散歩者goo 

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昨日記130317日(19/6晴 京都 3条界隈のギャラリーめぐり ギャルリー宮脇・塔本シスコ展)

2013年03月18日 18時47分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、昼から京都に出かけた。
ギャルリー宮脇(http://www.galerie-miyawaki.com/ )で開かれている「塔本シスコ生誕100年記念展シスコとみんなで花の宴」(http://www.galerie-miyawaki.com/Shisuko2013MiyawakiB.jpg)を見に行くためだ。

その前に、三条界隈の現代系ギャラリーを見て回るつもりだった。
京都で画廊廻りするときは、いつも京阪三条から三条通りを一路東に山科に向かってなだらかな坂を登り、蹴揚近くにある「ギャラリーすずき」迄行く。
そこからアートスペース虹を手始めに三条通周辺の画廊を見て歩く。

昨日は、家を出るのが計画していた時間よりずれて、1時に出た。
そのためいつもは、三条京阪から歩いて蹴揚まで行くのだが、時間が無いと考え時間短縮のため地下鉄で蹴揚駅まで行った。

地下鉄の蹴揚駅から三条通りを下るのは、昔1-2回あったかもしれないという程度で、はっきりした記憶にない。(多分蹴揚から岡崎への桜見物で行ったかもしれない。)
下る途中に、何度も見ているお気に入りの、疎水を利用した発電所?の古い建物の写真を撮った。
何年か前には、桜の季節に疎水沿いの桜を見に散策したことがあった。
まだ桜の蕾は固いが、もう2週間もすれば桜も見ごろになるのだろう。

すずき ・虹 ・モーニング ・KUNST ARZT ・JARFO・と見て回った。
いくつかのギャラリーで作家さんと話をしたりして時間がとられた。
他に見たい画廊もいくつかあったが、それらのギャッリーをパスして、ギャルリー宮脇に向かった。

ギャルリー宮脇には、何度か行ったことはあるが、場所を覚えていない。
とりあえず住所の中京区寺町通二条上るを頼りに歩いた。
京都の住所表記は通りが交差する点を表示しているので慣れると分かりやすい。
寺町通二条には、直ぐに着いたが、それから辺りを見ながら、住所どおり寺町通りを上がる(北上する)と、ギャラリーが見えた。

ギャラリーでは、シスコさんの作品を見ながら、作品の魅力や特徴について考えた。
その前に、京都に着くまでの間、京阪電車の車中で塔本さんからいただいた「塔本シスコ生誕100周年記念画集」の5人の寄稿分を読みながら、改めてどこにシスコさんの絵の魅力があるのだろうとずっと考えていた。
更に言うと、その問いは、先月枚方市主催のくずはアートギャラリーで行われた展覧会「生誕百年記念塔本シスコはキャンバスを耕す」を見て以来、頭の中で考えていた。

ギャラリーの3階でシスコさんの制作風景のビデオを見ていて、懐かしかった。
作品を見終わって一階に下りると、塔本シスコさんの息子で現代作家の塔本賢一さんが来ていた。
その後、作品や画集を見ながら、改めて作品の特徴とかを、分析し話し合った。

話はアールブリュットの動きにも及んだ。
塔本賢一さんは、今枚方の絵画教室で、多くの障害者を教え、アールブリュット展も毎年開催している。
その中で、自治体や企業が行っている、アールブリュット作品のコンクールについて話が及んだ。
塔本さんは、「障害があって(それでなくても差別されているのに)更にコンクールで差をつけて賞を与えるというのは、障害者の人たちにとっていいことなのか?賞に入らなかった人はどう思う?」という。
更に、「賞からもれた人のことを考えると、とても障害者のコンクールには出せない」と言った。
確かにそのとおりだと思う。

私は基本的に、スポーツや、学問や、芸術、経済活動は、その世界で序列があると思っている。
現実に、オリンピックであれ、ノーベル賞であれ、様々な芸術賞(例チャイコフスキーコンクール 各種美術コンクールの賞・・・)が存在するし、これからも無くならないだろうと思う。
健常者の世界にあっては、何でも平等という考えは違うと思う。

しかし、障害者の場合は、精神的にも傷ついている人が多く敏感な人も多いので、塔本さんのいう側面もあり、充分配慮し発表の仕方も考えるべきだろうと思った。

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