散歩者goo 

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昨日記131202月(生活習慣・運動 古代の日韓関係に関して)

2013年12月03日 16時52分46秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気 晴 ―mm 14.7 6.1℃ 73% 1.8m南西

昨日は、食材の買出し以外は出かけることも無く家に居た。
食事のためのセット作りをしたり、こまごました片付けやTV・ネットを見たりしているうちに、知らぬ間に時が立ったという感じである。
何か、目的意識を持って過ごさないと時間はすぐに過ぎてゆく。
今まで毎日読書のために、カフェに行ったが経済的問題のため、当分分相応の生活に徹するため、行く回数を半減させるが、家に居ると意志薄弱な私は、ついついTVを見たりネットを見たりして過ごす。
このようなことを断ち切り、ストイックに生きることに何度もチャレンジするが成功したことが無い。
日記も同様である。
ただ、予定日報表を詳細に記載することや、家計簿をつけることと、ブログを毎日日記代わりに書くことはことは、今のところ1年以上は継続している。
運動も週に数回以上することも5年以上継続している。

運動に関しては、それなりの成果は上がっているが、困った問題もある。
ジムに通い本格的に運動する前(2005年1月からジムに通い始める)までは、若いときと体形は同じで、兄ともほぼ同じなので兄の遺品も着こなすことが出来た。
しかし、近年上半身の筋肉がついているらしく、肩幅がかなり窮屈になってきた。
ズボンも腹は出ていないが、少し胴回りが大きくなったようだ。
それの反映かどうか分からないが、運動記録は2年前のピークから、その夏の水泳に集中後、水泳はクロールで2-300m泳げるかどうか怪しかったのが、1000m以上泳げるようになり、バタフライもマスターしたが、秋になって筋トレやランニングの記録は1ランク低下し、今に至っているが、現在記録は多少回復しつつある。

このようなわけで、数件程度は一応歯磨き同様、日々の日課として定着し実行しているが、肉体的に苦しいことが多いジムに関しては、いまだにサボりたい意識が強く働くが、常に自分に言い聞かせ、いやいやながら行っているのが実情だ。
このように、いつも意識していても少し気を抜くと、ついつい気楽な生活をしようという方向に自動的に動く。

最近、私はブログで経済的問題と騒いでいるが、繰り返し言うように、現在食うに困っているわけではないし、新聞も購読して読んでいるし、ジムにも行っている。
自己破産前は、新聞購読や、他府県に電車で出かけるお金も無かったし、医療費を不必要にするための方策として考えたジムにも一時期通えなかった。
その頃から比べると、今は問題はないが、たがより積極的に行動しようとすると、経済的問題があるというだけの話である。
要は贅沢せず収入に応じた分相応の生活をすればよいので、現在PCを打てるだけでも良しとせねばなるまい。
活動範囲の拡大は、アルバイトを見つけて(見つかるかどうか分からないが)余剰収入を得て活動を活性化するつもりだ。

文字通り食べるには困らないが、働き口も無く、ただなんとなく家でTVを見たり新聞を読んだりして無為に過ごすのも自分は満足できない。
カネを使わず、何か創造的なことなり自己表現でも出来ればと常々おもっていて、このブログも自己表現の一つと考えている。
図書館から本を借りて、テーマを見つけて研究するのもいいかもしれない。
古代史考古学に関しては多少興味を持っている問題があり、問題点をまとめ整理して研究できればいいと思っている。
いつも接している美術に関しても、いろんなテーマで研究できるだろう。

このような形で、昨日も不本意ながら、終日日常茶飯なことだけで時間を過ごしてしまった。
それでも、夕食前に集中してみたNHKのクローズアップ現代での、『明らかになる古代の「日韓交流史」』は、新発見の大量の馬具の出土により、古代の日韓交流史の見方考え方が大きく変化するのではないかという触れ込みなので、非常に注目していて、内容は期待したほどではなかったが、大いに刺激になった。

確かに出土遺物はすごく価値あるもので、CTスキャンと3Dコピーをを使った最新の復元方法が用いられ、今後の発掘復元に大きなインパクトをあたえると思われるが、出土品の時期は聖徳太子の頃と推定されている。
それと同時に番組で取り上げられた、近年(1990年代以降)話題にされている、韓国で見つかった前方後円墳の研究も、既にかなり進展しているといわれるし、2000年以降、何度か日韓関係の考古学関係のシンポジウムも開かれたりして、考古学の世界では、既に最新の問題ではない。
これらのことに関連して、古墳時代の倭と伽耶・百済・新羅・高句麗の関係も研究されていて、本も出版されている。(ただ、4世紀以前の南朝鮮の実態はよく分かっていない。)
古代日韓にわたる考古学上の謎は、たくさんある。
例えば、伽耶と倭(大和・日本)で共通する埋葬品も多いことが分かっていて、伽耶の古墳に倭で作られたものがあり、倭の古墳に朝鮮で作られた物が埋葬されている例が、多くある。
また、日本の前方後円墳の埋葬施設である石室が、ある時期から竪穴石室から横穴式石室に変化する。
今までは朝鮮の影響と言われてきたが、その起源(どの国の埋葬形式の影響か)も明確ではない。
朝鮮から渡来した須恵器が一斉に倭で広がり、堺の陶村のような大規模な工房も生まれ、渡来人が作ったとされる、その経緯も謎である。大和政権が渡来人を招聘し官営工房を作ったといったことも想定されていて、その製作技法が、伽耶のどの地域のものかを研究されたりもしている。
日本では、その他の地域でも須恵器が作られるが、倭政権と地域政権と伽耶(倭と関係が深かったが、後に百済・新羅に攻められ併合される。)・新羅・百済とどのような関係なのか、といったこともいろいろな面から研究されている。
特に鉄関係に関して、流通ルートやヤマトと地方の国(例北九州 日本海ルート)と朝鮮との関係も研究されていて、倭人が伽耶で様々な動きをしていた可能性も指摘されている。
古代日朝関係では、継体時代に起きた筑紫の君磐井の乱(528年)も新羅との関係で忘れてはならない。

近年韓国側での、南朝鮮の古代伽耶地方の発掘が進み大きな成果が得られ、日本の考古学もその影響を受けている。
番組でも言っていたように、いまや、古墳時代の解明は韓国の同時代の考古学的研究の成果抜きには考えられないし、既にその交流は既に大きく進んでいるようだ。

この番組に刺激され、夕食後古代の日韓交流についての、思いつくことを下書したが、未だ完成していない。
これを書いていたため、寝るのが遅くなってしまった。
それでも、冒頭に書いたように、古代史考古学は私にとって、お金もかからず興味もありあり、暇つぶしの研究にもってこいのようだ。

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