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昨日は、朝から大阪府南河内郡河南町の阪南ネオポリスの近くにある大阪府立近つ飛鳥博物館に行った。
近つ飛鳥博物館で行われている、「百舌鳥・古市古墳群出現前夜」を見るためであった。
出かける途中で図書館に寄って、借りていた本を返却した。
この博物館には何度も行っているが、非常に不便である。
一須賀古墳群の保護を契機に風土記の丘として保護され、この博物館が作られた。
建築設計が安藤忠雄氏であることも話題を呼んだ。
博物館は近鉄喜志駅で降りて、大阪芸術大学を通る阪南ネオポリス行きのバスの終点だ。
何度か大阪芸術大学に行ったことはあったが、最近までこの博物館に行ったことはなかった。
最近になって、興味ある展覧会が行われているので、たびたび行くようになった。
昨日は、館長の白石太一郎氏の講演会で、「百舌鳥・古市古墳群出現前夜の畿内」というタイトルであった。
講演会は1時半に始まるが、博物館へは1時ごろ着いた。
講演会場は、満員で外に同時中継の100人以上は軽く入場できるビューイング会場を設けてあるが、そこも満員であった。
とにかく数百人レベルの人が、今回の講演会を聴きに来たようである。
8ページの講演会資料も、随分追い刷りしたようである。
講演会の内容を一まとめると、白石氏は、大和政権の巨大古墳群が、奈良盆地東南部(天理―桜井一帯)オオヤマト古墳群――盆地北部(奈良市・平城旧跡北部)の佐紀古墳群
――盆地南西部(葛城山麓一帯)の馬見古墳群―― 和泉・河内の百舌鳥・古市古墳群と年代とともに場所を移動することに関しての考えを述べられた。
白石氏は、これらの巨大古墳の移動している場所が、すべて大和川の流域であることを考えると、大和川流域で最初に発生した(邪馬台国候補の纏向・三輪山一帯を含む)オオヤマト古墳群の連合政権が(婚姻等で?)勢力を拡大し、河内の百舌鳥・古市の勢力も婚姻等で連合政権に加わったと見ていることを述べられた。
巨大古墳の移動に関しては、様々な説が出されている。
河内王朝説も一時期注目されたこともあった。
大仙陵(仁徳)・誉田御廟山(応神)を含む百舌鳥・古市古墳群のあとの、継体政権(高槻・今城塚)の動きも大きな謎であるが、これからも考古学から見た邪馬台国以後の、日本の古代史の解明も、ますます面白くなりそうだ。
当然のことであるが、戦前言われ今でも信じている人のいる、万世一系という皇国史観は、学問的には100%成立しないことは言うまでもない。
講演会終了後、再び展示品を見てから、風土記の丘のコースをとちゅうまで歩いた。
コースには、古墳跡の石室が残されている。
周囲は、ほとんど手付かずの自然に覆われ、ウグイスや、カラ類やムシクイ類の多くの野鳥がさえずり、飛び回っていた。
コースは急峻で、階段も多く、いい運動になり森林浴が楽しめる。
小中学生を含む家族で遊びに行くには最適だろうと思う。
無論、高校生や大学等や社会人で専門知識を持っている人にも、博物館としての報告書等の専門資料が販売されており学問的興味を充足させられることは言うまでもないし、学芸員に専門的なことで質問も可能で、いろいろ楽しむことが出来るだろう。
昨日は、朝から大阪府南河内郡河南町の阪南ネオポリスの近くにある大阪府立近つ飛鳥博物館に行った。
近つ飛鳥博物館で行われている、「百舌鳥・古市古墳群出現前夜」を見るためであった。
出かける途中で図書館に寄って、借りていた本を返却した。
この博物館には何度も行っているが、非常に不便である。
一須賀古墳群の保護を契機に風土記の丘として保護され、この博物館が作られた。
建築設計が安藤忠雄氏であることも話題を呼んだ。
博物館は近鉄喜志駅で降りて、大阪芸術大学を通る阪南ネオポリス行きのバスの終点だ。
何度か大阪芸術大学に行ったことはあったが、最近までこの博物館に行ったことはなかった。
最近になって、興味ある展覧会が行われているので、たびたび行くようになった。
昨日は、館長の白石太一郎氏の講演会で、「百舌鳥・古市古墳群出現前夜の畿内」というタイトルであった。
講演会は1時半に始まるが、博物館へは1時ごろ着いた。
講演会場は、満員で外に同時中継の100人以上は軽く入場できるビューイング会場を設けてあるが、そこも満員であった。
とにかく数百人レベルの人が、今回の講演会を聴きに来たようである。
8ページの講演会資料も、随分追い刷りしたようである。
講演会の内容を一まとめると、白石氏は、大和政権の巨大古墳群が、奈良盆地東南部(天理―桜井一帯)オオヤマト古墳群――盆地北部(奈良市・平城旧跡北部)の佐紀古墳群
――盆地南西部(葛城山麓一帯)の馬見古墳群―― 和泉・河内の百舌鳥・古市古墳群と年代とともに場所を移動することに関しての考えを述べられた。
白石氏は、これらの巨大古墳の移動している場所が、すべて大和川の流域であることを考えると、大和川流域で最初に発生した(邪馬台国候補の纏向・三輪山一帯を含む)オオヤマト古墳群の連合政権が(婚姻等で?)勢力を拡大し、河内の百舌鳥・古市の勢力も婚姻等で連合政権に加わったと見ていることを述べられた。
巨大古墳の移動に関しては、様々な説が出されている。
河内王朝説も一時期注目されたこともあった。
大仙陵(仁徳)・誉田御廟山(応神)を含む百舌鳥・古市古墳群のあとの、継体政権(高槻・今城塚)の動きも大きな謎であるが、これからも考古学から見た邪馬台国以後の、日本の古代史の解明も、ますます面白くなりそうだ。
当然のことであるが、戦前言われ今でも信じている人のいる、万世一系という皇国史観は、学問的には100%成立しないことは言うまでもない。
講演会終了後、再び展示品を見てから、風土記の丘のコースをとちゅうまで歩いた。
コースには、古墳跡の石室が残されている。
周囲は、ほとんど手付かずの自然に覆われ、ウグイスや、カラ類やムシクイ類の多くの野鳥がさえずり、飛び回っていた。
コースは急峻で、階段も多く、いい運動になり森林浴が楽しめる。
小中学生を含む家族で遊びに行くには最適だろうと思う。
無論、高校生や大学等や社会人で専門知識を持っている人にも、博物館としての報告書等の専門資料が販売されており学問的興味を充足させられることは言うまでもないし、学芸員に専門的なことで質問も可能で、いろいろ楽しむことが出来るだろう。