が原の合戦 退き口
  豊臣に味方した島津家、9月15日関が原戦場離脱⇒17日奈良⇒18日住吉・堺到着
  9月22日堺発⇒29日日向細島に無事到着
  四日市等近隣泊地から船で逃げず、大阪へ向った理由は、大阪・堺への信頼から。
  大阪・堺商人の協力、とりわけ3人の活躍
   田辺屋道与(住吉の薬種問屋)・・・・お礼に薩摩秘伝の薬の専売特許⇒田辺製薬
   塩屋孫右衛門(堺の唐物問屋)
   井上惣兵衛尉(西宮の蔵入地役人)・・お礼に島津姓を許可⇒島津製作所

近代になり薩摩藩士「五代友厚」が、明治初期の大阪経済復興の立役者となったことは良く知られているが、その前、江戸時代に薩摩藩が500万両の財政破綻に陥る一大危機を大阪商人が救ってくれたので、その恩返しでもあった。

 かように、薩摩・島津家と大阪・堺とは密接な関係・絆が構築されてきた、というお話。



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